第六章
4
北島は倉庫の前で車を停めた。運転席の窓を開け、顔を出す。
「俺だ! シャッター、開けろ!」
声が響く。
ゆっくりとシャッターが上がる。三分の二ほど開いたところで止まった。
北島は低速で車を進ませ、中へ入った。すぐにシャッターが下り始める。
中は明かりが点いていた。両サイドに無造作に車やバイクが停まっている。しかし、人影は少ない。
北島はそのまま車を奥に進めた。横を向いて停まっている数台の車の前で停め、エンジンを切る。
車内から前方を見やる。向かって左斜め、車の陰に血まみれで横たわっている男がいる。その周りには誰もいない。
前方奥のSUVの運転席の窓は血で真っ赤に染まっていた。曇った窓の向こうにぐったりと頭を垂れて動かない人の影があった。
運転席のドアを開けた。北島一人だけ降りる。瀧川の姿は助手席にない。
北島は車外に出て、ドアを閉めた。刺すような視線が四方から飛んでくる。
北島はすうっと大きく息を吸い込んだ。そして目を見開き、声を張った。
「Z氏! いや、宮代福士! 公安部員を連れてきたぞ!」
倉庫に北島の声が反響する。
返事はない。北島は周りを見回し、もう一度大声で呼びかけた。
「出て来ねえなら、帰っちまうぞ!」
運転席のドアハンドルに手をかけた。
と、最奥のSUVの手前右にあるセダンの後部ドアが開いた。
宮代福士が降りてきた。上体を起こして車の前に立ち、北島を見つめる。
「Zが私だということを、すでに公安部がつかんでいるんだな?」
「まあ、そういうことだ」
北島は福士を見据えた。
「公安部員は?」
「後ろに転がしてる」
「見せろ」
福士が言う。
北島は後部ドアを開けて、瀧川を引っ張り出した。
瀧川の顔は殴られ、腫れていた。唇は膨れ、口辺には血糊が付いている。後ろ手に手錠を掛けられていた。
「乱暴したのか?」
福士が瀧川の顔を見て言う。
「逃げようとしたんで、少し思い知らせた。そいつか? おまえが捕まえたっていう公安部員は?」
左斜め前に血まみれで倒れている男を見やる。作業班員の白瀬だった。
「そうだ」
福士は瀧川を見つめたまま答えた。
北島は手錠の鎖を握り、瀧川を押した。瀧川がふらふらと歩く。北島は白瀬の許まで瀧川を連れて行き、足を後ろから払って仰向けに転がした。
尻餅をついて転がった瀧川が白瀬の背中の上に乗る。白瀬は痛みで意識を取り戻した。
瀧川が白瀬の上から転がった。白瀬と目が合う。瀧川は小さく首を横に振った。
北島はゆっくりと振り返り、福士に目を向けた。
「約束通り、公安部員を連れてきたんだが」
「それでいい。ご苦労」
福士が瀧川たちに近づこうとする。
北島は腰に手を回した。ホルスターから銃を抜いた。リボルバーだ。撃鉄を起こして、銃口を福士に向ける。
「何の真似だ?」
福士は立ち止まり、北島を見据えた。
「こいつから情報を聞き出した。俺のことはすでに公安部が嗅ぎ回っている。大幸の趣味のせいでな。なぜ、キノコの里を出る時、ガキどもを殺らなかった? ガキがうちの手に渡れば、俺がさらったことがバレちまう。てめえらだけ逃げられりゃいいと思ったか?」
「何が望みだ?」
福士は微動だにせず、北島を睨んだ。
「俺も逃げる。国外にな。その分の金を出せ。渡航費はもちろん、当面の生活資金も含めてだ」
もう一度、撃鉄を起こした。
「いくらほしい?」
「二億。それ以下は受け付けねえ」
「ずいぶんとふっかけるな」
福士が片笑みを滲ませる。
「これでも遠慮してんだ。本当は十億ぐらいもらわねえと割に合わねえ。てめえらがガキどもを売り捌いた金を元手にいろんな事業を起こしてどのくらい稼いでるか、こっちはつかんでるからな。わかるか?」
にやりとする。
北島は暗に、福士たちが人身売買をして、その金をどう洗浄しているかも知っていると匂わせた。
「下手な真似しねえほうがいい。俺がくたばりゃ、てめえらのすべてを奪う情報が警察に流れるように細工してある」
そう言い、周りを見回す。
車の陰、倉庫に積み上げられているパレットの裏、壁沿いの階段を上がったところにあるクレーンの操作室や事務所に、人影がちらついていた。
