第二章
3
Zと名乗る男は黒塗りのSUVの後部座席に座り、大黒ふ頭にある倉庫の中で人を待っていた。
運転手は男性。Zも運転手も、顔の上半分を覆う黒い仮面をつけていて、顔を隠している。
倉庫の扉が両サイドに開いた。黒塗りのハイヤーが入ってくる。車が完全に中へ入ると、扉が静かに閉じた。
倉庫内は真っ暗だった。
先にSUVがヘッドライトを点けた。ハイヤーも呼応するようにヘッドライトを灯す。
倉庫内が明るくなった。
ハイヤーの扉が開いた。スーツを着た人間が運転席と助手席から降りてくる。後部座席からはカラフルな柄のシャツと白いチノパンというラフな格好をした小柄で角刈りの男が出てきた。
SUVからは、後部座席にいたZだけが降りた。ロングコートの裾をたなびかせる。
お互いが車のフロント部に回り込む。そして、対峙した。
LEDライトの明かりがまぶしすぎて、互いの顔は確認できないが、それでよかった。
互いの顔をさらさずに取引できるのが、インターナショナル・ファミリー・オークション、略して〈IFAUC〉の利点だからだ。
「ミスターZ。私を呼び出すとはどういうことか?」
流暢な日本語で話すが、相手は中国人だ。
オークションの仲介者で、日本に滞在しながら、中国や諸外国からのクライアントの要望を受けて、ファミリーオークションに参加している。
Zが主催する人身売買のオークションに参加できるのは仲介者のみだ。エンドユーザーが直接取引に参加することはない。
商品の確実な受け渡しと金銭トラブルを回避するためだ。
目の前にいるのは、陳陽と名乗る中国人だ。本名は知らないが、IT技術者の就労ビザを取り、何度となく日本に出入りしている。
パスポートとビザは確認済み。住まいも湾岸エリアにマンションを購入して、そこで暮らしているのを確認している。
陳はやり手で、高額商品を仕入れては高値で転売している。逆に言うと、陳に買われた人間はその先がどうなるかわからないといった不幸を背負いこむことになる。
「いつも、うちのオークションに参加していただき、ありがとうございます」
Zは軽く腰を折った。
「礼を言うために呼んだのか?」
光の向こうから疑うような眼差しを向けてくる。
「さっそく用件ですが、先日、サッカーのうまい十四歳の男の子を落札されたと思いますが」
「それがどうした?」
「一千万ドルで落札いただいたはずですが、少しまけてほしいと申し出ているとか。どういうことでしょうか?」
Zは静かに聞いた。
「まけろと言っているわけじゃない。手数料は買取金額から引いてくれと言っているだけだ。一千万ドルの取引で手数料が八万ドルというのは少々高いと思ってね。相談させてもらっただけだ」
「そうですか。お話は承知しましたが、初めのオークション参加条件に手数料に関しては異論を挟まないという項目が誓約書にあったと思うのですが」
「それは知ってる。ただ、八万ドルは高いんじゃないかと言いたいんだよ。日本円にすれば一千万円近くだ。商品一つならともかく、十人落とせば一億かかることになる。それはいくらなんでも取りすぎじゃないか?」
陳は不満を声高にまくし立てた。
中国人の常套手段だ。最初はルールに従うふりをしつつ、自分が有利になる条件を威圧的に提示して、一円でも二円でも得しようとごねる。
近頃は、契約に忠実な常識のある中国人ビジネスマンも多いが、隙を見せると、すぐ目先の利益を得ようと画策する。
「手数料が割高なのは、万全の受け渡し態勢を取るためだと説明しましたが?」
「内訳は?」
「それはあなたに教えることではありません。ご不満なら参加されなければよろしい。退会手続きをしましょうか?」
光の中でZの口角が上がった。
逆にそれを見て、陳の口辺が下がる。
「他の参加者はルールを守ってくれています。あなただけ特別扱いするわけにはいきません」
Zが言うと、陳は媚びるような笑みを浮かべた。
「俺とあんたの付き合いじゃないか。そう固いことは言わずに」
猫なで声で取り入ろうとする。
「できません」
きっぱりと言い切った。
すると今度は、笑みを引っ込め、低い声を出した。
「いいのか? 俺はあんたの悪行を知ってる。俺が告発すれば、あんたの商売は終わりだ。俺も終わるが、あんたの方が被害はデカいだろうな」
