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4(承前)

 

「健太郎君、よく考えて!」

 瀧川は身を乗り出した。

「昨晩、話を伺って、一晩じっくりと考えました。そして、公安部の人たちに会って、僕も協力しなければと思いました。有村遙香さんのお父さん」

 健太郎は瀧川を見て言った。

 瀧川の顔が強ばった。

「なぜ、それを……?」

 すぐに振り返り、鹿倉と日埜原を睨みつける。

「健太郎君を安心させるために話したんだ。悪く思うな」

 日埜原がしゃらっと言ってのける。

 瀧川は拳を握り、震えた。

「健太郎君が学校に戻って、君の素性を明かすことはない」

「そういう問題じゃないでしょうが!」

 瀧川は両手のひらをテーブルに叩きつけて立ち上がった。

 健太郎がびくっと弾み、尻を浮かせた。

 瀧川はかまわず、日埜原に詰め寄った。そして、両手で胸倉をつかんだ。絞って、顎を殴るようにかち上げる。

 日埜原は一瞬、衝撃に顔をしかめた。

「僕が素性を明かさないのは、家族に危険が及ぶかもしれないからだ! 作業班員の仕事はそういう仕事でしょうが! 健太郎君を信じる信じないじゃない。周囲への危険は極力減らす。そうしないと、捜査に専念できないのが僕らの仕事でしょうが!」

 瀧川はそのまま壁まで日埜原を押し込んだ。日埜原は背中を打ち、呻きを漏らした。

「僕は下りる。二度とあんたらの仕事はやらない」

 日埜原の胸を突き、手を離した。背を向け、健太郎のもとへ歩き、腕をつかむ。健太郎は引っ張り立たされた。

「どこへ──」

 健太郎が戸惑っている。

「みんなを助けに行く。案内してくれ」

 瀧川は健太郎を引っ張り、ドア口へ向かう。健太郎はどうしていいかわからず、抵抗しつつ、他の者たちの方を何度も向いた。

 すると、藪野が立ち上がった。ポケットからハンカチを出し、右拳に巻きつけながら瀧川の後ろに近づく。

「おい、瀧川」

 声をかけ、右肩に左手を置いた。

 瀧川は振り向きざま、右肘を藪野の顔面あたりにめがけて振った。

 藪野はスッと屈んだ。瀧川の肘が頭頂を掠め、髪の毛がふわっと揺れる。

 藪野は膝を伸ばすと同時に、ショートアッパーを突き上げた。瀧川の顎にヒットした。瀧川の顎は跳ね上がり、首が反り返った。

 健太郎の腕から瀧川の手が離れる。顔が前に戻ってくる。そして、両膝からストンと落ちた。

 藪野はとっさに瀧川の両脇に腕を通し、抱き留めた。そのままゆっくりしゃがみ、瀧川をフロアに仰向けに寝かせる。

 瀧川は気絶していた。口からは少し血が出ている。

 健太郎は瀧川の姿を見て、蒼ざめていた。

「心配すんな。死んじゃいねえ」

 藪野はしゃがんだまま、健太郎を見上げた。

「だがな、中坊。これから相手にするのは、この程度じゃ許してくれねえ相手だ。バレりゃ、本気でおまえを殺しに来る。本物は容赦ねえぞ。それでも体張ってみようってのか?」

 そう言って、健太郎を見つめる。

「藪野。子供を脅すな」

 鹿倉が言う。

「脅しじゃねえ。俺もこいつの協力には賛成だが、覚悟がねえと、つまらねえ死に様を晒すだけだ。くたばってくれるならまだいいが、敵に寝返られでもしたら、こっちが危ねえ。どうなんだ、小僧」

 藪野は睨んだ。

 健太郎は多少動揺し、視線を逸らした。しかし、固く目をつむって、開くと、藪野をまっすぐ見返してきた。

「やります。僕たちだけの問題じゃないですから」

 健太郎の目の色は力強い。

 藪野はゆっくりと立ち上がった。肩に手を回し、ポンと叩く。

「じゃあ、やろうか。一つだけ。瀧川が有村遙香の父親だってことは忘れろ。金輪際、誰であろうとそれを口にするな。その意識を持って、実践しろ」

「わかりました」

 健太郎は強く首肯した。

 それを見ていた鹿倉が口を開いた。

「では、健太郎君を戻す線で、今後の動きを組み立てよう」

「瀧川君、どうします?」

 白瀬がちらっと仰向けに伸びている瀧川に目を向ける。

「寝かせておけ。時間がない」

 鹿倉はさらりと流し、会議を始めた。

 

