第七章 統一
令和五年八月末、本家吉竹組と関東吉竹組の双方が抗争終結宣言を出した。
警視庁は特に町田双蛇会と向島一家の周辺を集中的に捜査した。町田双蛇会はそもそも弱小暴力団、向島一家は内ゲバの末に壊滅状態で、抗争を続けられる状態になかった。
六本木の関東吉竹組も、天王寺の本家吉竹組も動きはなく、警視庁と大阪府警は九月の中旬に抗争が終結したことを確認したとして、それぞれの公安委員に報告、特定抗争指定が解除された。
内偵中心の平穏な日々に戻るにはまだほど遠い。いくつもの事案の裏取り、送検作業が残っている。そもそも海竜の殺人犯がわかっていない。向島春刀だろうが、証拠が一切ない。唯一の証言者だった矢島の専属料理人は行方不明のままだ。
九月のお彼岸に誓は遅い夏休みを取った。今年も大阪に帰る。
新大阪駅から電車を乗り継ぎ、育ての両親が眠る八尾の墓地公園にやってきた。売店で美しい菊の花を買い、胸に抱いて歩きながら、桃川菊美という実母を想う。墓はどこにあるのだろう。遺体は勘当した両親が引き取ったと調書に記してあったが、千里ニュータウンに住んでいたらしい誓の祖父母も、すでに鬼籍に入っていた。
墓地公園内の道路に路駐していたマツダのCX-5からクラクションが鳴らされる。運転席から今仲秀太が降りてきた。
「八尾までおおきに。忙しいやろに」
誓は礼を言った。
「府警本部からすぐそこや。僕も一度、手を合わせたかったしな」
今仲は水を張った桶を持ってくれた。二人で急な階段をあがっていく。
「いちばん大変だったときにほっぽりだしてしもて、すまんかったな」
今仲とは酒が入ったときかベッドの中でくらいしか関西弁にはならなかったが、ここでは体に染みついた言葉が自然とこぼれでる。
「ええで。今仲さんが血眼になってエスを探す気持ち、わかるもん」
「そっちのエスは」
「もうすぐ公判が始まる」
佐々岡雷神は火薬類取締法違反の容疑で現行犯逮捕されたが、殺人未遂罪はつかなかった。罠にはめられて身動きが取れず、仕方なく手りゅう弾を受け取って指示された場所に向かったが、手榴弾のピンひとつ抜かず、デッキ下の斜面で泣いていたのだ。彼には情状酌量が認められるだろう。
雷神の供述で、山城一派がアジトとしていた町田市内の一軒家が摘発され、重装備の機動隊とマル暴刑事が踏み込んだ。下着一枚で寝ていたところを山城は確保された。
稲峰の自宅から徒歩五分の空き家だった。こんなにそばにアジトを構えていたのに、山城は自分で手を下さなかった。逮捕後も、忠虎や大野、雷神に罪をなすりつけ、殺人教唆の容疑を否認している。
育ての両親の墓前に到着しているというのに、誓と今仲は仕事の話が尽きなかった。
「肝心の向島春刀はどこへ行ったんや」
「わからん」
誓は育ての父母の墓に水をかけて、ブラシでコケやぬめりを落とした。今仲が線香にライターで火をつけた。
「藪さんは元気か」
「いまマニラよ。雷神を嵌めようとした山形甲子男を捜してる」
「元気でよいこっちゃ」
誓は花受けを洗い、新しい水を注いで、菊の花を生けた。
「私な、改めて自宅にある一番古いアルバムを捲ったんやけどね。これまで全く気付かんかったことがあるの」
今仲は線香を供えながら、不思議そうに誓の顔を見た。
「私は冬の生まれやのに、一番古い写真が春先なんよ。平成七年の四月末」
「平成六年の冬生まれか。年明けに震災があったはずやから、写真は焼けてまったんやないか。八尾の被害はよう知らんけど」
「私、この人たちの本当の娘やないの」
今仲は誓の視線の先を追い、墓石の脇に刻まれた桜庭夫妻の名前に目を留める。
「なんの話をしとる」
「私と向島春刀の本当の関係」
今仲は黙り込んだ。
「あの人は私の実の父親やねん」
誓は墓前にしゃがみ、祈った。
しゃがんでいた今仲がバランスを崩して砂利の地面に手をついた。高い声で問う。
「どういうこと。親ってなんや」
「顔をよく見てや。横顔がそっくりやろ、向島春刀と」
今仲は顔を引きつらせた。長らく黙り込む。
「彼が実父だという公的証拠はどこにもあらへん。矢島の双子が全てを知っとるようで、たまに吹聴しとる。私は警察を辞めるべきやと思う?」
