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23 @koharu*2005     2025/10/15 22:00

 

 夢を見ていた。

 私は〈望幻楼〉の前にいた。あたりは暗くて、そこに建っている廃墟が、巨大な影に見えた。

 今度の夜、一緒に廃墟でも見に行かないか。いい場所を見つけたんだ――藍に呼び出されるままに来てみたけれど、肝心の彼の姿がない。

 ふと、バルコニーのほうで、何かが動いた。

 顔を上げると、こちらを見下ろすような人影があった。

 あの人は――。

 藍だと思った瞬間、ぐらりと人影が揺らいだ。アッという声が聞こえ、私は咄嗟に後ずさった。私の立っていた場所に、巨大な物体が落ちてきた。鈍い音が響いて、気がつくと、私の目の前には藍が倒れていた。

 この人は、私を殺そうとした――。

 転がっている大きな石を見て、私はすぐに理解した。瞬時に、脳が理解を拒否した。これは、藍じゃない。私の知らない誰かだ――。

 そこで、目が覚めた。

 白い部屋で、ベッドに寝かされていた。消毒液の臭いが、ツンと鼻をつく。

「ゆっくり寝ていて大丈夫ですよ」

 横を見ると、看護師の女の人が立っていた。カタンと、頭の上で何かが鳴る。右腕から管が伸びていて、点滴のパックにつながっているのが見えた。

「藍はどこですか」

「藍? ああ……もうお名前を決めたんですね。心配いりませんよ。いまはゆっくり身体を休めて……」

「決めたんじゃない。決まってるんです」

「はい?」

 看護師は戸惑ったみたいな顔を向けてくる。仕方がない。どうせこの人には判らない。私はため息をついて、目を閉じた。

 何か夢を見ていた気がする。大事なことだった気がするけれど、思い出せない。まあいいや。

 藍は、復活した。

 これから彼と生きていける幸せが、じわじわと心を満たしていた。

 

 

 

24 @xns-official      2025/12/25 16:30

 

 私は、送られてきた赤ん坊の写真を見ていた。

 髪が金色がかって、さらさらしている。鳶色の目は、どこか藍を思わせる。赤ん坊を抱いているのは乃愛だった。切迫早産で産まれた子を、いまは彼女が面倒を見ているみたいだ。

「結局……」

 喫茶店の中、遙人が言う。

「何が真実だったんだろ? この子は、心春ちゃんと藍の子供だったってこと?」

「そんなわけがないよ」

 シズクが、少しヒステリックな口調で答える。

「心春先生は、別の男性との子供を身ごもっていたってだけ。藍とは何も関係ない、誰かの」

「そうかなあ。きちんと調べたほうがいいと思うけど」

「調べるって? DNA鑑定なんかできるわけないし、できたとしても、百パーセント親かどうかなんて判らない。ボクたちの状況は何も変わってないよ。藍が生きているのを間違いなく感じるし、早く心春先生に帰ってきてもらって、〈XNS〉を再開しよう」

 同意を求めるように覗き込んでくる目に、私は曖昧に頷き返した。〈XNS〉の再開――そんなこと、できるのだろうか。実際に、誠也をはじめ多くの人が会から離れてしまった。もうこの三人しか残されていない。

 ――でも。

〈XNS〉のない日々に、私は耐えられるだろうか。

 藍は生きている。いつか私たちの前に帰ってくる。〈XNS〉で祈りを捧げていたころは本心から信じられていたその説が、いまは私の中で少しずつ色褪せている。藍はもしかして、本当に死んでいるのではないか。警察は本当のことを発表しているのではないか。そんな陰謀論が、徐々に私を侵食している。

「そうしよう」

 景気づけのように、遙人とシズクに向かって言っていた。

「〈XNS〉は続ける。メンバーはまた集めればいい」

「心春先生、戻ってきてくれるかな……?」

「戻ってきてくれないなら、ほかの人を探せばいい。ああいうすごい力を持っている人が、ほかにもいるかもしれない」

 そうだ、前向きに考えればいい。中心となる人さえいれば、〈XNS〉を再興することはできる。今度こそ本物の仲間を集めて、藍の復活に備えるのだ。

「乾杯しよう」

「乾杯?」

「そう。新しい〈XNS〉をもう一回、ここからはじめる。私たちは絶対にやり抜くよ。その誓いの乾杯」

 遙人は笑顔になり、レモネードのグラスを掲げる。シズクがおずおずとアイスコーヒーのグラスを持つ。私はアイスティーのグラスを突き出して、乾杯した。

 カチンと、綺麗な音が鳴った。新しい扉が開くような音が。

「……こんにちは、皆さん」

 テーブルの傍らから、声をかけてくる人がいた。私はそちらのほうを見て、軽く頭を下げる。

「お久しぶりです。令那さん」

〈望幻楼〉での一件以来、二ヶ月ぶりくらいに会う令那さんが立っていた。

「……舞依さんも、お元気?」

「元気なわけないでしょう。〈XNS〉もなくなってしまいましたから」

「そう。それは、ごめんなさい」

「別に令那さんのせいじゃないです」

 ――変わった?

