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第六章

 

 

 

 瀧川は新宿に出向いた。日埜原の情報によると、北島が夜回りに出ているという。

 北島の立ち回り先はだいたいわかっている。

 新宿東宝ビル前のシネシティ広場の柵に尻をかけて、通行人を見やる。

 一時期、この場所はトー横キッズと呼ばれる若者たちでカオス状態に陥っていたが、今は広場の周りに柵が置かれ、警備員も常駐し、一時期の混乱は解消されていた。

 とはいえ、周辺には行き場のない若者たちが路上に座っていたり、ビルの片隅で集まって時間を潰していたりする。

 笑い声も聞こえるが、それはどこか渇いていて、切なく響く。

 若者たちの様子を見つめながら張っていると、ボウリング場が入ったビルとホテルの間の路地から北島が姿を現した。

 ポケットに両手を突っ込み、少し背中を丸めて、周囲に鋭い視線を向けている。

 いつもの北島のスタイルだ。

 北島がなぜ、いかつい感じで歩き回っているのか、瀧川は一緒に夜回りする際に訊いたことがある。

 北島は言った。

 自分たちの素性はバレている。であれば、自分たちが見回っているということを周知させ、少しでも危険な繁華街から少年少女を遠ざけたい。

 家に帰れないのは仕方がないにしても、近所の公園だったり、明るい場所だったり、怪しい連中が避けるところに移動すれば、それで闇に落とされる危険性は少なくなる。

 だから、わざと目立つように歩いている。

 瀧川は北島の姿勢に感服していた。

 多くの少年課の警察官は、日々、青少年を守るため、時間を惜しまず補導や保護活動にあたっている。

 しかし、その警察官にも家族があり、プライベートがある。二十四時間、三百六十五日、青少年と向き合えるわけではない。

 そんな中、独り身とはいえ、北島は非番の日も街に出て、行き場のない少年少女を監視し、危なくなる前に街から追い出していた。

 北島の存在が、光と影の境にいた青少年の幾人かを救ったことは確かだ。

 だが、もしその目的が〝人選〟だったとしたら……。

 信じたくない気持ちと星名しのぶをあの地下室で発見した事実とが、胸中でせめぎ合う。

 瀧川はゆっくりと北島に近づいた。

「北島さん」

 声をかけると、北島は少し驚いたように身を震わせ、顔を向けた。

「おー、有村か」

 笑みを向ける。が、どこかぎこちない。

「研修中じゃなかったのか?」

 北島が訊いてきた。

 少年課の有村は総務部からの指示で、刑事研修に出ていることになっていた。

「今日の午後に戻ってきたんですよ。総務部からは、出勤は明日からでいいと伝えられていたのでそうするつもりだったんですが、やはり報告をと言われたので急ぎ出向いて、一時間ほど前にようやく終わったところです。少年課に顔を出したら、北島さんが夜回りに出ているということだったので、ちょっと見に来てみました。僕も早く実務に戻りたいですから」

