6 @marron^_^happydays 2025/06/18 22:15
「あー、それこそよくある陰謀論だよ」
ウェブ会議の小さな画面の中で、興田先生が皮肉っぽく笑う。
「mRNAワクチンが充分に臨床試験されているなんて、自分の頭で考えないお花畑がよく言うことだ。そんなものに踊らされるなんて、栗林さんらしくないねえ」
「やっぱり! そうですよね!」
「そもそもその令那さんとかいう人さ、医学論文を読んだと自慢してるみたいだけど、医学界がいかに閉鎖的な状況なのか知らないんじゃない? 論文を書いている人間、査読をする人間、論文を掲載する人間、全部同じ医学ムラの村人だからね。製薬会社からは医者や科学者に金がジャブジャブ入ってるし、その見返りとしていい加減な論文が出る。そんな状態で適切なチェックが働くわけないってことくらい、マトモな社会経験があれば判りそうなもんだけどな」
興田先生は太い人差し指で、自分のこめかみをとんとんと叩く。
「デマに踊らされる人は、頭でっかちなんだよ。権威的な情報を鵜呑みにするだけで、自分の心と身体でものを考えようとしない。だからそういう、陰謀論の世界に入っていくわけ」
ウェブ会議に参加している十人が、同調するみたいに笑った。胸が熱くなる。つられて私も笑ってしまう。
私は、いい人たちに出会えた――。
画面に表示されている十人分のウィンドウを見ていると、落ち込んでいた気分が上向いてくる。やっぱりこのメンバーは最高だ。
興田先生と会ってから、もう二十五年近く経つのか――。
メンバーたちの年を取った顔を見ていると、改めて思う。でもそれはネガティブなことじゃない。むしろ彼らと一緒に二十五年の時間を過ごせたことが、誇らしい。
思えば最初の出会いは、興田先生が運営していたホームページだった。まだSNSどころか、ブログもほとんどない時代だ。〈希望の世界〉と名付けられた一連のページを読んで、私は人生最大のショックを受けた。
〈我々は真実を知らされていない〉
〈権力者はあらゆる情報操作を行っていて、一般人には世界の本当の姿は隠されている〉
〈目覚めよ。すべてを疑え。希望の世界を見よ〉
真っ黒な背景の上に、白文字をベースにところどころのフォントが拡大された独特な字面で綴られた文章は、興田先生の天才的な文章力も相俟って、すさまじい求心力を持っていた。サイトに載っていた、本数冊分とも言われる文章を、私は三日で読み切ってしまった。
内容は、いまとなっては常識的なものばかりだ。アポロ11号は月に行っておらず、あの月の映像はスタンリー・キューブリックが撮影したものである(月には大気がなく、風も起こらないので星条旗がはためくはずがない)。日航123便の墜落原因は圧力隔壁の破損ではなく、自衛隊の無人標的機との衝突によるものである(機体の写真に、標的機の色である赤がはっきりと付着している)。9・11同時多発テロは、アメリカの自作自演である(〈ペンタゴンに飛行機が突入した〉とされる映像を見てみると、突っ込んできたのはどう見てもミサイルで、建物にもミサイルの形をした穴が開いている)。どれも笑ってしまうくらい初歩的な内容なのに、当時の私は何も知らなかった。興田先生のテキストを読み進めるうちに、分厚く立ち込めていた霧が晴れていくような爽快さを覚えたものだった。
同時に、私は正体の判らない感情に襲われていた。
――怒りだ。
生まれてからずっと、一方的に与えられる情報の泡に閉じ込められて、世界の真実を隠されてきた。興田先生のテキストを読むごとに、私は激しい怒りを覚えていた。自分が愚民に貶められ、尊厳を傷つけられてきたことへの憤りを。
その感情が別のものに変化したのは、少しあと――二〇〇二年九月のことだ。首相だった小泉純一郎が、突如として北朝鮮を訪問した月だ。
首脳会談が行われた日、北朝鮮の総書記だった金正日は、自国の特殊部隊が日本人を拉致していたことを認めて謝罪をした。その一報が飛び込んできた瞬間、私はテレビを見ながら、思わずアッと叫んでしまった。
北朝鮮が工作員を日本に送り込み、市井の人々を拉致している――それも、興田先生のサイトに書いてあった内容だった。
