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14 @oni-maru 2025/09/28 12:00

 

 真実は、爆発だ。

 

 小学三年生のときだった。

 担任のカナコ先生が不倫している――と、ババアが晩飯のときにニヤけた顔で話しかけてきた。相手はユーマ君のお父さんなんだって。隣の駅のラブホに、一緒に入っていったんだって。おれは九歳にして、不倫の意味も、ラブホテルがどういうことをする場所かも知っていた。ババアが毎晩繰り広げる噂話で、英才教育を施されていたからだ。

 ババアは話の最後に、目が覚めたみたいな顔になって言った。

『学校で、言っちゃだめだよ』

 

 次の日のホームルームで、おれはその話をした。センセー、ユーマのお父さんと不倫してるって本当ですか? ラブホテルに一緒に入ったって、本当ですか?

 教室は、爆発した。

 不倫やラブホテルという単語の意味が判らないガキどもにも、話のニュアンスは伝わったみたいだった。囃し立てるやつが大勢現れ、教室は騒然とした。喧騒を切り裂くようにユーマがおれに飛びかかり、顔面を殴りつけた。鼻血が噴き出た。全然痛くなかった。達成感。優越感。満足感。殴られるごとに、俺の中に次々と充実した感覚が湧いてきた。

 歪む視界の中、カナコ先生がおれを睨んでいるのが見えた。その後、大勢から同じような視線を幾度となく向けられることになるわけだが、憎悪の目で見られたのはあれが初めてだった。すごく気持ちよかった。

 おれたちは、嘘の世界に生きている。

 こいつバカだなと思っても「あなたはバカですね」と言ったりしないし、街中で異性を見てセックスがしたいと思っても「あなたとセックスがしたいです」と話しかけたりしない。おれたちがネコなら、殴りたい相手がいたら殴るし、セックスしたいならするだろう。おれたちはごてごてした嘘で世界を覆い尽くしている。だから真実をぶつけると、爆発する。

 それからおれは遠慮なく真実を明らかにし続けた。キミタカが女を孕ませて堕ろさせた。タグチ先生には万引きの前科がある。モリヤマは危険ドラッグを買っている。サヤは還暦過ぎたオッサンに身体を売っている。真実が爆発すると、その場は大騒ぎになる。おれに掴みかかるやつも出てくるし、泣き出すやつ、軽蔑の眼差しを向けてくるやつも現れる。

 だが、湧き上がったカオスはやがて収まる。

 喧騒が去ったそのとき、爆発の跡地にほんのわずかの間、しんと静まり返った時間が訪れる。おれはその冷たさが好きだった。真実があらわになったあと、その真実を前提に世界が再構成されはじめる。球根が芽吹くような、神聖な時間がそこにあるのだ。

 暴露系ユーチューバー。

 いつの間にか、おれはそう呼ばれるようになっていた。

 

 おれは、暴露という単語が嫌いだ。

 暴露とは「隠していることを暴く」という意味だ。おれがやっているのはそんな、開けてはいけない箱を開けてしまうような、ヌルいことじゃない。箱に向かって爆弾を投げつけ、木っ端微塵に爆発させる――それがおれのセルフイメージだった。

 おれを呼ぶなら、〈爆発系ユーチューバー〉と呼べ。

 一時期はそんな風に呼びかけていたが、全く定着しなかった。仕方ない。新しい概念が大衆に受け入れられるには、時間がかかるのだ。

 そんなことを思いながら、おれはパソコンモニターで〈あれ〉を見ていた。

 ――〈XNS〉。

 バカの代表者――陰謀論者ども。

 おれは陰謀論を憎む。人間が愚かさや無知ゆえに自覚なく嘘をついてしまうのは、百歩譲って許す。だが、陰謀論者は違う。ありもしない出鱈目をでっち上げ、それを積極的に信じ込み、つらい現実から目を背けている。怠惰な人間。魂の位が低い連中。ネットが発達し、誰もが匿名でなんでも言えるようになった結果、あちこちで真実が爆発するのかと期待していたが、蔓延したのはデマと陰謀論だった。世界は真実から遠ざかってしまった。許せない。許してはいけない。

 何があったか知らないが、〈XNS〉は大きく体制が変わったようだ。いまは〈楠木藍は生きている〉などと言いはじめ、集会までやっている。ふざけた連中だ。丸ごと全部、爆発させてやる。

『楠木藍に関わって、後悔しています』

 先週、ずっと捜していた女にようやく会えた。女はやつれていて、顔が真っ青だった。

『あんなことをしたせいで、もう生活はめちゃくちゃです。本当に愚かでした……』

 巨大な真実を爆発させると、ぶつけた人間も爆風に巻き込まれる。おれのようなプロに任せておけばいい。

 おれはキーボードを叩き、ロシアにあるアングラ・アップローダーのサイトを開いた。水死体、焼死体、殺された死体……死体の画像が山ほど上がっていて、形状を選択して検索できる地獄のサイトだ。日本の警察もロシアまでは捜査することはできない。