「なるほどなるほど。ちょっと来い」

 北島は瀧川の襟首をつかんで、路地に引っ張り込んだ。

 瀧川は連れられるまま、路地に入った。

 北島は瀧川の襟首から手を離すと、胸倉をつかんで、瀧川を壁に押し付けた。拳が胸に食い込み、瀧川は息を詰めた。

「なんですか!」

 北島を睨む。

「何を探ってる?」

「何を言ってるんですか?」

「俺の何を探ってるんだ? 公安部の瀧川」

 北島がはっきりと口にした。

 瀧川の目が険しくなった。

「おまえ、少年課に有村の名前で所属しているが、実態は公安部の人間なんだってな」

「何のことか……」

「情報は確かな筋から入ってんだよ」

 北島は瀧川の胸を突いた。ずしりと拳がめり込み、また顔をしかめた。

 日埜原さんか……。すぐに気づいた。

 日埜原の指令では、自分が北島に接触して、正体をバラす予定だった。が、日埜原、もしくは鹿倉が、瀧川が正体を明かさないこともあり得ると判断したのだろう。

 そこでおそらく、他の部署にいる公安部員を通じて、瀧川の正体をバラしたに違いない。

 そういうことを平気でやる人たちだ。

「何を探っている? 言え」

 北島は右手を腰に回した。ホルスターから拳銃を抜いて、腹に押し当てる。

 北島の手の動きには気づいた。制止することはできたが、あえて、銃を抜かせた。

「やめてください……」

 怯えるふりをする。

「おまえが調べていること、おまえらの仲間や上司の名前、公安部の指揮系統。知っていることをすべて話せ」

「それは……できません」

 瀧川が言うと、北島は撃鉄を起こした。

「こっちも命がかかってんだ。退かねえぞ」

 ぐいっと銃口を押し付けた。

「わかりました。けど、ここでは」

 周囲に目を向ける。おじさん二人が路地に入って身を寄せているのが気になるのか、通りがかりの若者たちがちょろちょろと覗く。

 北島もその視線に気づき、撃鉄を戻して、銃をホルスターに収めた。

「ついてこい。逃げたら、おまえの素性を庁内にばらまく」

「逃げませんよ」

 瀧川は北島を見据えた。

 北島は路地を北に抜け、新宿警察歌舞伎町交番に立ち寄った。

 立番の警察官が北島を見て、敬礼する。

 北島も敬礼して、声をかけた。

「見回りを終えたので、車を持っていく」

「かしこまりました」

 警察官は言い、直立した。

 北島は交番裏手の広場に停めてあるセダンに乗った。瀧川に助手席に乗るよう促す。

「拘束しなくていいんですか?」

「ここまでついてくるなら、逃げないだろう」

 北島は言い、エンジンを始動し、車を出した。花道通りを西へ進み、突き当たりを左折して、西武新宿駅前通りを直進し、新宿大ガード東の信号を右に曲がって、青梅街道を進む。

「どこへ行くんですか?」

「乗ってりゃ、そのうち着く。ドライブがてら、話を聞かせてもらうぞ」

 北島はフロントガラスの先を見つめて言った。

 

 

 宮代兄弟が待機している倉庫には黒いコンパクトカーが入ってきた。

 倉庫の奥まで進み、兄弟が乗っているSUVの近くで停まる。運転席から成海は降りた。

 駆け寄ってきた若者に声をかける。

「社長は?」

 訊くと、SUVの後部ドアの窓が下がった。

「成海、来い」

 福士が呼んだ。

 成海は一礼して、車に駆け寄った。

「運転席に乗れ」

 福士が命じる。成海は前方を回り込んで車内へ入り、運転席に座った。背後に福士の圧を感じる。福士の隣には大幸もいた。

 成海がドアを閉じると、福士は窓を上げた。閉まったとたん、車内がしんとなる。

 成海は背後を気にしつつも、前を向いて押し黙っていた。

「どういうことだ」

 福士が訊いてきた。

 成海はびくっとして、肩をすぼませた。

「社長がネズミを炙り出せというので……」

「俺は銃を使えとは命令していないが」

「それはそうなんですが……。複数紛れ込んでいたネズミに掻き回されて、つい……」

「確実に処分したならまだしも、多くの連中に逃げられ、仲間もやられた。おまえには期待していたんだがな」

 その時、シュッと音がした。

 成海の首に何かが巻き付いた。

 首にかかった何かを指で触れる。

 ワイヤーだった。成海の顔が蒼くなる。

 宮代福士は、表では精悍で優しく思いやりのある経営者で通っているが、成海は裏の顔を知っている。

 ワイヤーは、福士が人を脅す時に使う道具だ。どこに仕込んでいるのかは知らないが、細いワイヤーで首を絞めたり、手首や腕、脚を絞ったり。

 成海は福士がそのワイヤーで、仕事にしくじった部下の指を切断したのを見たことがある。

 はっきりと見たことはないが、おそらく、人を殺したこともあるのだろう。

 拷問する時の福士の顔は、ひどく無表情で感情が消えたように冷たい。その顔で昆虫の腕をもぐようにワイヤーを絞り、指を切り落とす。相手が喚こうが騒ごうが、眉一つ動かさない。

 拷問を終えた後も変わらず、そのまま業務に戻る。

 成海も裏社会を渡り、様々な人間を見てきたが、福士のように無感情のまま人を傷つける者に会ったことはない。

 初めは敵に容赦ない福士を見て、頼もしいと思っていた。が、部下となり、行動を共にするほど、底知れない狂気を感じ、恐ろしい存在となった。

 その福士のワイヤーが今、自分の首にかかっている。

 成海は全身が凍りついて固まった。

「社長。ネズミの一匹は捕らえてきました。狙いは大幸さんの趣味とたまごクラブだと話しています。ミライニの名前は出してしまいましたが、私が騙っただけということで処理してもらえれば、サツにはうまく言っておきます」