したり顔で言った。
それを聞き、Zは笑った。笑い声が倉庫内に響く。
「何がおかしい!」
陳は怒鳴った。
「取り入ろうとしたかと思えば、次は脅し。あなた方は本当に何も考えず、目先の利益にしか興味がないのですね」
「悪いか!」
「いいえ。しょせん、あなた方はその程度の小物ということです。もちろん、そうでない方がいらっしゃるのも知っていますがね。あなたに限っては、そこいらを歩いているチンピラより情けない。警察でもどこでも駆け込めばいいでしょう。どうぞ、止めませんので」
「おまえ……」
陳が拳を握った。光が揺れ、怒りに震えているのがわかる。
しかし、Zは平然としていた。
「あ、そうそう。あなたが競り落とした少年は、手数料を含めた全額、耳を揃えて入金しない限り、お渡しできませんので。それと、再び手数料の話でごねた時は、強制退会してもらいます」
Zは言い、車へ戻ろうと背を向けた。
陳は背後に立っていたスーツの男二人を見やった。
男たちがそろそろと胸もとに手を差し入れる。
SUVの運転手が窓を開けた。センターコンソールから銃を取り出す。Zが陳たちの視線を背中で遮る。
運転手が銃をZに放った。
陳の後ろにいたスーツの男たちも銃を抜き出す。男たちは腕を起こし、銃口をZに向けた。
Zは銃をつかんだ。すぐさまスライドを引いて弾を装填し、振り返る。コートの裾が舞う。
耳をつんざくような銃声が倉庫内に轟いた。火花が瞬き、硝煙が立ち上る。
陳は男たちの後ろに隠れ、頭を抱えてしゃがみこんだ。
Zは避けようともせず、仁王立ちで引き金を引いた。頬を弾丸が掠め、一筋の傷ができる。血が流れても構わず、撃ち続ける。
陳の右側の男が眉間を貫かれ、後方に飛んだ。ボンネットに仰向けに乗り、そのままがくりと首を傾けた。後頭部から流れる血がボンネットを伝う。
Zはすぐに左側のスーツ男に銃口を向けた。男の右肩を銃弾が抉った。男の体が回転し、手から銃が飛ぶ。
スライドが上がった。陳とスーツ男を見据えたまま、Zは左手を後ろに出した。
運転手が降りてきて、Zの左手のひらにマガジンを載せる。
Zは銃のリリースボタンを親指で押した。マガジンがグリップから真下に落ちる。
素早く左手のマガジンを差し込み、スライドを引いて、再び引き金を引く。
陳の左にいた男の体を弾幕が襲う。男は血をまき散らしながら踊るように舞い、壁に激突した。
Zは弾を撃ち尽くした。
男は壁に血肉をこすりつけ、ずるずると崩れ落ち、絶命した。
運転手がもう一本の新しいマガジンを持ってきた。
Zはそれを受け取り、歩きながらマガジンを入れ替えた。
陳の前に立ち、スライドを引いて弾を装填した。
その音に陳はびくっと身を竦ませた。
「わ……悪かった。金は払う。二度と意見はしない」
陳は笑顔を作った。眉尻は下がり、頬が引きつっている。それでも笑顔を崩さない。
Zは応えるように笑みを返した。
陳の目尻に安堵が浮かぶ。
「すまなかった、本当に。これからも今まで通りの付き合いで頼むよ」
陳はすがるようにZを見上げた。
「金はもういらないよ」
「どういうこと……です?」
「あなたのような人はいなくなってもらうのが一番だ」
銃口を陳に向ける。
「ま、待ってくれ! 悪かった! 許してくれ!」
陳は両手を顔の前にかざした。
「あなたを許せば、組織としての筋が通らない。申し訳ないが、さらばだ」
引き金を引く。銃声が轟いた。
放たれた弾丸は回転しながら陳の右目を食い破った。
陳の口が開いた。
Zは陳の顔にさらに銃弾を撃ち込んだ。飛び出した薬莢がフロアで跳ねる。貫通した弾丸が車のボディーに当たり、金切り音が空気を切り裂く。
スライドが上がった。硝煙がたなびき揺れる。
陳の顔は見る影もなく、ぐちゃぐちゃに吹き飛んでいた。
Zは銃をくるっと回し、後ろにいた運転手に渡した。運転手は銃を受け取り、車へ戻った。
スマートフォンを取り出すと、番号を表示し、タップする。
呼び出し音が鳴る電話を耳にあてる。相手が出た。
「もしもし、私です。廃棄物が三体出たので、片づけていただけますか? 場所は──」
伝えながら、陳の屍を冷たく見下ろした。
(つづく)