 パソコン上で、女から預かった写真のフォルダを開く。四枚の画像が表示された。おれはアップローダーのフォームに、写真をすべてセットした。

「Target in sight(目標確認)」

 身体が震えた。これから起きることへの恍惚と期待が、全身に溢れていた。

「Bombs away(爆弾投下)」

 おれは真実を投下した。

 

 

 

15 @ha+ruuuto      2025/09/28 12:54

 

 昨日から、父が何度も電話をかけてくる。ほら、また来た。

 電話がかかってくると、スマホの画面が通知で埋まってしまう。全く迷惑だ。ちょうどLINEが盛り上がっていたところだったのに。スワイプして小さくしようかと思ったけれど、間違って切ってしまったりしたら面倒なことになる。あくまで〈気づかなかった〉という体を装わないといけない。

 父は、投資家だ。

 単なる仕事を超えて、旅行も、趣味も、普段の食事も、父にとってはすべてが投資だ。その旅行でいかに新しい知識が増えるか、その食事を摂ることで栄養バランスと満足感をいかに最大化できるか、そんなことばかり考えている。

 子供もまた、投資の対象だ。どのように育てれば金銭面、心理面でリターンがあるのか――子供のころから株を精査されるような視線を浴びていたし、あるときから父は僕にその目を向けてこなくなった。これ以上投資しても、リターンがないと判断したのだろう。損切りというやつだ。

 電話が切れた。〈いい未公開株があるから買うか〉だの〈デイトナの余りものが出たからいるか〉あたりの、何かを売りつけてマージンを抜く用事だと判っているので、このところは電話に出てもいない。父はLINEを送ってこない。タイパが悪いので、文字を打つことが嫌いだとよく言っている。

 ふと、兄のことを思い出した。

 兄は、最高の投資商品だったっけ――。

 

 中学三年生のときに、一回り年上の兄は二十七歳で死んだ。

 兄の享年と僕の寿命とは関係ないけれど、あと六年で追いついてしまうと思うと、少し胸が痛い。結局兄を超えることができなかったという事実が、そこで確定してしまうからだ。

 兄は優秀な人だった。父の期待に応えて東大に進み、当時の国家一種試験を突破して経産省の官僚になった。NHKで放送された衆議院の予算委員会で、答弁書を官僚席まで持ってくる兄の姿が映ったことが何度かある。将来を期待されていないとあんな場所には立てないんだと、父が嬉しそうに言っていた。

 兄は完璧な人生を歩んでいた。中学受験でも勝ったし、大学受験でも、就職の場でも勝った。ピカピカに磨かれた道を颯爽と歩く兄からは、いつもキラキラと光る、金色のオーラが放たれていた。投資した人全員を幸せにする、運用益の光だった。

 そして、兄は自殺した。

 

 入省して五年くらいが経ったころに、兄は官僚をやめた。その事実を僕が知ったのは、兄の死後だ。父にも何の相談もなく、ある日突然やめていたそうだ。

 兄はそのころ、バイクで日本一周をして、旅程をずっと〈あれ〉にアップしていた。いまでも残っている兄のアカウントを見ると、讃岐うどんを美味しそうにすする姿や、富士山頂からのご来光を見る姿や、ねぶた祭に参加して踊っている様子などが拝める。同行者はいなかったというから、道行く人に撮ってもらったのだろう。異なる撮影者によるそれぞれのトーンの写真群からは、見知らぬ街を訪れる兄の高揚感が溢れていた。

『皆さんに報告があります』

 旅の最後に、兄はそんな文章からはじまる投稿をした。写真も何もない、文章だけの投稿だった。

 

 

 兄のバイクは、北海道の東沿岸にある崖の手前で見つかった。

 遺体はいまだに見つかっていない。遺書もなく、葬儀に来たかつての同僚に聞いても動機は判らなかった。兄の死を信じたくない父が失踪届を出すことを拒んだので、公的には兄はまだ生きていることになっている。

 この投稿は、ネットで話題になった。バイク旅のときにはろくについていなかった〈いいね〉が、いまや二十一万件以上もついている。僕が自分のアカウントで、定期的に兄の投稿を拡散しているのは、それを確認するためでもある。膨れ上がった様子を見ていると、なんとも言えない気持ちになる。兄が営々と積み上げていた黄金の人生が、〈バイクで日本一周して自殺した男〉というストーリーに変換され、世の中にばら撒かれていく。ずっと兄のことを羨み、嫉んでいたくせに。

『これ、見た?』

 舞依さんからのLINEで、僕は我に返った。

 舞依さんが〈XNS〉の有志を集めて作ったグループチャットだ。彼女と仲のいいメンバーだけが入っているので、令那さんや心春ちゃんや乃愛ちゃんはいない。投稿に貼られたURLに飛ぶと、〈あれ〉が表示される。

 

『XNS御中

 貴殿が開かれている会合に、強く抗議いたします。「楠木藍は生きている」などという何の根拠もない陰謀論を広め、多くの人々を拐かしている貴殿の活動には遺憾を感じ、断じて認めることはできません。すぐに活動を停止し、陰謀論を広めたことへの謝罪を求めます。

