第一部
1 @mado-blossom 2025/02/28 23:04
『@mado-blossom のフォロワー数が、一万人になりました。』
スマートフォンに届いた通知を見た瞬間、私は「ヨシ」と呟いた。
〈あのSNS〉にある私のアカウント、@mado-blossomがフォロワー数一万人を突破したことを告げる通知だった。この一年間の精力的な投稿活動が実り、ようやく目標の大台に乗ったのだ。
通知をタップすると、〈あれ〉が起動する。内輪揉めや事業売却を繰り返し、名前やロゴが頻繁に変わるので〈あのSNS〉〈あれ〉などと呼ばれるようになって久しい短文SNSのホーム画面を見ると、この短時間でもうひとりにフォローされたのか、フォロワー数は10001人になっていた。
一年前、初めて万バズ――〈いいね〉が一万を超える投稿――を起こしたときのことを思い出す。とある俳優が大麻所持で逮捕されたというニュースを見て、なんとなく保有していた〈あれ〉のアカウントに、ふと思いつきで投稿したのだった。
〈前に友達が、「フードデリバリーの配達員から大麻の匂いがしたから通報した」とか言ってて、なんでそんなの知ってるんだよって思って通報したら、そいつも逮捕されてて草生えた(大麻だけに)〉
内容はただの作り話だったけれど、投稿した直後からスマホの通知が鳴り止まなくなって、ホーム画面をリロードするたびに〈リポスト〉と〈いいね〉の数が馬鹿みたいに増えていった。スマホはそのあともバイブレーションし続け、電池がみるみるうちになくなっていった。
快感だった。
あんなにも気持ちよかったことはない。自分の書いたものがこの世界に伝播していき、何十万人、何百万人の脳に届いて無意識の中に溶け込んでいく。世界中から称賛される一方で、自分という存在が自分だけのものではなく、みんなのもの、公共物になっていくような、自傷めいた気持ちよさもあった。普段やっている事務仕事では、まず味わえないものだった。
二十代半ばになり、いまさらSNSにハマるとは思っていなかったけれど、それから私は日々ブラックジョークや作り話、ニュースに対するひねったコメントなどを投稿し、バズを狙うようになった。幸い何度かの万バズを経験し、フォロワー数は日に日に増えていった。こんなにも何かが右肩上がりで上手くいくのは、生まれてから初めてのことだった。
同時に、腹立たしいこともある。
〈あれ〉には、邪道な手段を使ってフォロワーをかき集めている人間が多い。
たとえば飼い猫の写真をひたすら投稿している人間。猫はどんなものであっても可愛いので、猫の画像をひたすら投稿し続ければフォロワーは増えていく。だがそれは猫自体のコンテンツパワーであって、飼い主の功績はほとんどない。こういうアカウントがやすやすと一万人からフォローされ、あまつさえ写真集まで出したりしているのが、本当にムカついて仕方がない。
海外で流行っている動画を、無断転載しているだけの人間。
大喜利のお題を出して、回答を集めているだけの人間。
〈君たちはいまのままでいいんだよ〉〈無理をしたら駄目だよ〉的な、無責任かつ度を越して寛容的な投稿を繰り返している人間。
そんな方法でフォロワーを集めるのは誰でもできる。私は違う。安易な方法に頼らず、自分のセンスと努力だけで――SNSの面白さだけで、フォロワーを集めてきた。私の一万を、そういうやつらの一万と同じにしてほしくない。
頭に血がのぼっているのを感じ、私はスマホをしまった。
あたりは闇に包まれていた。
二月の空気は冷たい。残業をした身体は疲れていて、家まではまだ距離がある。歩きながら液晶画面を見続けていた目が、軋むように痛む。バズの代償なのか、最近目が悪くなってきた。
――自分は、どちらを生きているのか。
フォロワー数が二千人を超え、次にする投稿を延々と考えるようになってから、そんなことを思うようになった。いまは仕事中であっても、旅行中であっても、ニュースサイトやタイムラインを見てネタを探している。
肉体は現実にあるけれど、思考はSNSのほうにある。ご飯を食べているときも、トイレに行っているときも、もしかしたら眠っている最中も、自分の意識は常にあちら側にある。人間の生きる場所は、肉体と思考、どちらによって定義されるものなのだろうか。例えばセックスをするにしても、〈好きなアイドルとヤっている〉とイメージをしながら行為に及んでいるのなら、私はその男と寝ていることになるのだろうか。
――これはもうちょっと練ったら、バズを狙えるかもしれないな。
そんなことを考えて、思わず笑みがこぼれた。
――ああ、何か面白いネタが降ってこないかな。
もはや万バズでは満足できない。五万、十万という単位でバズり、人類社会の隅々にまで投稿が行き届くような、とてつもない何かが――。
アッ――!