「抗争を止めたんは誓ちゃんやろ。警察に、マル暴に必要な人材や」
今仲が即答したが、やがて黙り込む。
「ごめんな、今仲さん。ヤクザの血が入っとるとわかっとったら、私と寝なかったやろ。マル暴の血統証つきの女やったから、私と寝た」
元夫の心が離れていったように、今仲も誓と距離を置くだろう。今仲は意味もなく石礫を拾ったり放ったりした。
「僕がどうしてマル暴刑事になったか、誓ちゃんに言うてなかったな」
「せやね。そういえば、聞いてへん」
「その昔、うちはヤクザ御用達の理髪店やったんや。親父は吉竹組系列の二次団体の親分の髪にパンチパーマあてとった。毎月、第二第四金曜日になるとやってくる」
ヤクザにとってルーティンは命取りになることが多い。案の定、そのヤクザは今仲の実家の理髪店で刺殺されたのだという。
「お父さん、巻き込まれたんか」
「いや。実害はないで。父親はマスコミに囲まれてな、武勇伝みたく当時の様子を語りまくっとった」
今仲は小五だった。偶然、レジにあったサービスの飴玉を目当てに取りに店内へ入ろうとしていた。
「刺殺を見たの」
「目の前でな。殺す側のヤクザの顔も。殺されて死にゆくヤクザの顔も、全部見た」
墓地公園に熱い風が吹いた。
「殺す側はな、親分に命令されての犯行やった。犯人と被害者は初対面や。それなのにな、被害者の方は刺される直前に、もう全部わかっとるような顔しとったんや」
小学生だった今仲には目の前で刺殺事件が起こった以上の衝撃があったようだ。
「知らん人を親分の命令で殺すってどんな気持ちやろな。知らん人から殺されることに覚悟を決めとる人生って、どんなやろな」
今仲はしばらく黙り込んだ。
「僕はね、ヤクザを取り締まりたいという正義感でマル暴になったんとちゃう」
今仲は少し、涙ぐんでいた。
「あいつらを、理解したい。その一心でマル暴になった。それはいまも変わらん」
今仲に出自を話すことに正直、迷いはあった。下手をしたら倫理を問われ、監察にタレ込まれて失職する。だが、言ってよかった。
「今仲さん。おおきに」
「なにがやねん」
今仲は照れくさそうに目を逸らし、再び、誓の育ての親の墓前に手を合わせた。
今仲がCX-5を運転し、大阪の道を南下していく。目的地に到着するまでの間、誓は詳しく生い立ちの秘密を今仲に聞かせた。
「母が殺害されたのが四月二十四日。有力容疑者やった母の元教え子の黒田健優はその直前から行方知れずで、迷宮入り」
今仲は黙って話を聞いている。
「他は全部、海苔弁やねん。私は生後五か月で現場におった可能性が高いし、向島春刀も一緒に暮らしとったはずなんや。なんで黒塗りにされたか、知っとる?」
「決死十四人衆のことに触れたから、やろな」
「父は調べとったらしいね」
「でも実態がわからずじまいや。わからないと結論づけたら敗北やろ。せやから府警のトップが、なかったことしたんや」
「存在していないことにしてしまえば、警察のメンツは保たれるしな」
「しかも担当刑事が十四人衆のうちのひとりの子供を養子に入れたいうのも、あかんと思ったんちゃうか。せやから誓ちゃんがおったことも黒塗りにした。向島は無戸籍やったし、もみ消しても問題にはならんやろ」
今仲はため息をはさんだ。
「それにしても、まずいで。僕は向島春刀の愛娘を抱いてしもた」
誓は缶コーヒーを吹きだした。
「バレたら顔面剥がされるんのとちゃう」
「せんわ」
「僕を庇うてくれる?」
「庇うもなにも、どっか行ったままや、あの人」
今仲は笑っていたが、目尻の皺を残したまま、深刻そうにフロントガラスを見つめた。
「最初から最後まで、地下に潜りっぱなしやったな、向島春刀は」
「若頭をハチの巣にされても、子分が暴走して内ゲバになっても、うんともすんとも言わん」
今仲は首を傾げる。
「関東吉竹組の泉も、本家吉竹組の矢島の双子も、唐突に終息宣言を出したやろ」
「警視庁は手打ちを持ちかけてへん。府警が声をかけたんやないの」