 

株式会社トップワン代表 根来大樹

 

※ダイレクトメッセージをお送りいたしましたが応答いただけないため、やむなくこちらに書き込みいたしました。』

 

 トップワンの公式アカウントからされている投稿だった。舞依さんのメッセージに、驚いた表情のリアクションが一斉につく。『根来ちゃん激おこやん』『令那さんたち、トップワンに街宣かけてるから、そのときの恨み?』『怖いなあ。私たちの活動、大丈夫なのこれ?』。返信とともに、みんながアイコンに設定している藍の写真が、チャット欄を流れていく。

 ――どうして僕は、こんなことをしているんだろうな。

 大学受験のときに〈XROS〉を知り、試験勉強を一時間やったら二曲〈XROS〉の曲を聞けるという勉強法で早稲田に受かった――この会ではそういうことにしているけれど、実は違う。

 藍の存在を知ったのは、彼が〈自殺〉したと聞いてからだ。

 

 思えば、兄がいなくなって以降、僕は自殺のニュースに注目し続けていたのだと思う。中学生がいじめを苦に自殺した。どこかの企業で社員が過労自殺した。コロナ禍の暗い世相で、有名人がバタバタと自殺した。

 自殺は、恋愛に似ている。

 両方とも、タイミングがすべてだからだ。

 首にロープをかけて木にぶら下がったり、猛スピードで走ってくる電車に飛び込んだり、本来自分を殺すのは、ものすごくエネルギーがいることだ。一方で、死にたいと思うくらい弱っている人には、そもそもそんなエネルギーは残っていないだろう。うつ病は治りかけのときが一番危ないのだ。

 自分を殺すほどのエネルギーが充填されていることと、そのときに刃を自分に向ける精神状態があること。ふたつが錠と鍵のように合わさったわずかな時間に、自殺は発生する。兄もまた、その魔の刻に搦め捕られてしまったのだろう。

 藍が〈自殺〉したとき、僕は〈XROS〉に関して名前を知っている程度だった。自殺した人のことを調べ、楠木藍がパフォーマンスをしている映像を見る――それは自殺報道に接した際の、ただのルーティーンだった。そこで僕は、違和感を覚えたのだ。

 ――この人が、自殺なんかするものかな?

 成功者が自殺することは珍しくないけれど、藍からは、死に行く人独特の危うい感じがなかった。

 野心、欲、圧倒的な才能――が全身から無尽蔵に湧き出していて、兄とは比較にならないほどの金色のオーラに包まれていた。この人が夜な夜な女遊びをしていたという噂は、正しいのだろう。でも、どう見ても自殺するようには思えない。実際に報道直後は〈藍は自殺していない〉という意見が〈あれ〉に溢れかえっていた。

 僕はただ、興味を惹かれてそういう意見を読んでいただけだった。

 そして気がついたら、心春ちゃんを囲んで、祈りを捧げるようになっていた。

 

 LINEに流れる藍のアイコンを見ながら、僕は先日の会合を思い出す。

 大勢で心春ちゃんを囲んでいると、藍の魂を感じる。映像で幾度となく見た黄金のオーラが、手を伸ばせば触れるすぐそこに、間違いなく存在しているのだ。理屈抜きでそう思える。

 藍は、生きている。

 その説を真顔で唱えられるほど、狂っていない自覚はある。それでもあの会に参加していると、藍は本当に生きているんだと実感させられる。理性と感性が、自分の中でこんなにも遠い場所にありながらも同居しているのは、初めてのことだ。

 ――兄も、生きているんじゃないか。

 自然と、そんなことを考えてしまう。

 父をいつか、心春ちゃんに会わせてあげたい。

 ほとんど会話すらない父に対してこんなことを考えているのが、自分でも意外だった。

『弱腰だよね、令那さん』

 グループチャットは相変わらず賑わっていて、舞依さんのLINEが流れてくる。

『根来大樹に言われるだけ言われて、何も反論してくれないじゃん。アンチにもやられっ放しだし、代表がこれじゃ困るよね』

 最初は令那さんに食ってかかっていた舞依さんは、いまや一番熱心な会員だ。もっと積極的に会員を増やしていかなくちゃいけないという話をよくしている。会員を増やすのはいいけれど、場所のあては考えているのだろうか。これ以上の人数になると、そろそろこの部屋には入れなくなる。

 そのとき、シズクからURLが送られてきた。

 一瞬遅れて『閲覧注意』という四文字が投稿される。なんだろうと思い、僕はリンクを踏んだ。

 再び〈あれ〉が表示される。暴露系ユーチューバーの、オニマルの投稿だった。〈XROS〉のデモ隊に突撃してきた迷惑な人間だ。

「なんだ、これ……」

 思わず僕は呟いていた。オニマルの投稿には、また別のURLが貼られている。タップする指先が、思わず震えてしまう。

 画面が切り替わる。

 側頭部から血を流し、両目を大きく開いて死んでいる藍の写真が、どこかのアップローダーに投稿されていた。

 

(つづく)