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「じゃあ、気をつけて帰ってね」

「先生、さようなら」

 母親に手を引かれた小学校一年生の女の子は、白瀬と早坂秋乃を見て手を振った。

 二人は女の子に笑顔で手を振り返し、送り出した。

 女の子の姿が見えなくなると、秋乃と共に大きく息をついた。

「有野先生、今日もお疲れさまでした」

 秋乃が言う。女の子は最後まで学童クラブに残っていた一人だった。白瀬は、ここでは“有野”という名前を使っていた。

「早坂先生こそ、お疲れさまでした。今日も忙しかったですね」

「このところ、預かるお子さんが増えてますからね」

 秋乃が息をつく。

 共働きが増えるにつれ、学童クラブはどこも定員を超えるほどの応募があった。

 キノコの里も定員ギリギリまで子供たちを受け入れているが、それでも応募は絶えず、待機している児童もいるほどだ。

 日本全国では少子化と過疎で統廃合する小中学校が増えているが、一方で、ファミリー層は子育てしやすい自治体に集中する傾向があり、そういう場所では昭和の時代と見紛うほど子供があふれ、学校もマンモス化している。

 キノコの里がある都内近郊の自治体も近年移住者が増え、大きなマンションも次々と建ってファミリー層が入居し、ここ数年で子供の数が倍以上増えた。

 キノコの里の運営母体ミライニの宮代福士は、今、新たに二つの学童クラブを開設しようとしている。

 職員の募集もしているが、労働環境がいいという噂が広く伝わっていて、この業界にしてはめずらしく、応募者も殺到していた。

「有野先生、早坂先生。お疲れさんでした」

 宮代大幸が大きな腹を揺らしながら部屋へ戻ってきた。

 園長の大幸はいつも最後の子供を見送った後、正門を閉める役割を担っている。

 三人は並んで職員室へ戻った。

 職員室には他の学童指導員もいた。みな、大幸を認め、笑顔で挨拶をする。そしてすぐ、デスクのパソコンに向かう。

 キノコの里では、基本、全体ミーティングはなく、申し送りはシステム上で行なわれる。

 職員がそれぞれの端末で、その日あったことや気になった点を報告日誌に記し、他の職員は自分たちの手が空いた時に確認することになっている。これも労働環境改善の一環だ。

 ミーティングが多いと、その時間は手を止めることになり、その分、自分たちの仕事は後ろ倒しになる。キノコの里では、そうした煩わしさを解消するよう努めている。

 白瀬は自分の席に戻ろうとした。が、ふと思い出したように立ち止まった。

「どうしました、有野先生」

 大幸が白瀬を見やる。

「遊具室の片づけを忘れていました。すみません」

「私がやっておきますよ」

 大幸が微笑む。

「いえ、今日は私の当番なので。すぐに片づけてきます」

 白瀬はそう言うと、小走りで職員室を出た。

 あわてている様子を演じつつ、遊具室に向かう。その際、廊下のあちこちをチラ見していた。

 働いている間、ちょこちょことカメラの存在を確かめていた。

 室内には数カ所、防犯カメラが設置されている。これは今のご時世、当然と言えば当然の措置なので気にはならない。

 が、もしここで児童ポルノまがいの映像が撮られているとすれば、防犯カメラ以外の盗撮カメラが仕込まれているはず。

 今のところ、そうしたカメラを見つけてはいないが、白瀬は事あるごとに探っていた。

 遊具室に入り、明かりを点けた。クッションフロアには子供たちが散らかしたおもちゃや本が散らばっている。

 多くの子供はきちんと片づけて帰るが、どうしても散らかしたままで帰る子も一定数いるので、その片づけは必須だった。

 おもちゃや本を拾い集め、棚に一つ一つ収めていく。

 乱れた本やおもちゃを丁寧に片づけるふりをしながら、棚の隅々を調べる。特に、違和感はない。

 隠しカメラの類が見つからなければ、アプローチを変えようと思っている。

 以前、更衣室も調べてみたが、そこにもカメラのようなものはなかった。他に怪しいと思われる場所は可能な限り調べてみたが、カメラはなかった。