遠くから、叫び声が聞こえた。
その直後、どん、という鈍い音が、夜の住宅街に響いた。
立ち止まった私の目の前には、黒い門があった。
――望幻楼。
自宅から歩いて十分ほどのところにある、建物への入り口だった。
建物というけれど、実物を見たことはない。名前の由来はよく判らないけれど、塀に囲まれた敷地の中、鬱蒼とした木々の奥に石造りの大きな建物が建っているらしい。長いこと人が住んでおらず、何年か前に火事が出てからは完全に廃墟化して、いまは野ざらしになっているとのことだ。休日になると廃墟マニアがやってきて、周辺をうろうろしているので迷惑極まりない。不気味で、近づくのも嫌なあたりだった。
だが――。
気がつくと私は、門に手をかけていた。
木が茂っていて、トンネルのようになっている。暗闇を煮詰めたようなその中に、私は飛び込んでいた。怖がりで、お化け屋敷すら入るのが嫌なのに、恐怖心は全くなかった。
バズの匂いがしていた。
理屈ではない。〈あれ〉に投稿し続け、自分のバズも他人のバズも山のように見て養われた感性が、私を突き動かしていた。この先に、何かがある。私をバズに導く何かが――。
短いトンネルを抜けると、大きな建物が現れた。石造りの三階建てで、学校の校舎にも、総合病院の病棟のようにも見える無機質な威容を誇っている。
その入り口に、ひとりの男がうつ伏せに倒れていた。
「あのっ……!」
声をかけてみたが、ピクリとも動かない。頭から、血を流しているようだった。失神しているのか死んでいるのか、よく判らない。
――いや。
これは、死んでいる。だから私は、ここに呼ばれたのだ。
――顔を写してはいけない。
〈あれ〉にあまりにも過激な画像を投稿すると、アカウントが即行で停止されてしまう。血が写り込まないように、刺激的になりすぎないように、それでも死体だと判るように――感覚をフル稼働させ、画角を調整する。
男の手を写した。
そして引いたところから、倒れている男の上半身を写した。
念のため、色々な角度から男を撮影する。フラッシュの光が、暗闇を切り裂くように何度も焚かれる。〈大はしゃぎで死体を投稿している〉と思われるのはまずいが、あまりにも淡々としているのもよくない。スマホに打ち込んだ文章を何度も推敲し、私はようやく、〈投稿〉のボタンを押した。

2 @ritsu.xros 2025/03/01 11:13
いつも、暗いところにいる。
教室でも、家の中でも、気がつくと光のあるところから疎外されて影の中にいる。
意図してそうしているわけじゃない。光に照らされた中心に向けて足を踏み出そうとしたことも、何度もある。でもいつの間にかまた隅に追いやられ、気がつくと暗いところに佇んでいる。この影は、私の身体から出ているのではないかと思えるほどだ。
始業十五分前。向こうの島にキラキラと着飾った女子社員たちが出社してくるのを横目に、私はマックブックを開いて〈グリーン・ブック〉のソースコードを修正していた。
〈アラサー女子のための総合情報サイト〉という副題がつく〈グリーン・ブック〉では、今日からゴールデンウィークにむけての旅行特集がはじまる。グリーン出版の情報システム部門は現在四人しかいないので、このところはリリースの準備に追われていた。
「おはよう、浅木さん」
少し離れたところから、仲吉部長が声をかけてくる。〈なかよし〉とは沖縄の苗字らしく、人付き合いだけで出世した彼らしい。私は「おはようございます」と応じ、再びモニターに向き直った。
どうして私は、ソースコードなどを書いているのだろう。
大学を出るまで、プログラムなど一文も書いたことがなかった。何か煌びやかな世界に携わりたいと思い、ファッション誌や旅行誌を中心に出しているグリーン出版を受け、編集者希望で入ったはずだった。それなのにいつの間にか、また隅にいる。ファッション、美容、旅行、ビジネスを四本柱にした〈グリーン・ブック〉のトップページは、今日もハイブランドの広告記事で埋めつくされている。私もこういうものに携われるはずだったのに――。
「駄目だ」
私はパソコンの壁紙を表示した。
