第五章
1
藪野は午前十一時に東京メトロ東西線の葛西駅でヨミと待ち合わせていた。
指定された葛西駅前南口広場で待っていると、一般車が通行できるロータリーに茶色い軽自動車が入ってきた。横断歩道の手前で停まり、助手席側の窓が開く。
「ミツオさん!」
ヨミが運転席にいた。
藪野は駆け寄って、素早く助手席に乗り込んだ。ドアを閉めて、シートベルトをつけると、車はすぐに走り出した。
車はいったん左折して、都道318号線を北へ向かった。そしてすぐ左折して、葛西駅周辺を左へ左へと曲がり、大きな交差点を右折して、318号線を南下し始めた。葛西臨海公園方向に進んでいる。
「どこへ行くんですか?」
藪野が訊く。
「葛西南高校の近くにナルミさんの会社の事務所があって、いったんそこに行くんですよ。そこから会社の車でガレージに行って、ローダーに載せた車両を指定された場所に運ぶんです」
「なるほどー。通勤しているようなものなんですね」
「まあ、そんな感じです」
ヨミは笑みを見せるが、どことなくひきつっている。
藪野はヨミの様子に違和感を覚えた。
「車はどんなところに運んでいるんですか?」
藪野は質問を続けた。
「あちこちです。あまり決まっていないというか、お客さんもいろんなところにいるんで」
「遠方の時も運転して持っていくんですか?」
「いや、僕は港までしか運んだことないですけど」
ヨミは答えたあと、少し表情を歪めた。
しまった、というような顔だ。
なるほど、船で運び出しているわけか。車に積んだ〝何か〟を──。
ヨミは頻繁に港へ車を運んでいるのだろう。でなければ、〝港〟などという言葉はするりと出てこない。
「あ、港といっても、そこにお客さんがいる場合ですけど。お金持ちはヨットハーバーにいたりもしますし」
返答があたふたする。
「お金を持ってる人はいいですね。クルーザーを持っていたり、カスタムカーを造れたり。どんな人たちですか?」
「普通の人たちですよ。中には、金のネックレスやブレスレットをしている、いかにもな人もいますけど」
そう言うとまた、唇をグッと締める仕草を見せた。
「それはいかにもですねー」
藪野は笑った。
ヨミは藪野があまり気にしていない様子を横目でちらりと見て、唇を開いて小さく息を吐いた。
「そういえば」
藪野が声を漏らす。
ヨミはびくっとした。あきらかにおどおどしている。
「ナルミさんが造っているカスタムカーって、どんなのなんですか?」
普通の質問だ。が、ヨミはこれまでのようにスラスラとは答えない。
ちらりと見る。唇が小さくもぞもぞと動いている。回答を探しているようだ。
「やっぱ、痛車なんですかねー。ナルミさんの雰囲気だと、案外、族車とか造ってたりもするのかなあ」
藪野が独り言のように言う。
「いやいや、ラグジュアリーカーですよ」
ヨミが思わず答えた。
「なんですか、それは?」
「ワゴンやミニバンの内装を豪華にして、ラウンジみたいにした車のことです。あと、キャンピングカー仕様にする人も多いみたいですね」
「ああ、今流行りの車中泊できる車ってやつですか」
「そうですそうです」
「お金持ちはいいですねえ。車の中身も贅沢できる。ほんと、やってられないですね」
「まったくです」
ヨミは笑った。
藪野も合わせる。ヨミの笑顔はぎこちないが、目元には少し余裕も見えた。藪野の問いにうまく答えられたと思ったのだろう。
藪野はリラックスした笑顔を見せつつ、腹の中ではまたいいものを引き出したと思っていた。
ワゴンやミニバンであれば、大きいブツを詰められる。ラグジュアリーカーであれば、後部の目隠しをしっかりしていても違和感はない。
おそらく……人間を運ぶのに使っているのだろう。と、藪野は踏んでいた。
車は葛西南高東の交差点を右折し、左近通りを西進した。
四百メートルほど進み、左手にある五階建てビルの地下駐車場に入っていった。
車はスロープをゆっくりと下った。広い地下スペースのところどころに車が停まっている。ミニバンやSUVもあるが、高級車もちらほらと停められている。
ヨミはエレベーターホールがある出入口に近いスペースに車を停めた。二人して車を降り、ホールへ歩く。足音が地下に響く。
エレベーターが到着して、ドアが開いた。藪野が先に乗り込む。
