6
瀧川は北島の様子を見つつ、手錠を外した。手首が軽くなる。もう片方の輪も慎重に外し、小声で話しかけた。
「白瀬さん」
名を呼ぶ。白瀬が背後で動いたのがわかった。
「動けそうですか?」
「なんとか……な」
声は弱々しいが、まだすぐに返事ができるだけの意識は保っている。
「もうすぐ動きます。車が横付けされたら、飛び乗りますから、そのつもりで」
「わかった」
白瀬は短く返事をした。その後、深い呼吸の音が聞こえてきた。相当、体はきついようだ。急いで、ここから脱出したい。
「福士よお。自分が養父母の家で嫌な目に遭ったのに、なんでガキどもを売り捌いてんだ? よくあるパターンだと、だからガキどもを守るってなるんじゃねえのか?」
北島の挑発が続いている。
単なるでまかせを吹っかけているのかと思っていたが、福士の反応を耳にするほど、誤情報というわけではないようだと感じる。
北島はいざという時のために、宮代兄弟の背景を調べていたということか──。
そう思いつつ、その時に備えて腰に隠した銃のグリップに指をかけ、神経を集中する。
「おまえにはわからないだろう」
北島に返す福士の声に怒気がこもる。
「確かに、おまえが想像するようなことは、我々の身にも起こった。そのせいで、兄貴は壊れちまった。あいつらは死んで当然の鬼畜だった」
「殺したのか?」
北島が訊く。福士は答えない。
「俺たちは命からがら、日本に舞い戻った。アメリカでのことは忘れて、人生をやり直そうと思った。同じような目に遭った仲間たちと共に、違う人生を築こうとした。だが、必死にやり直そうとすればするほど、壁にぶつかった。身分証はない、親はいない、住まいもない、学歴もない、年齢も若い、資格もない。ないないづくしの俺たちはバイト先でゴミのように扱われ、安い金で使われ、必要がなくなれば切られて放り出され。日本でもアメリカでも関係なく、持たない者はクズのように扱われて死んでいくだけ。その時だ。俺のところに来ていたガキが言ったんだ。どんな地獄を見てもいいから、自分の手で人生を作りたいと。そうだなと思ったよ、俺も」
福士は声を荒らげることなく、淡々と語った。
「おいおい、それでてめえらがクソみたいな目に遭わされた連中の真似事したってわけか? 本末転倒じゃねえか」
北島は失笑した。
と、福士が右人差し指を頭上に掲げた。
ザッと音がした。車の陰やパレットの後ろや上に若い男女が姿を現わした。事務所やクレーンの操作室からも人が出てくる。
誰もが拳銃や自動小銃を手にしていた。
北島はぐるりと倉庫内を見回した。さすがに人数が多すぎて、顔が引きつった。
福士が静かに北島を見据える。
「それでもこのクソみたいな国、クソみたいなシステムの中で底辺に甘んじているよりはマシだ。持たざる者はどこかで地獄を渡らなければ、人生を切り開けない。何もしていないおまえたちに、俺たちを非難する権利はない」
福士が言い切る。
瀧川には福士の言葉が身に染みた。家族がどん底に落ちて行く時、助けてくれる者はほとんどいなかった。誰もが心配していると言いながら、では何かしてくれるのかと思えば、我関せずで距離を取り、離れていく。
そして、いなかったことにされてしまう。
そこからは自分の力で這い上がるしかない。
瀧川も綾子も不遇だった。世間の冷たさを肌で感じ、やりきれない思いを抱えて生きてきた。
どこかの分岐で選択を違えていれば、自分ももしかすると宮代兄弟のような道を歩んでいたかもしれない。
自分たちと宮代たちは、何が違ったのだろうと考える。
双方が浴びた理不尽の内容、周りにいた大人たちの質、置かれた立場の違いなど、いろいろと考えられるが、最も違うのは、人生の再構築を何に求めたかによる。
瀧川も綾子も、他人には絶望していたものの最終的に道を外さなかったのは、瀧川たちはそれでも大切な人の中でしっかり生きようとしたからだ。
だが、福士たちは他人への期待も希望も捨て、金に人生をかけた。
瀧川はどっちが正しいとも言い切れなかった。自分も舟田や小郷夫妻がいなければ、人間を見限っていたかもしれないからだ。
だからといって、不幸な境遇にある子供たちを地獄に送り込んでいいという話にはならない。
立ち上がるしかない。顔を上げる。多くの福士の部下たちが銃を構えている情景が目に映る。
ここから逃げ出すのは至難の業だ。
それでも、立ち上がらなければならない。
瀧川は銃を指でたぐり、銃把を握った。身を起こそうとする。
その時、北島が動いた。
「そうかい。わかったわかった」
北島は拳銃をトリガーガードに引っ掛け、両手を上げた。