「本当にそこまで調べているのか?」
福士は余裕を覗かせた。
北島は福士に笑みを返した。
「おまえら兄弟も、国際間の養子縁組でアメリカに行ったそうじゃねえか」
北島が言うと、福士の眉尻がひくりと動いた。
「おまえが五歳、大幸が七歳の時だってな。しかし、十年後におまえらは日本に戻ってきた。おまえらの養父母が何者かに殺されてな」
北島は淡々と話す。
常にポーカーフェイスだった相貌に怒りが滲む。
「養父母はめった刺しだったそうだな。あの銃社会でわざわざ刃物で執拗に刺して殺すなんざ、相当の恨みを持ってなきゃやらない殺しだ。さらに面白い話もある。その養父母ってえの、養子にもらったガキに売春をさせていたそうじゃねえか」
にやりとする。
福士は目を剥いた。
「次々と養子を取っちゃ、売春をさせて、十八になったら放り出す。そんなことを繰り返してたんだとな。とんでもねえクソだ」
北島は言い、福士を見据える。
「おまえらもひょっとして──」
「うるせえ!」
福士が怒鳴った。
「おいおい、何怒ってんだ?」
「うるせえと言ってんだ。それ以上、ぺちゃくちゃ、つまらねえことしゃべってんじゃねえよ」
福士は目を吊り上げた。
「てめえが調べてんのかって訊くから、話してやってんだろうが」
北島は照準を取り直すような素振りで前に出て少し左に移動した。
瀧川は転がって北島の後ろ姿を見た。北島の背中が福士の視界を塞いでいる。
瀧川は握っていた拳の中から手錠の鍵を取り出した。
5
倉庫に着く少し前のこと──。
北島は車を海沿いの路肩に停めた。
「こんなところで待ち合わせているんですか?」
「いや、現場はもう少し先だ」
北島はハンドルを握って顔を伏せ、ふうっと大きく息をついた。
「有村、公安の仲間を助けてえか?」
「そりゃ、もちろん。宮代兄弟を逃がすつもりもありません」
「おまえ、なんで作業班員なんかやってんだ?」
顔を上げて、瀧川を見やる。
「やりたくてやってるわけじゃないです」
「それでいいのか?」
「いいも何も、公安部は一度手に入れた駒は壊れるまで使い続けるんです。どんな手を使おうともね」
「ひでえ話だな」
「ひどいですよ。僕だけじゃない。一緒に潜入している他の作業班員も、いったん仕事に入れば、生きて帰れるかはわからない。文字通り、命がけです」
瀧川はため息をついた。
「おまえ、嫁さんも子供もいるだろう。知ってるのか?」
「教えてません。薄々気がついてはいるようですが。それでも教えてはいけない。知れば、家族にも危険が及ぶ可能性がありますから」
「そんなに厳しいのか、公安部は」
「部内でも、作業班は特にです。正体がバレて拷問を受けて、内部情報を吐きそうになった時は──」
北島を直視する。
「死ねと教育されています」
瀧川の目に憤りや絶望と覚悟の色が混ざる。
北島はその目力に気圧された。
「なあ、有村。おまえも逃げないか?」
「どういうことです?」
「俺が宮代兄弟から一生食うに困らない大金をかっぱいでやる。それを山分けして、宮代兄弟も公安も手の届かねえところに──」
「それは無理です」
瀧川は言葉を被せた。
「僕は内部の人間なのでわかりますが、宮代たちが海外に逃亡しても、外事や内調を通じて追跡が行なわれます。今回の事案で動いているのは日本の公安部だけではないんです。世界の主要捜査機関が連携して動いています。北島さんも関係者ですから、どこに潜伏してもいずれ逮捕されるでしょう。逮捕されればまだいい。他の組織に口を封じられるかもしれない。いくら金があっても、世界中の捜査機関を相手に逃げ切ることはできませんよ」
冷静に話して聞かせた。
「そこまで動いてたのか……」
北島はまたハンドルを握って、うなだれた。
北島も捜査側の人間。瀧川の話で、捜査態勢がどれほどの規模で敷かれているのか、十二分に理解した。
深いため息が口から洩れる。
「なあ、有村。どうすりゃ、俺は助かる?」
「僕らの捜査に協力すること。公安部員の救出に手を貸すこと。聴取には包み隠さず答えること。そうすれば、なんらかの救済はしてくれるかもしれません。ただし」