 

 少年課の北島は、一人で深夜の新宿を歩いて回っていた。

 相変わらず、深夜徘徊している青少年は多い。

 深夜の見回りは一、二カ月で人と場所を変える。長く回っていると、子供たちに名前と写真が出回って、警戒される。

 この頃はスマホがあるので、情報の拡散も早い。警察の見回りはだいたい時間が決まっているが、何時にどのあたりという情報まで出回っているので、逃げられる。

 まさにいたちごっこではある。

 なので、たまにいつもは見回りに出ない時間帯に単独でふらっと歩いて回り、見つけた者を容赦なく補導するという強硬策を取ったりもする。

 新宿東宝ビル前の広場に出る。トー横キッズのたまり場として有名になったところだ。人は多いが、ガードも設置され、重点警戒地区として警察官が四六時中徘徊しているからか、ひと頃のように地べたに座り込んでいる若者はいなかった。

 北島は適当に路地に入った。表にはいなかった若者たちが、そこかしこに溜まっている。ただ、人が来るとさりげなく立ち上がり、散り散りになっていく。

 北島は店を探している中年を装い、ふらふらと路地を歩いていた。

 と、路地の壁にもたれている三人ほどの女の子の中に、見かけた顔があった。北島はゆっくりと近づいた。

 一人の女の子が北島を認め、睨みつけてきた。その視線に気づき、他の二人も北島を見る。

 と、一人の女の子が顔を強張らせ、声を張った。

「サツだ!」

 三人は一斉に立ち上がった。路地から走り去ろうとする。

 北島は叫んだ女の子の腕を握った。

「離せ!」

 暴れて睨む。

「おまえ、なんべん補導されりゃあ、気が済むんだよ……」

 北島は呆れた顔でため息をついた。

 女の子は、以前補導した際に北島が手錠をかけたしのぶだった。

 フルネームはほししのぶという。私立の中高一貫校に通っていたが、不登校で退学。今は公立中学に籍を置いているものの、学校にはまったく行っていない。

 母は高校教師で、父は教育評論家だ。父は時折メディアにも顔を出す著名人だが、番組や著書で娘の現状を語ることは一切ない。

 母親は娘のことを気にしているものの、自分の仕事が忙しく、十分なケアができていなかった。

 補導されるたびに母親が迎えに来るが、父親は一度たりとも顔を出したことはなかった。

「離せよ、おっさん!」

 噛みつかんばかりの勢いで暴れる。

「こら、あまりひどいと、また手錠かけるぞ」

 北島はしのぶを睨んだ。

 しのぶは北島を睨み返したものの、抵抗をやめた。

 北島は腕を握ったまま、しゃがんで壁にもたれた。

「座れ」

 北島が言うと、しのぶはうつむいて、北島の横にしゃがんだ。

「なあ、おまえ。いつまで、深夜の徘徊を繰り返すつもりだ? こんなことしてたって、何も変わりゃしねえだろうが」

「別に何かを変えたいなんて思ってねえよ」

「嘘つけ。親の気を引きたいだけだろ? ガキだな」

「わかったようなこと言ってんじゃねえよ!」

 しのぶは怒鳴って、立ち上がろうとした。

 北島は強い力で引っ張り、座らせる。しのぶの尻が地面に落ちた。

「だいたい、親がしっかりしているのにふらついてるガキは、親の愛情不足からくる不良行動を起こす。データが出てるんだ。間違っちゃいねえ。認めちまったらどうだ?」

 北島が言うと、しのぶは両膝を立て、地面を睨んだ。

「俺らもな。おまえらみたいなガキに毎日毎日振り回されるのはやってられないんだよ。おまえらが大人になってくれりゃあ、少年課なんてのはいらなくなる」

「だったら、警察やめりゃあいいじゃないか」

 しのぶが言った。

「そうできるなら、そうしてえ。けど、大人には暮らしってもんがあって、それには金が要る。公務員は取りっぱぐれがねえから、続けてるだけだ」

「そんなんでいいのかよ、サツのくせに」

「警察官にも志を持って入ったヤツもいりゃあ、俺みたいに警察官にでもなるかって感じでなっちまったハンパな警官もいる。世の中と変わらねえよ」

 北島は笑った。

 そのぶっきらぼうな物言いに、しのぶもなぜか笑ってしまった。

「あんたもダメな刑事だね」

「ガキには言われたくねえけどな」

 にやりとする。

「おまえはこれからどうしたいんだ?」

 北島が訊く。

「そんなのわかんねえよ」

「わからねえじゃなくて、考えろ。思考が停止すると、堕ちるとこまで堕ちてしまう。おまえは私立中学に入るほどの頭があるんだ。何も考えずにその日を生きてるガキとは違うだろうよ」