いまでも覚えている。あの日以前の日本では、北朝鮮の工作員による拉致は、都市伝説として片づけられていた。いくら独裁国家とはいえ、国が他国に乗り込んできてまで市民を誘拐なんかするわけがない。そんなことをしても大したメリットはないし、万が一バレたら即戦争になる――この国にはそんなことをしたり顔で説く空気が蔓延していて、それこそが知的で冷静で平和的な態度だと言われていた。北朝鮮の拉致問題などを口にしようものなら、民族差別だと非難されかねない空気だった。だがそれは、間違っていたのだ。
――こんなことを許していてはいけない。
ブラウン管に映る金正日を見ながら、私は沸騰するような感情を覚えていた。この世界には虐げられている人が大勢いて、権力は彼らの姿を隠蔽している。真実をえぐりだし、白日の下に晒さないといけない。彼らを救わなければいけない。私の中の怒りの質が、変わっていった。サイトを読んでいたときのような被害者意識がベースになったものとは違い、使命感と正義感とが混ざりあった、真っ白な怒りを覚えていた。
サイトの掲示板に初めて書き込みをしたのは、その日の夜だった。
「ところで、マロンさん」
興田先生が問いかけてくる。
二十五年前は地銀の行員だった興田先生は、その後株で成功して投資家になり、投資の本も何冊も出版している。ほかのメンバーは年相応に老けているのに、興田先生だけは若者のように肌艶がいい。
「どうなの、楠木藍のことは」
興田先生の言葉に合わせて、画面の中の十人が私に視線を向けてきた気がした。
「はい、今日渋谷署にパレードの申請をしました。週末にトップワンに押しかける予定です」
「私も少し調べてみたんだが、あの件――どうもキナ臭いな」
「先生の目から見ても、そうですか」
「トップワンの根来社長が警察OBなのは前に教えた通りだけど、どうも役員にも公安とかそっち関係の人脈が入っていそうなんだよな。富頭会のフロント企業と紅僑の揉めごとかと思ってたんだけど、内閣情報調査室とかが絡んだ、もっと大きな話なのかもしれない。楠木藍なんてスーパースターが殺されてるんだ。相当深い闇に触ってしまったのかもしれない」
「〈XROS〉が一瞬で解散したのもおかしいですもんね」別のメンバーが口を挟む。「三人で普通に活動できましたよね」「メンバーが抜けて、残った人だけでやってるアイドルグループなんて、いくらでもあるしな」「陸尚人も大川誠也も続けたかったんだろ?」「どこかから解散しろと言われたのかもしれないよな」。メンバー間でキャッチボールをするように円滑に言葉が飛び交っていく。二十五年かけて培ってきた阿吽の呼吸により、発言が同じタイミングで被ることはほとんどない。
「とにかく」
すべての言葉をまとめ上げるように、興田先生が言った。「楠木藍の〈自殺〉は、何かとんでもなく深い闇につながっているかもしれない。それを白日の下に引きずり出すのは、大変意義のあることだ。マロンさん、期待してるよ」
「はい! ありがとうございます!」
会合はそれから一時間ほど続き、日付が変わったところでお開きになった。
ウェブ会議のウィンドウを閉じイヤホンを外すと、全身に気怠さが漂った。本当のことを話したとき特有の、心地よい疲労感だった。
そのとき、リビングのほうからテレビの音が聞こえた。
私は舌打ちをして立ち上がり、部屋を出た。
「ちょっと!」リビングでビールを傾けている豚が、鋭い目を向けてきた。
「この家で馬鹿なテレビなんか見ないでって、何回言ったら判るの!?」
テレビからはNHKのニュースが流れていた。反日売国オールドメディアによる典型的な偏向報道洗脳番組で、こんなものを見ていたら脳がいくつあってもすべておかしくなってしまう。
「いい加減にしろ、この馬鹿!」
私はリモコンを掴んで電源をオフにした。豚が何かを叫んでくるが、何を言っているのか判らない。
「うるさい! 嫌なら出て行け、クソ馬鹿野郎!」
リモコンを豚に投げつけ、自分の部屋に引っ込む。せっかくの心地いい余韻が台無しだった。どうして、あんな愚か者と結婚してしまったのだろう。自分で情報を取ろうともせず、与えられたニュースで満腹になって思考停止している豚と。
スマホを掴み、〈あれ〉のアプリを立ち上げた。通知が六十五件、うち三十二件が私への返信だった。どいつもこいつも馬鹿なことを言っている。豚が大量生産されている。
「うるさい!」
画面を一喝すると、壊れている世界が少しだけ正気を取り戻した気がした。
私は画面を指でタップしはじめた。

(つづく)