 杞憂か……。

 そう思って去ろうとした時、ドアの上枠に不自然な輝きを認めた。

「なんだ……?」

 上枠をつぶさに見てみる。

 白瀬の目が一瞬鋭くなった。ただすぐ、布巾を取って、上枠の汚れを拭う。

 拭いながら確かめる。

 ガムテープが貼られているのかと思ったが、それはレンズカバーだった。

 ビニールテープのように加工してあるが、その奥にかすかに光るものが見える。

 色も上枠と同じ焦げ茶色のテープを使っていたので、一見ではわからなかった。

 さらに見てみると、上枠は一本の木ではなく、木目の薄いプラスチックカバーだった。

 ドア回りを拭いながら、カバーの端を確かめてみる。かすかに切れたつなぎ目の奥に配線が覗いた。小型カメラが埋め込まれている。

 こんな細工をしてやがったのか……。

 なかなか巧妙だった。

 ただこれが盗撮するための仕込みなのか、職員にも知らせていない管理側の監視カメラなのかは判別できない。

 しかしともかく、怪しいものは見つけた。

 今はこのラインを追ってみるしかない。

 確かめながら掃除をしていると、大幸が不意に姿を見せた。

「有野先生、掃除までされていたんですか」

 白瀬は少しぎくりとしたが、体の反応は最小限に抑え、笑みを浮かべた。

「なんか汚れが気になったので、つい。埃は丁寧に払っておかないと、これからの時期、ダニが湧いたりしますからね」

「そうですね。でも、あまり丁寧に掃除されていると、残業になってしまいますから、それはまた明日にしてください」

 大幸が笑顔で言う。

「そうですね。気づきませんでした、すみません」

 白瀬は手に持っていた布巾を棚の端にあるバケツに引っ掛けた。

 キノコの里では、基本残業はできないことになっている。残業しなければならない業務量になると、職員を増やしたり、システムを改正したりして即座に対処していた。

 そういうところもまた、学童指導員たちには好評だった。

「では、私はこれで」

 白瀬は会釈し、職員室へ戻る。

 あのカメラの映像をどこかで確認して、飛んできたのか?

 そう思えるほどの大幸の動きだった。

 有線でつながっているのであれば、園長室のパソコンか。もしくは、ネットワークカメラなら、独自のIPアドレスを設定しているに違いない。

 どうにか調べる方法はないものかと思うが、ドア枠に発見が難しいカメラを仕掛けているとなれば、園内のあちこちにそうしたカメラがあるのだろう。

 それは盗撮もできれば、職員の監視用にも使える。

 あまり大胆な動きを見せれば、疑われるだけだ。

 機会を待つしかないか……。

 白瀬はあれこれ考えつつ、自席に戻って、日報を記入し始めた。

 

 

 藪野は昼間から薄毛で小柄な中年男性と新宿のカラオケボックスにこもっていた。

 男性は、先日、つぼみクラブのオフ会でナルミから紹介されたヨミという男だ。

 ヨミと会っているのは、互いのコレクションを見せ合うためだ。愛好家同士、オフ会のようなイベントで披露することもあれば、個別に会って、それぞれのコレクションを見せ合うこともある。

 先日のオフ会でヨミと話していた時、ヨミがつぼみクラブの古参であり、ナルミからの信頼も厚いことがわかった。

 なので藪野は、このヨミを突破口にして、つぼみクラブの奥へ潜ろうと考えた。

 ヨミは室内へ入ってからしばらくは、アイドルの歌を延々と歌っていた。へたくそな歌を聴かされるのはたまったものではないが、これも仕事と割り切った。

 酒でも飲みたいところだが、藪野演ずる“ミツオ”は下戸ということになっている。

 ヨミも下戸なので、合わせた。

 ヨミはひとしきり歌って満足すると、ストローを咥え、オレンジジュースを音を立てて啜った。

 げっぷをして、フライドポテトをくちゃくちゃと食べ、またげっぷをする。

 下品の塊のような男だった。

 愛好者の中にはスーツをビシッと着ている者や街を歩いていればそこいらの大学生にしか見えないような者など、一見して児童ポルノマニアとは思えない者もいる。いや、どちらかといえば、そういう者の方が多い。