瀧川は北島を見つめた。北島が顔を上げる。
「免職は免れても、今後も公安部の仕事を手伝わされるかもしれませんね。それでも宮代たちの側に堕ちるよりはよっぽど穏やかに過ごせるでしょう」
「どっちに転んでも地獄か……」
北島は三度ため息をつくと、ハンドルを平手で叩いた。
「僕の伝手で、できる限りのフォローはさせてもらいます。少年課でいろいろとお世話になった先輩なので」
「おまえごときの下っ端に何ができるというんだ?」
「僕は総監や副総監に通じるルートを持っています。だから、公安部の専従員にされることなく、希望する少年課に入れたんです」
「本当か?」
「嘘だと思うなら、今ここで副総監に連絡を取ってみても構いませんが」
瀧川はスマホを出した。
北島はそのスマホをひったくった。
「そうやって、公安部に連絡を入れるつもりか?」
瀧川を睨む。
「信じるか信じないかは北島さん次第ですが、どのみち、今のまま突き進めば先はありません。宮代たちが北島さんに金を払うこともないでしょうし、場合によっては僕らと共にその場で殺されるでしょう。運よく逃げ出せたとしても、今度は公安部が総出で北島さんの行方を追う。どんなに金があろうと逃げ場はないですよ」
瀧川は理路整然と返した。
「おまえに協力をすれば、本当にフォローは入れてくれるんだな?」
瀧川を睨む。
「もちろんです」
強く首肯する。
北島はハンドルにかけた手元を見つめて逡巡した。そして、運転席のドアを開けた。
「表に出ろ」
「何をするんですか?」
「いいから、出ろ」
そう言い、ドアを閉める。
瀧川は北島がシートに置いたスマホを取って、外に出た。
北島は助手席側に回ってきた。
「後ろを向け」
命じる。
瀧川は思案した。このまま北島を殴り倒して逃げることもできる。しかし、それでは捕まったであろう白瀬を助けることができない。
仕方なく、後ろを向いた。
北島は瀧川の腕を取って後ろにひねり、いきなり手錠をかけた。
「何するんですか!」
瀧川が振り返ろうとする。北島は腰のあたりを膝で押さえた。瀧川の顔がボディに張り付く。
北島はもう片方の腕もひねり、両手首に手錠をかけた。
瀧川を反転させる。と、いきなり、顔面を殴りつけた。突然の北島の暴行を避けられない。
二発、三発と拳を喰らう。唇が切れ、口元に血が出る。鼻からも血が垂れる。北島は顔を見て、目元も殴りつけた。目の周りが腫れる。
「何するんだ!」
瀧川は北島を睨んだ。
「これでいいだろう」
北島は言うと、後部ドアを開けた。瀧川の頭を押さえ、中へ突き入れる。瀧川はシートにうつぶせになった。
「何なんですか、いったい!」
首をひねって北島を睨む。と、北島はポケットから手錠の鍵を出して、瀧川の右手のひらに置いた。
「手錠の鍵だ。持ってろ」
鍵を渡し、助手席に頭を突っ込んで、グローブボックスを開けた。中からリボルバーを取り出す。
北島は戻って、銃を見せた。
「こいつを腰の後ろに仕込んどく」
そう言い、瀧川のズボンに拳銃を銃身から差し込んだ。
「どうする気ですか?」
「俺がタイミングを見て暴れる。それまでに手錠を外して、お仲間も動けるようにしておけ。俺は車をおまえらに横付けする。おまえは敵と応戦しながら仲間と共に後部座席へ乗り込め。それから脱出する」
「それは危険だ!」
瀧川が首をひねって、北島を見上げる。
「他に手があるか? 連中と待ち合わせているのは倉庫だ。倉庫内にはヤツの仲間がうじゃうじゃ、俺たちを狙ってくる。一か八かしか、手はねえ」
「公安部に連絡を!」
「それはできねえ。まだ、おまえを百パーセント信じてるわけじゃねえんだ。公安部もな。条件次第では、俺は宮代に寝返る」
「ダメです!」
「おまえに指示される覚えはねえ。俺の生き方は俺が決める。そのまま後部座席で体を休めてろ」
北島は言い、後部ドア、助手席のドアを閉めて、運転席に乗り込んだ。シートベルトをかける。
「倉庫に着くまでに手錠を外して銃で俺を狙いやがったら、その場で撃ち殺す。可能性は閉ざすなよ」
そう言い、車を発進させた。
(つづく)