 北島が言うと、強ばっていたしのぶの腕の筋肉が緩んだ。力を抜いた。つまり、北島に少し心を許した反応だ。

 北島も握っていた指の力を少し緩めた。

「なあ、おまえ、自分の手で人生を変えてみる気はねえか?」

 北島が言う。しのぶは北島を見やった。

「人生を変えるって、どうすんだよ」

「思い切って、家を飛び出してみねえか?」

 北島の言葉に、しのぶは目を丸くした。

「何言ってんだ。あんた、サツだろ? 家出を勧めていいのかよ」

「少年課で補導をしながら、いつも思ってたんだよ。補導すりゃあ、よほどのクソ親でない限り、親元に戻されるだろ? だが、結局、家に居場所を見つけられずにこういうところに戻ってきちまう。戻るだけならいいが、そのままクソみたいな連中にいいように扱われて、どんどん闇に堕ちていく。戻れねえところまで堕とされる。そうなると、人生は取り戻せなくなる。俺的には、なんでもかんでもパクって、親権者の下に戻すのが正解だとはどうにも思えねえんだ」

「だから、家出しろと?」

「家出ってのはちょっと違う。新しいおまえになってみねえかって話だ」

「どういうこと?」

 しのぶは話が見えずに、首を傾げた。

「ハッキリ言ってよ」

 しのぶが言うと、北島は顔を向けた。まっすぐ、しのぶを見つめる。

「養子になってみないか?」

「えっ」

 思わぬ提案に、しのぶは目を見開いた。

「おまえなら、いいところに行ける。容姿も悪くねえし、頭もいい。新天地で自分の人生を切り開いてみないか?」

「ちょっと……何言ってるか、わかんないんだけど」

「俺は、国際養子縁組の組織とちょっとしたコネがあるんだ。俺の紹介なら、いいところに拾われる。こんな息苦しい日本に留まってねえで、世界で自分の立ち位置を見つけたらどうだ?」

「なんだよ、それ」

 しのぶは北島の手を振り払った。立ち上がって、北島を見下ろす。

「そんな気持ち悪い話に乗れるかよ。あんた、ろくなことしてないね。これだから、大人は嫌なんだよ。あんたの話に乗るくらいなら、家に帰るよ」

 しのぶはキッと北島を睨み、背を向けた。歩きだす。

 北島はスッと立ち上がった。ポケットから小さな四角い懐中電灯のようなものを取り出し、先端をしのぶに向ける。

 そして、スイッチを押した。電極のついた二本のワイヤーが飛び出した。しのぶの背中に刺さる。しのぶが仰け反った。

 もう一度、スイッチを押した。瞬間、しのぶは直立になり、ぶるぶると震えながらその場に倒れた。背中に刺さった電極付近ではジジッと音がし、少し服の焦げた臭いもする。

 北島はゆっくりとしのぶに歩み寄った。

 しのぶは直立で倒れ、びくびくと震えながら、北島を見上げた。

「な……に……」

 北島は屈んだ。ポケットからスポイトを取り出す。

「ブツがいるんだよ。おまえみたいなクソガキがうってつけだ」

 北島はしのぶの両頬を片手で握り、口を開かせた。しのぶは痺れていて、抗えない。

 助けて……助けて!

 心の中で叫んでも、かすかに呻きが漏れるだけで声にならない。

 北島はスポイトに入った液体を口の中に垂らした。そして、口を塞ぐ。

 しのぶは吐き出すこともできず、飲み込んだ。少しして、意識が揺れ始め、強烈な眠気に襲われた。

 まもなく、しのぶは意識を失った。

 北島はしのぶの様子を確かめ、屈んだまま、スマホを取り出した。番号を表示し、タップする。

「……もしもし、俺だ。上物が手に入ったんで、回収してくれ。場所は──」

 話しながらしのぶを見下ろし、にやりとした。

 

 

(つづく)