〈XNS〉のまとめ役をやっていたころに比べて、雰囲気がだいぶ変わっていた。街中で遠目から見たら、令那さんだと判らない気がする。まあ、あれだけのことがあったのだ。人が変わっても仕方がないか。

「それで……話したいことがあるって、何?」

「〈XNS〉のアカウントをください」

 空いた席に座った令那さんに、私はすかさず言った。「アカウントって……〈あれ〉の?」。戸惑ったような反応に、私は頷いて答える。

「はい。もう更新してないですよね。私にください」

「どういうこと? まだ〈XNS〉の活動を続ける気なの?」

「はい」

「藍は死んだ。もうそのことは説明したでしょ? あれでも受け入れられないの?」

「藍は生きています。そんなことも判らないんですか」

 ――偽物が。

 令那さんは、哀しそうな目で私たちを見つめている。藍は死んだという多数派の嘘を信じ込み、私たちを憐れんでいるのだ。〈XNS〉に参加していたころから思っていたけれど、やっぱりこの人は偽物だ。藍が生きているなどと信じてもいないのにあんな会を作って、私たちをコケにして楽しんでいたのだ。

 ふざけるな。

 心の中に炎が生まれた。私は絶対に〈XNS〉をより強い組織にする。偽物を追い出し、規模も大きくし、永遠に続く集団にしてみせる。それができるのは、私しかいない。

 それができたら、藍は帰ってくるだろう――確信が、私を貫いていた。

 ふっと、令那さんが微笑んだ。

「判るよ。舞依さんの気持ちが。私もあなたと同じだから」

 初めて見る、寂しそうな微笑みだった。

 何が同じなんですか――反射的に出そうになった言葉を、私は呑み込んだ。何か大切な話をしようとしているように見えた。

「失ってしまった大切な人に、生きていてほしい――私もそう思って〈XNS〉を再開した。途中までは、上手くいっていたと思う。心春さんの力は本当にすごかったから、私もあの人とのつながりを強く感じられた……でも結局、駄目だった。どうしても自分のことを信じられなくなって……私は、勝手な妄想を抱いていただけじゃないかと思って」

「藍は生きてます。勝手な妄想なんかじゃない」

「……そうだね。そう思うよ」

「何が言いたいんですか。私たちのことをバカにしてます? おかしな陰謀論を信じている連中だと?」

「そんなことはない」

 令那さんの声が、少し強さを増した。

「私たちは同じだよ。どこまで行っても私たちは、自分の見たいようにしかこの世界を見られない。自分が信じられるものを信じて、生きて、死んでいくだけなんだと思う。私は陰謀論から目覚めたんじゃない。また別の何かを信じて、生きていくしかないんだ」

「結局、何が言いたいんですか」

「〈XNS〉はあなたに託す。応援してるよ」

 令那さんは鞄から出したノートを破り、万年筆でパスワードを書いて渡してくる。〈let there be light〉。意味は判らないが、どうせ聖書の言葉か何かだろう。

〈あれ〉のログイン画面を開く。IDとパスワードを入力すると、@xns-officialのアカウントにログインできた。すぐにパスワードを変更した。これでもう、私以外は入れない。

 偽物は消えた。幸先のいい船出だ。

「……鳴ってますよ」

 シズクが、令那さんのスマホを指差す。誰かから通話がかかってきているみたいで、ずっと振動している。それでも令那さんは、取ろうとしない。

「いいんですか。無視してて」

「大丈夫。昔の仕事関係からかかってきてるだけだから」

「よく判りませんけど、無視はよくないですよ。相手も困るでしょう。そういう無責任なところ、本当に嫌いです」

 令那さんは目を丸くして私を見る。アカウントを手に入れたので、もうこの人に用はない。文句があるなら、言い返してやる。

「そうだね。そうしてみよう」

「はい?」

「ずっと、こういう機会を待っていたのかもしれない。背中を押してくれて、ありがとう」

 令那さんはスマホを手に取り、テーブルから遠ざかった。「何、あの人?」。シズクが首を傾げたが、どうでもいい。

 シズクと遙人が私のスマホを覗き込む。三人で、@xns-officialの投稿画面を見つめる。私たちは顔を見合わせた。新しい世界がはじまる予感が、胸を満たしていた。

「何度もご連絡いただいていたのに、すみませんでした。仲吉部長……」

 遠ざかる令那さんの声を聞きながら、私は〈あれ〉に投稿した。

 

 

(了)