と、ヨミが何かを探すように上着やズボンのポケットをまさぐりだした。
「あれ、おかしいな……」
「どうしました?」
藪野はドアの開くボタンを押したまま訊ねた。
「スマホがなくて。仕事を請け負う時に必要なんですよ」
「鳴らしてみましょうか?」
「いや、ちょっと車を見てきます。先に行っておいてください。ナルミさんのオフィスは五階なんで」
「一人でですか!」
藪野は不安げなそぶりを見せた。
「大丈夫です。五階フロアはナルミさんのオフィスしかなくて、人はほとんどいないんで。ただ、時間に遅れるといけないので、先に行って、僕もすぐ行くことを伝えといてくれると助かります。すみません、お願いします」
ヨミは言うと、逃げるように車に走った。
藪野は戸惑う顔を覗かせつつ、ドアを閉め、五階へのボタンを押した。
逃げやがったな、あのガキ……。
わかりやすすぎて笑いを堪えた。だが、五階フロアが近づくにつれ、余裕は消え、緊張感が増す。
エレベーターが止まり、ドアが開く。目の前はガラス扉になっていて、その奥に無人のカウンターが見えた。
エレベーターを降り、周囲を見回す。エントランスの左手通路の奥には左近通りに面した窓があり、行き止まり。右手通路の奥には非常階段の扉があった。
天井の隅、会社玄関の右上に監視カメラがある。
藪野はおどおどとしたふりを崩さず、そろりそろりと玄関に近づいた。自動ドアが開き、びくっとする。
恐る恐る中へ入ると、受付カウンターに電話機が置かれていた。横に内線番号と部署が書かれた表が貼られている。
藪野がそれをみておろおろしていると、カウンターの壁の脇から突然人が現われた。
またびくっとして、身を縮める。
「ミツオさん、ようこそ」
ナルミだった。
藪野は背を丸めたまま、一礼した。
「あの、ヨミさんはスマホ忘れたとかで、車に取りに戻ってまして」
「さっき、ヨミさんからスマホを家に忘れたようなので取りに戻ると連絡がありました。ミツオさんが先に行っていると思うので、よろしくと」
「そうでしたか」
あまり顔を上げずに話す。
「ヨミさんが戻ってくるまで、中へどうぞ。仕事の話もしたいですしね」
ナルミが招く。
「では、失礼します」
藪野は腰低く、ナルミに近づいた。
ナルミは藪野の背に軽く手のひらを当て、カウンターの裏へ導いた。
壁の裏はオープンフロアになっていて、オーバルテーブルがぽつりぽつりと置かれている。
テーブルにはラフな格好をした男女、スーツを着た男女がいる。年齢層は総じて若い。ノートパソコンで作業している者もいれば、小会議をしているグループもある。
「なんか、かっこいい事務所ですね」
ちらちらと見ながら小声で言う。
「私は堅苦しいのが嫌いでね。従業員には自由にリラックスして働いてほしいので、こういう形にしているんですよ」
オフィスを横目に見ながら、右手のドアを開けた。
壁に仕切られた部屋には長テーブルが横三列、縦五列に並べられていた。一つのテーブルに三席置かれているので、四十五名分の席がある。
テーブルの正面、部屋の奥には一段高いステージのようなものがあった。部屋の天井中央には巻かれたロールスクリーンが吊られている。天井にはプロジェクターもついていた。
中には十名ほどの男女が座っていた。若そうな女性もいれば、年配男性もいる。スーツ姿だったり、作業服を着ていたりと、様々だ。
部屋の中に人がいることに気づいた藪野は、入るのを躊躇した。
「ああ、すみません。集まってもらっているのは、ミツオさんと同じ仕事をしてもらおうと思っている人たちです。あとで説明会をしますので、端っこの方に座っていてください。無理に話さなくても大丈夫ですから」
ナルミが背中を押した。
つんのめって中に入る。何人かが藪野を見やった。藪野はうつむき、ドア近くの席に座った。
「ゆっくりしていてくださいね」
ナルミは言うと、ドアを閉めた。
室内はしんとしている。みな、前を向いたまま押し黙っている。どんよりとした空気が充満していた。
なんなんだ、こいつらは……。
見たことのある顔はない。どんな連中なのか探りたいが、おおっぴらに動くわけにもいかない。
藪野はじりじりしながらも、うつむいて座っているしかなかった。
(つづく)