 助かりたい一心で、必死に弁解する。

 が、福士はワイヤーを緩めない。

「大幸さんはこのまま逃げてくれても大丈夫です。私が処理しておきますので」

「サツを皆殺しにでもするつもりか?」

 福士の冷ややかな声が響く。

「いや、そうではなくて、私が刑務所に入るだけで──」

「おまえはもう信用できない」

 福士はワイヤーを引き締めた。

 成海はワイヤーを握って呻いた。

「いや、すまない。今のは嘘だ。最初から信用などしていない。俺は同じ地獄を生きた者以外、誰も信用しない。使えるか使えないかだけだ」

 福士の手に力がこもる。成海の顔色が赤から紫に変わっていく。

「おまえの短絡的な行動で、すべてが終わった。おれからすべてを奪ったおまえは万死に値する」

「お願いです……お許しを……」

「地獄で反省して来い」

 福士は頸動脈を締めながら、後ろにワイヤーを引っ張った。

 ブチッと肉が裂ける音がした。ワイヤーが喉仏を潰し、頸動脈を切り裂く。

 成海が両眼をガッと見開いた。首から血がしぶいた。その血が大幸の顔に降りかかる。大幸もまた冷めた目で血を被る。拭おうともせず、断末魔の成海を見つめている。

 倉庫の通用口が開いた。一台のバイクが入ってくる。エンジン音を響かせ、二人が乗るSUVに近づいてきた。

 バイクは福士の座っている運転席側に回った。バイザーを上げる。IFAUC日本支部の浅丘真優だった。

 体のラインに沿った革のジャンパーとパンツを身に着けている。

 真優はバイクを停めて降り、ヘルメットを脱いで、ハンドルに引っ掛けた。頭を振って長い髪を垂らし、コンコンと車のボディーをノックする。

「兄貴、降りるぞ」

 福士はドアを開けた。大幸も反対側のドアを開ける。

 真優は血に濡れた大幸を見て、シートを開き、ボックスから白いタオルを取った。大幸に近づく。

「あーあ、こんなに汚れちゃって。せっかくのお顔が台無しですよ」

 子供に語り掛けるような口調で言い、顔の血を拭う。大幸はぼんやりとした顔で、突っ立っていた。

「真優、データは?」

 福士が訊く。

 真優はジャンパーのファスナーを下げた。下に着ていた革のシャツのファスナーも下げ、胸の谷間に挟んだスティック状のUSBメモリーを取り出し、福士に差し出す。

「裏帳簿、売買履歴、顧客情報、全部抜いて、事務所のデータは完全消去してきたわ。表の業務は、私たちとは関係のない副事務局長に任せてきたから、大丈夫」

「おまえも一緒に来るか?」

「この人をほっとけないから」

 大幸を見つめ、血にまみれた頬をタオルで撫でる。

「これはどうするの?」

 成海の屍が乗ったままの車を見やる。

「あとで燃えてもらうよ」

 福士は言い、成海が乗ってきた車に近づいた。中を覗き、後部ドアを開ける。

 両手足を紐で縛られた男がいた。血まみれで、顔が原形をとどめていない。が、まだ意識はあるようで時折呻きが漏れる。

「それ、誰?」

 真優が福士の後ろから覗いた。

「公安の人間らしい」

「やっぱり、潜り込んでいたのね」

 すると、大幸がゆっくりと男に目を向けた。

「有野先生……」

 無表情だった目が吊り上がっていき、徐々に怒りが満ちてくる。

「有野……有野!」

 後部シートに駆け寄り、胸ぐらをつかんで引っ張り出した。そのまま立たせる。

 男は有野先生、白瀬だった。

 白瀬は大幸の声を聞き、塞がっていた瞼をこじ開けた。

「やあ、園長先生。あんたのゲスな趣味も終わりですなあ」

 にやりとする。

 と、大幸はいきなり、白瀬の顔を殴りつけた。白瀬の顎が跳ね上がり、鼻腔から新たに血がしぶく。

「おまえのせいで、私の楽園が壊された。私の楽園が!」

 大幸は叫びながら、白瀬の顔を何度も殴る。白瀬は意識が朦朧として、抗うことも呻くこともできない。

 周りの者たちは、豹変した大幸を見て、顔を引きつらせていた。

 福士は大幸の右腕をつかんだ。

「兄貴、やめろ。こいつにはまだ聞きたいことがある」

 福士が言うと、白瀬と大幸の間にスッと真優が入った。

「大幸ちゃん、またおててが汚れちゃったよ。向こうできれいにしようね」

 そう言い、左腕を握る。大幸は白瀬から手を離した。また無表情に戻る。

 白瀬は両膝から崩れ落ち、そのままうつぶせに突っ伏した。

「北島がもう一匹連れてくる。どちらかに、俺たちの調べがどこまで進んでいるのかを聞き出して、処分する」

 福士の言葉に真優はうなずき、倉庫の奥へ大幸を連れて行った。

 福士は伏せて動かない白瀬を見据えた。

 

 

(つづく)