去年行ったアイドルグループ〈XROS〉のコンサートの写真が設定されている。横浜アリーナのまばゆいライトに照らされ、彼は、客席に手を振っている。私は〈推し〉や〈担当〉といったアイドル用語が嫌いだ。崇拝する対象となんとか関係性を持ちたいというファンの欲望と、関係性を持たせることで金が儲かるというビジネスの論理とがこういう言葉を生み出したのだろうけれど、彼は彼だけで個として強く存在しているべきで、私が干渉する余地などむしろ与えてほしくない。
彼の首元に、十字架のチョーカーが光っている。アンチからは〈中学生みたいで痛い〉と揶揄されているけれど、そんな痛いファッションがこんなにも恰好いいのがすごいのだ。なぜそんなことも判らない――。
「おはよう」
岡居さんの声がして、私は慌ててエディタを表示した。彼と目が合うと、爽やかな笑みで返してくる。日課のジム通いをしてきたのか、仄かに汗の臭いが漂っていた。四十代半ばのはずだけど、筋トレが趣味の岡居さんは中年太りとは無縁だ。
――そういえば、この人が原因だったな。
七年前に入社したとき、新入社員研修を担当していたひとりが岡居さんだった。ワードやエクセルの講習をしにきたはずが、〈君はプログラミングをやったほうがいい〉と突然言われて、無理やり情報技術部に引きずり込まれた。それからは聞いたことすらなかったPHPやらSQLやらを教えられ、いまや完全にプログラマーにさせられてしまった。
〈おせっかいの岡居〉
という異名があることを、あとで知った。この人は自分が〈こうするべきだ〉と思ったことを、他人に強制しないと気が済まないのだ。〈これは僕の見解なんだけど――〉とおずおずと切り出してくるのを、もう何度聞いたことか。
――とはいえ。
それがしばしば当たることがあるのが、癪なところだ。実際に、向こうの島にいるキラキラした女子社員たちを見ると、ああはなれなかったなとも思う。ハイブランドからファストファッションまでをセンスよく組み合わせ、ネイルもスキンケアも絶対に手を抜かず、インスタグラムには画角や光量までもが計算された完璧な自撮りを何枚も投稿する。芸能人でもないのに、馬鹿じゃないのか――そんな風に思ってしまう私は、あそこではやっていけなかっただろう。
「――はい?」
気がつくと岡居さんが、私を見下ろしていた。
「どうしました? 私が何か――」
「浅木さん、確か〈XROS〉の推しだったよね?」
わずかに心臓が跳ねる。彼と〈XROS〉の話をしたことなどない。
「これは僕の見解なんだけど――リリース作業がはじまる前に知っておいたほうがいいと思うんだよね。ニュース、まだ見てない?」
「ニュース? 何かあったんですか」
「いま送るよ」
ダイレクトチャットで、URLが送られてくる。ヤフーニュースの記事のようだった。
嫌な予感がした。
単なる文字列であるURLから、禍々しいオーラが漂っている気がした。
震える指先でリンク先に飛ぶ。次の瞬間、私は全身から血の気が引くのを感じた。
『XROS・楠木藍さん死去
男性アイドルグループ〈XROS〉のメンバーで、多方面で活躍する楠木藍さん(28)が、昨日深夜、東京都杉並区で倒れているのを通行人が発見した。楠木さんは区内の病院へ搬送されたが、死亡が確認された。
楠木さんは私有地にある建物から転落したと見られ、杉並警察署は事件と事故の両面で調べている』
脳が焼け切れてしまったみたいだった。
何も考えられない。私の中の思考する機能がシャットダウンしている感じだった。それでも私の指先は、空腹の生物が食事を求めるように、新たな情報を探して自動的に動く。
SNSを見た。関連ワードでトレンドが埋め尽くされ、私のタイムラインは阿鼻叫喚の状態と化していた。なんで? どうして? 信じられない――ファンの悲痛な投稿から、心が軋む音が聞こえてくる。『XROSファンざまあ』『上級国民が死んで飯がウマい』。アンチの幼稚な悪意の発露に、弱った心が容赦なくえぐられる。
「あっ」
私は思わず、叫んでいた。
十万回以上も拡散されている投稿が、タイムラインに流れてきていた。
『え、待って。歩いてたら叫び声がして、近くに行ったら人が倒れてるんだけど――なにこれ? 通報したほうがいいの?』
手がクローズアップされたものと、倒れている姿の全身――二枚の写真が、投稿に添付されていた。