「うちもなにもしてへん。その道を探ろうとしとったのは事実やけど、担当の僕が山にこもりっぱなしやったからな」
今仲が苦笑いでリアシートの向こうに顎をやった。スコップやつるはしの柄が見える。行方不明になった料理人を探し続けていた。死体が埋められたおおまかな場所に目星をつけ、穴を掘り続けているらしい。いまその目的地に向かっているが、場所は大阪府と奈良県の県境、険しい生駒山地だった。走っても走っても似たような景色が繰り返される。よほどの明確な目印がない限り、この界隈の山地に埋められたという料理人の遺体は発見できないだろう。
「結局、地下に潜っとった向島が双方に働きかけて終結宣言を出させたっちゅうことやろ」
対向車線も後続車も全くない国道の路肩に、今仲はクルマを停めた。運転席の向こうは崖っぷちのようで、崖下から水の音が聞こえてくる。
今仲はバックドアを跳ね上げ、その下でジャージに着替え始めた。
「この先の斜面にコンクリで固められたところがあるんや。去年のお盆の台風で崩れた」
「その復旧工事を請け負ったのが、矢島総業のフロントと言われる紀ノ川土建やね」
「工事の着工が去年の暮れ。コンクリで固めたんが今年の三月」
料理人が行方不明になったころと重なる。今仲は自治体の道路課に問い合わせて詳しい着工図を手に入れ、紀ノ川土建が手入れをした箇所でコンクリート舗装されていないところから、掘り進めているらしかった。
「誓ちゃん、クルマで待っとるか」
「手伝うに決まっとるやないの」
誓は汚れてもいい恰好で関西まで出てきたつもりだ。今仲は微笑み、斜面を指さした。
「あの固定梯子をあがりきったら、土の斜面に出る」
梯子に足をかけたとき、「誓ちゃん」と今仲に声をかけられる。
「僕のエスを気にかけてくれて、ありがとう。一緒にここまで来てくれたのは、誓ちゃんだけや」
今仲はスコップとつるはしを背負い、涙ぐんだ。
「その涙が乾くようなことを言ってもええ?」
今仲はぎょっとした様子で、誓を見た。
「手伝う代わりになんかほしいんか」
「そうや」
「ダイヤの指輪とか」
「そんなんいらん。本家吉竹組総本部に入りたい」
今仲は黙っている。
「矢島の双子と話がしたい。いつかのように勝手に入ったら府警を騒がせてまうから、今仲さんの了承がほしい。そして他の府警マル暴たちを説得してほしいんや」
「なんの話をする」
「母の話」
今仲は唇をきっと引き結んだ。
「育ての両親も、千里におったらしい祖父母も亡くなっとる。実の父親は行方知れず。細かい事情を知っとるのは矢島の双子だけや」
「それだけか」
やはり今仲は感づいている。実はここからが本当の目的だ。標準語で言う。
「私は、関東吉竹組と本家吉竹組が唐突に出した抗争終結宣言を信用していない」
今仲は背筋を伸ばし、腰に手をやった。
「双方の抗争指定が解かれたのは時期尚早だったと思う」
「仕方がない。指定を続けるとそれだけマル暴の負担が続く。元旦から警視庁も府警も休みなし。予算もかかる。警備にかかる費用は全て市民の血税や」
今仲はいっきにまくし立てた。
「抗争が終結していないと考える根拠はなんや」
「向島春刀が地下に潜ったまま。本当に和解したのなら、表に出てくるはず。まだなにも終わってないのよ」
今仲が眉をひそめる。
「抗争がまだ続くというんか」
「それを探るためにも実母をネタにして、総本部に入りたい。矢島から実の父母のメロドラマを涙して聞きながら、真相を探る」
今仲はやや呆れ気味だった。
「メロドラマの話をしながらどうやって抗争のバックグラウンドを探るんや。突飛すぎる」
「なら一緒に考えてよ」
誓は今仲の背中からつるはしを抜き、自分で担いだ。梯子に足をかけて上る。
「穴を掘りながら、考えよ」
「誓ちゃんにはかなわん」
今仲は頭を掻いたが、ついてきた。
それから五時間かけて休憩をはさみながら穴を掘り続けたが、出てきたのは腐った木の根や動物の死骸だけだった。スマホはクルマに置いてきた。マニラに飛んでいた藪から五分おきに着信があったと気が付いたのは、明け方のことだった。
関東吉竹組の泉勝が旅行先の石垣島で行方不明になったという。