「おまえの言う通りだ。この国はクソだ。資本主義のシステムもクソだ。共産主義もクソだがな。すべてが持たざる者にとって、容認しがたいからくりになってる」
話しながら、福士を睨む。
「だったらよ! てめえらで稼いだ金をここにいる連中全員に配って解放してやれよ!」
北島が吠えた。言葉が倉庫の隅々にまで轟く。
「十分儲けただろうが! 金で人生を買えるなら、その金を配ってやれよ! そうすりゃ、こいつらは銃なんか振り回さずに、人生やり直せるだろうがよ!」
北島はもう一度銃把を握った。
「てめえらの恨みつらみにこいつらを付き合わせんじゃねえよ、クソガキが!」
北島が腕を下げた。銃口を福士に向けるなり、引き金を引く。銃声が轟いた。銃口から硝煙が立ち上る。
弾丸は福士の左頬を掠めた。頬に一筋の傷が刻まれる。その筋からつつつ……と血が垂れる。
周りを固めていた部下たちの銃口が一斉に北島に向く。
福士はサッと右手を上げて、部下を制した。
頬に垂れてきた血を右手人差し指の背で拭い、北島に目を向けた。笑みを浮かべている。
「能書きはそれだけか?」
「あ?」
北島が気色ばんだ。
「おまえも金のためにガキどもを売ったじゃねえか。今さら改心か? おまえがさらって金にしたガキどものほとんどは、地獄を見てるぞ。想像を絶する地獄をな。俺たちにはまだ、ガキどもに一寸のチャンスを与えてやろうという思いがあった。しかし、おまえはどうだ? 私利私欲でガキどもを売りまくったんじゃねえか。罪深いのはどっちだ? 説教をのたまえる身分か? おまえみたいなのが本当の偽善者だ。おまえのような大人が俺たちみたいな獣を作る。おい、金持ってこい!」
言うと、福士が乗っていた車の左後部のドアが開いた。
女が出てきた。腰をくねらせながら、スポーツバッグを持ってきて、福士に手渡した。
福士は受け取り、ファスナーを開いて中が見えるようにし、北島の前に放った。
「五億ある。公安部員を置いて、とっとと失せろ」
福士が言った。
北島は足元を見た。ごっそり一万円札の束が詰まっていた。目を開き、生唾を飲み込む。
「金が欲しいんだろ? くれてやる。それだけありゃあ、死ぬまで遊んで暮らせるだろう。早くしねえと、高飛びする前に捕まっちまうぞ」
にやりとした。
北島は金を見つめ、震えた。無意識に腕が下がる。
瞬間、女が迫ってきた。前蹴りを放つ。踵が胸を突いた。
北島が後方に飛んだ。北島の尻が瀧川を踏みつけた。瀧川はたまらず呻いた。
と、女が瀧川の顔を見やった。
「あらあら。福士君、もうこいつらにいろいろ聞く必要はないかもよ」
女の声を聞き、顔を上げる。瀧川の眼差しが強ばった。
「せっかく採用してあげたのに、突然断わったと思ったら、こんなところにいたのね、岸井さん」
女は浅丘真優だった。
真優はゆっくりと近づいてきた。瀧川の脇に立つと、いきなり顔を踏みつけた。瀧川は銃を抜きそうになったが、我慢した。
「そいつを知ってんのか?」
福士が訊く。
「ええ。IFAUCに応募してきた新人の岸井さん。経歴が申し分なかったんで採用してあげたんだけどさ。急に、一身上の都合とやらで辞退したのよ。怪しいなとは思っていたんだけど、まさかこんなところで会うなんてねえ」
ごりごりと靴底をこねる。こめかみが床に押し付けられ、骨が軋む。
「あなたが公安部員ということは、すでにうちは内偵されているということよね。今、引き上げて正解だったね」
真優は振り向いて、福士に微笑む。
「想定以上に捜査が進んでいたということか。外国の組織も潰されているだろうな。わかった。車に戻れ」
福士が言う。真優は瀧川をもう一度上から踏みつけ、離れていく。瀧川は側頭部をしたたかに打ちつけ、一瞬意識が朦朧とした。
「もう、おまえらに用はない」
福士は言うと、部下たちをぐるりと見回した。
「ここに五億ある! 山分けしてもよし! 殺して独り占めするもよし! 持っていけ!」
大声で言い、車へ戻っていく。倉庫内が一気に色めき立った。
福士が戻っていく。おそらく、福士が車に乗り込んだところから、奪い合いが始まるのだろう。
どうする……。
瀧川が思案していると、北島が声をかけた。
「動くぞ」
「どうするんですか」
瀧川は小声で訊いた。
「俺が動いたら、おまえはそのへんの車を奪って、仲間を連れて逃げろ」
「北島さんは!」
「俺は──」
振り向いて、にやりとする。
「五億をいただいて、姿を消す」
言うなり、上体を起こした。両腕を上げ、銃を構える。そして、福士に向けて引き金を引いた。
(つづく)