それが藍だと判った瞬間、私の視界はブラックアウトした。
*
〈XROS〉に出会ったのは、社会人になって二年目のことだった。
それまで芸能人に興味はなく、男性アイドルグループなどはむしろ馬鹿にしているほうだった。彼らは顔がいいから重用されているだけであって、偽物だと。歌唱能力や知性などは下から数えたほうが早いのだと。
ただ、〈XROS〉は何かが違った。
何気なく見ていた歌番組に、デビューしたばかりの〈XROS〉が出演していた。また同じような人たちが出てきたか――斜に構えて見はじめた私は、いつの間にか画面から目が離せなくなっていた。
披露したのはデビュー曲の『Crossing the Road』だった。ゴリゴリしたEDMの強烈な音楽に合わせ、〈XROS〉の四人は踊っていた。
違っていたのは、彼らの表情だ。アイドルというと、自己陶酔しきったナルシスティックなキメ顔をしているか、嘘くさい笑顔を作っているかのどちらかだと思っていたけれど、〈XROS〉の四人はどこか、陰鬱な表情で踊っていた。苦役に抗うように、ときに怒りのようなものすら浮かべながら、暗い情念を叩きつけるようなパフォーマンスを繰り広げていた。この人たちは、なんなのだろう――? 出番が終わり、暗転していく画面を見つめながら、私はすっかり心を揺さぶられてしまっていた。そこに真実のようなものを見た気がした。
〈XROS〉とは、メンバー四人の頭文字を取ったグループ名だ。
メインメンバーはR――陸尚人と、O――大川誠也のふたりで、アーティスト写真で四人が並ぶときも、そのふたりがセンターだ。強豪高校のボクシング部の主将で、インターハイに出場したこともあるフィジカルエリートの尚人と、生まれたときに親に捨てられ、乳児院と児童養護施設で育ちながらストリートダンスをやっていた誠也――ふたりには生物としての強さから来る華のようなものがあった。尚人と誠也は犬猿の仲で、テレビ番組やステージ上でも目が合わないことで有名だけれど、その緊張感が却ってパフォーマンスに凄みを与えていた。
S――鈴木アユムは、〈XROS〉の潤滑剤だ。身長185センチもある長身だがスポーツの経験はなく、グループを組んだばかりのころは尚人と誠也のダンスについていけずに吊し上げを食らっていたらしい。それでも弱音を吐くことなく、淡々と努力を積み上げられるのがアユムの強さだった。いまやスキルで尚人と誠也に劣るところはなく、感情も安定している彼は〈XROS〉の屋台骨だ。
そして、X――楠木藍。
彼はあらゆる面で特別だった。
尚人や誠也のような、有無を言わせずに観衆を引き込むパフォーマンスをするわけじゃない。アユムのような、どっしりとした安定感があるわけでもない。ステージではむしろ感情を表さずに黙々と仕事をこなし、テレビで芸人にいじられてもリアクションすら返さない。〈KROS〉だったグループ名を〈XROS〉にすることに頑ななまでにこだわった逸話も有名で、〈世界観強すぎ〉とアンチから揶揄されている。
それでも――。
ぎゅっと手を握る。
私は、会社の医務室にいた。
朝、倒れている藍の写真を見た瞬間に気を失ってしまったようだった。硬いベッドに寝かされ、〈気分がよくなったら帰っていいから〉と言われている。岡居さんは申し訳なさそうな顔をしていたけれど、リリース作業中にあんなことにならなくて本当によかった。今回も〈おせっかいの岡居〉はいい仕事をしたのかもしれない。
目を閉じる。
ライブの光景が蘇る。浮かんできたのは去年の武道館公演だった。
すり鉢のような形をした武道館の中央ステージで、〈XROS〉は二十二曲を歌って踊った。全方向からライトに照らされる光の空間の中、藍だけが特別に見えた。
彼はいつも、影の中にいた気がする。圧倒的な光を集めてしまう星のもとに生まれながら、それでも彼は自らの影を保つことに必死だった気がする。
その影を、愛していた。
でも彼は、別の世界へ旅立ってしまった――。
流れ出しそうになる涙を、私は押し留めた。泣いてしまったら――ひとしきり感情を表に出してしまったら、私の中で片づけてはいけないものが片づいてしまう感じがした。
私は目を開け、SNSへ投稿した。

(つづく)