2
救急車を要請したにもかかわらず、日埜原は覆面パトカーで静かにアパートを訪れた。
私服の作業員が女性の応急処置をし、アパートから運び出した。運び出す時は、アパートや近隣住民の目につかないよう、見張りを立てた。
まるで誘拐だった。
その措置に憤りつつも、公安部案件であることを考えると、仕方ないと思う部分もある。
日埜原は瀧川に、そのままアパートに残り、家の中を探れと指示し、作業員と共に去っていった。
一人残された瀧川は、心中複雑ながらも、家探しを始めた。
洋間やキッチンはゴミだらけで手を付ける気にならない。
瀧川は手始めに、健太郎の部屋から捜索を始めた。
制服やカバンを探ってみる。カバンの中には教科書や体操服が入っている。教科書を置いているカラーボックスの横に張り付けられていた時間割を見て、カバンの中身と照らし合わせる。
どうやら、中身は先々週の授業の用意をした分らしい。遙香から聞いた、健太郎が部活に顔を出さなくなった時期と一致する。
学生証を入れている財布をまさぐる。金は小銭が百円しか入っていない。レシートもなく、学生証の他には何もなかった。
教科書の入っているカラーボックスから、本やノートをすべて引っ張り出した。
教科書は使い込まれているが、きれいだった。アンダーラインを引いたところもない。
ノートを見ると、丁寧に要点がまとめられていた。こちらには、マーカーや色付きボールペンで細かな書き込みがある。
問題集とノートがセットで置かれていて、ノートには回答を書き、正解したところにも間違ったところにも細かい書き込みを入れていた。
本当に頭の良い子だったんだなと感心する。
教科書にマークを入れてしまうと、そこにしか目がいかなくなり、肝心なポイントを見逃すことがある。
逆に、ノートにしっかり書き留めておくと、自分の理解しているところとしていないところを的確に把握でき、弱点を強化できる。
瀧川自身は、どちらかというと教科書にマークを入れてしまう方だったが、学生時代に頭がいいなと思った同級生はみな、そうした勉強方法を行なっていた。
教科書の入っていたカラーボックスには、他に小説や時事問題の本などがあったが、奥の方にアルコール依存症の本もあった。
おそらく、母親のアルコール依存を気にしていたのだろう。
治療方法や専門病院を記したページの角は折られていた。
ここにもまた、境遇に苦しむ少年がいた。
表では華やかな振る舞いをしていたにしても、胸中は苦しかっただろう。この部屋で独り、アルコール依存症の本を読んでいた健太郎に思いを馳せると、胸が痛くなった。
見えないところに、こうした子供たちがたくさんいるのだろうと思うと、一刻も早く、少年課に戻りたいと思う。
しかし、今は健太郎の捜索が先だ。
何か手掛かりはないかと、懸命に探してみるが、日記や予定表のようなものはなく、手掛かりになりそうなものは見当たらない。
カラーボックスの裏や本も一冊ずつ調べてみたが、特段、気になるところもない。
いつのまにか、数時間が経過していた。
「やっぱり、洋間かキッチンを探してみるしかないか……」
ため息をついて立ち上がり、健太郎の部屋を見回している時、ふと気づいた。
そういえば、遙香は授業や宿題にタブレットを使っていた。学校指定のタブレットだと言っていた。
しかし、遙香が使っていたようなタブレットはない。
「ここにもあるはずだが……」
もう一度、バッグの中を見てみるが、見つからない。
ひっくり返した服や本を退けながら部屋の隅々まで探したが、やはりない。
「持って行ったのか?」
タブレットがあれば、それは役に立つと思うが、何かを調べるのであれば、スマートフォンが一台あれば足りる。
衣服の様子から見ても、そう遠くに行くつもりはなかったように思える。ならば、なおさら、タブレットは邪魔でしかないだろうが……。
健太郎の部屋に見切りをつけた瀧川は洋間に戻った。
ゴミの山をかき分け、テーブルの上や下を見てみる。洋服が積み上げられたタンスにたどり着き、一枚一枚ゴミの山に投げ、探す。
タンスが姿を現わしたので、引き出しを開けてみる。
すると、一番下の段の奥に、遙香が使っているものと同じタブレットが見つかった。
「なぜ、こんなところに……」
タブレットのカバーを開いてみた。
と、はらりと紙が落ちた。拾って、見てみる。
タブレットのログインIDとパスワード、それとは別にURLが記され、そのサイトへのログインID、パスワードも記されていた。
URLにはbankという文字がある。
瀧川はその場に座り込み、タブレットを起動した。
タブレットにログインし、ブラウザを立ち上げた。メモに書かれたURLを入力すると、アメリカの銀行のトップページが表示された。
ページ全体を翻訳し、ユーザーのログイン画面に移動して、IDとパスワードを入れる。エンターをタップすると、ログインできた。
口座名はSAYOKO HAYASHIDAとなっている。
その残高を見て、瀧川は目を見開いた。
残高はドルで表示されている。そこには、五百万ドルが入金されていた。
現在のドル円レートで換算すると、約七億一千万円もの大金だ。
「なんだ、これは」
振込相手はIFAUCと記されている。
瀧川はタブレットを手にして、いったんアパートを出た。
(つづく)