 ヨミのような、典型的というか、誰もが想像する“変態”を体現している男はめずらしい。

 ヨミは腹を満たすと、にへらと笑った顔を藪野に向けた。

「ミツオさんのコレクション、見せてもらえます?」

 ねとっとした口ぶりだ。虫唾が走る。

 しかし藪野は、同じようににへらと笑い、脇に置いていたリュックを開けた。中からホルダーを取り出す。

「ほんとはこんな形で持ってるのは危ないんですけどねー。私はこの形が好きなもんで」

 藪野も同じようにねっとりとした口調で話し、ホルダーをテーブルに置いた。

「わかります。僕もデジタル画像で乱雑に保管しているより、チェキのような形で保管して時々眺めるのが好きなんです。なんかほら、印刷した写真の方が、ナマ感があるじゃないですか」

 そう言い、また気持ち悪い笑みを覗かせる。

 どういう生き方をしてきたのかと思う。が、それももうすぐわかる。

 藪野はヨミが歌っている時、スマホを操作するふりをしながら動画を撮っていた。その画像で調べれば、ヨミの正体は判明する。

「見させてもらってもいいですか?」

「どうぞどうぞ。そのために持ってきたものですから」

 藪野が言う。

 中に入っている写真は、以前、児童ポルノ禁止法で捕まった者から押収したデータを加工したものだ。

 ミツオは鼠径部と腰回りが好きで、直接的な裸の画像には興味がないというキャラクター設定をしている。

 それに合わせて、公安部が巧妙に加工して揃えたのだった。

「じゃあ、僕のもどうぞ」

 ヨミがリュックから横長のアルバムを出した。

 藪野は手に取った。何度も眺めているのか、アルバムの表紙や端々は黒ずんでいた。

 開いてみる。思わず、顔をしかめたくなる写真が目に飛び込んできた。

 幼児のまったりとした腰回りが好きだと語っていたが、その通りの写真がアルバムを埋め尽くしている。

 幼児の顔は写っていない。顔には興味がないようだった。

 撮影されている場所は公営プールや運動会、公園やテーマパーク、ショッピングセンターなど。子供のいるあらゆる場所で撮られていた。

 近頃は、行政や一般企業もそうした盗撮行為には目を光らせ、対策を取っている。

 にもかかわらず、ヨミの写真は、それらを嘲笑うかのようにいろんな場所で鮮明な写真を撮っていた。

「すごいですねえ。どうやって撮影しているんです?」

 藪野は訊いた。

「僕の場合は望遠です。ほら、このところ、子供に近づくだけで下手をすれば警察に通報されるでしょう? なので、最近は野鳥の撮影をしながら、時々ターゲットにレンズを向けるんです。野鳥の画像百枚に対して、ターゲットの画像が一枚なら、職質された時でもまず気づかれませんしね。見つかってもたまたま写ったと言い張れますし」

「なるほど、なるほど」

 藪野は感心したようにうなずいたが、胸中には怒りが渦巻いていた。

 取り締まる側が技術の進歩に追い付いていない一例だ。

 以前であれば、望遠レンズを抱えている者がいれば怪しんでいたが、今は素人でも立派な撮影機材を持って、街中を歩いている。

 そういう者たちをいちいち疑うわけにはいかない。

 ヨミのような怪しい風貌であれば声をかけることもあるだろうが、周りに溶け込んでいる風体の者なら、気づかないうちに盗撮しているだろう。

 なんとか効率的な防止策を取りたいが難しい。盗撮する輩やグループを見つけては一人一人一カ所ずつ潰していくしかないのが現状だった。

「ミツオさんの写真も素晴らしいですね。接写もあるようですが、どうやって撮っているんですか?」

「私は直接撮っているわけではないんですよ。それ、よく見ていただけるとわかると思いますけど、実はネットで拾った画像を加工したものなんです」

「加工物ですか、これ!」

 ヨミが目を見開いた。

「実は私、二度ほど逮捕されていまして」

 藪野は苦笑いを覗かせた。

「カメラを持っていると、すぐ職質されるんです。なんか、出回ってるんですかねえ。だから、新しい写真を撮ることができなくて。でも、好きなものは好きですからね。なんとかしたいと思って、ネットで画像を集めていたんです。それで自分の好きな部分を加工し始めたら、ちょっとおもしろくなってきまして」

 へらへらしながら、気持ち悪いことを口にする。しかし、ヨミはふんふんとうなずいていた。

「その画像収集をしていた時にカネミンさんと知り合ったんです。あまりにいい写真を撮っているので、ついDM送ってしまって。そうしたら、カネミンさんがコレクションを譲ってくれて。カネミンさんの写真を加工したものも後ろの方にありますよ」

 藪野が言うと、ヨミはぱらぱらと後ろのページをめくった。

「これ、いまどき珍しい。カネミンさんのじゃないですか?」

 一枚のブルマーの写真を指す。

「そうですそうです。やっぱり、わかりますか」

 藪野は言ったが、本当に兼光の写真かは知らない。

「わかります。カネミンさんの写真って、同じ構図で撮ってもなんか違うんですよねー。色気があるというか、痒い所に手が届くというか」

「そうですね。あの腕はうらやましい限りです」

 藪野は話を合わせた。

「それじゃあ、ミツオさんはもうご自分では撮影されないんですか?」

 ヨミが訊いてきた。

「機会があれば、また自分で撮りたいと思っているんですけどね。やっぱり、自分が撮ったものは味が違いますから。でも、しばらくは難しそうなので、いろんな方から写真をいただいて、加工を楽しみたいと思っているところです」

「そういうことなら、紹介しますよ」

 ヨミが唐突に言った。

「紹介とは?」

 藪野が首を傾げた。

「つぼみクラブのメンバーには、ミツオさんの好きな年代の子の写真を撮っている人も大勢います。愛好者同士なので、タダで譲ってくれる人もいるでしょうし、ミツオさんが交換する写真がないというなら買い取ることもできます」

「それはありがたい! でも、買うにしてもお高いんじゃないですか?」

 おずおずと訊ねる。

「それは交渉次第ですが、ミツオさんが難しいようなら、僕が仲立ちしてもいいですよ」

「本当ですか! けど、どうして私にそんなによくしてくれるんですか?」

 藪野はおずおずと訊いた。

「ミツオさんが僕のような人と話してくれるからです」

 ヨミが真顔で藪野を見つめた。

 そして、うつむく。

「僕は小さい頃からこんな容姿で、運動も勉強もあまりできなかったし、大人数で話すのも苦手だったから、いつも一人だったんです。緊張するとつい笑ったような顔になるんで、それでいじめられていたこともあるし。だから、誰かと気さくに話すなんてことはなかった。でも、ミツオさんとはなんか気軽に話せるというか、気負わずに済むというか……。あ、すみません」

「いやいや、私も似たようなもんです。趣味はともかく、やたら明るくて空気を読める人以外は相手にされないですもんね。私もヨミさんと話しているとホッとします」

「そんなこと言われたの、初めてです」

 ヨミが照れ笑いを覗かせる。

 彼の作っていない表情を見たのは、初めてだった。

 ヨミの人生には多少の同情を禁じ得ない。

 とはいえ、やっていることは犯罪でしかない。

 食い込む手掛かりはつかんだ。

 藪野は私情を払い、ほくそ笑んだ。

 

 

(つづく)