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第五章 情報提供者(承前)

 十五時過ぎに宮城県北部にある金成パーキングエリアに到着した。横浜ナンバーのヴェゼルの周囲に規制線が張られ、宮城県警の警察官がパトカー脇でひとり立っていた。
「お疲れ様です」
 敬礼し、名刺交換した。
「いま警視庁が宮城県内のレッカー業者を手配中です。今日中に都内へ運び出します」
 車内には犯人の痕跡が残っているはずだ。鑑識作業が終わるまで入れない。そもそもロックがかかっていた。車内を覗き込む。
「見たところ、凶器や着替えは残っていなさそうですね」
「道中で捨てた可能性が高いな」
 藪は乗鞍に電話をかけ、東北道のパーキングエリアのごみ箱から不審物が発見されていないか、確認を取るように言った。
「結構な大仕事になりそうですね。宮城の他、福島、栃木、埼玉県警に協力要請を出す必要があります」
「この三日間でPAやSAのゴミは回収されて産廃業者に渡っているだろうしね」
 いまから各県のゴミ処理場へ行ってゴミ漁りをするのは現実的ではない。
 日が落ちるころに警視庁が手配したレッカー車がやってきた。宮城県警の鑑識捜査員も駆けつけて、本格的に鑑識作業が始まった。
 だが、ごみひとつ残っておらず、押収物はほとんどなかった。指紋も取れず、不明瞭なゲソ痕が取れただけだ。
 ひとりの鑑識捜査員がヘッドレストに毛髪を見つけた。ヘッドレストとシートの間にはまりこんだ毛髪をピンセットでゆっくり引き抜いた。
「毛根つきです」
 DNA鑑定できる。

 三日後、DNA鑑定の結果から、毛根の持ち主が判明した。
おおふとし、五十歳。違法薬物の売買で逮捕歴がある。三年前まで向島一家の構成員だった」
 乗鞍が読み上げた。誓は思わずガッツポーズをする。
「だが破門されていた。破門の二年前も違法薬物所持で逮捕されている」
 向島一家は薬物厳禁だ。
「この時は初犯だから警察の処分も甘い。執行猶予がついた。向島一家でもまた、大野をかわいがっていた兄貴分の山城が一緒にエンコ詰めして向島に頭を下げ、なんとか首の皮一枚繋がっていた」
 いつだったか、ボクサーなのに舎弟のために指を詰めていた山城について、藪が話をしていた。山城はよほど大野をかわいがっていたのだろう。
「大野は山城には頭が上がらないですね」
「だろうな。向島一家が事実上バラバラになってしまったいま、山城は兵隊が欲しくて、破門された弟分にも声をかけているんだろう。アジトがわかって凶器が出れば、凶器準備集合罪で一斉にワッパをかけられる」
 少人数の町田双蛇会にはいまのところ反撃ののろしがみえないから、山城一派の抑え込みに成功すれば、いったん、血で血を洗う抗争は終結するかもしれない。
 いま向島一家は向島春刀という求心力をなくして一部が暴走状態だ。もうひとりの幹部、若頭補佐の倉敷和成の立場はどうだろう。その動向を探る必要があった。

 翌朝、藪と誓は倉敷の自宅を訪ねた。曳舟駅から徒歩五分の住宅地だ。古い家屋や真新しい住宅が混在する住宅地の中に、『倉敷』という表札の出たペンシルハウスがある。一階のガレージにはリヤウィングがついたGRヤリスが駐車してあった。
「なんだか博徒系暴力団員ぽくないですね」
「いま賭博はネットカジノが主流だからね。常盆が開かれていたとき倉敷は合力だった。威勢のいい声を上げてたんだけどね」
 藪がまだ若い頃、摘発したことがあったらしい。倉敷は合力として日本一になるんだと息巻いていたが、賭場がほぼ絶滅すると行き場をなくし、カーレースにのめり込んだようだ。
「向島春刀は賭場ではどんな役割をしていたんですか」
「やつは帳付け。片腕なのにさ、きれいな字を書くんだ。廻し金の計算も速かった」
 向島は二十歳まで無戸籍だったから小学校にすら通っていないはずだ。彼に勉強を教えたのは誰だろう。
 インターホンを押す。妻に二階のリビングへ案内された。上下プーマのジャージ姿の倉敷が現れる。よく日に焼け、オニキスとタイガーアイのパワーストーンブレスレットをつけていた。
 倉敷は事務所で聴取をすると一切しゃべらないのに、自宅だと口が軽くなる。クルマの中だともっとよくしゃべるらしい。自分が主の城でしか気を抜けないタイプなのだろう。
「何度も言っていますが、私は山城とは連絡を取っていません。町田、要町、日東医大、どの事件も一切、関わっていませんから」
「それはわかっています。内偵の報告は全て目を通しています」
 倉敷は向島一家に特定抗争指定が出た一月中旬以降、自宅で大人しくしている。山城のように警察の目をかいくぐる神出鬼没さはない。一度だけ中学生の息子のテニスの試合の応援のためにGRヤリスで小金井公園に行った。その日は午後、日東医科大学病院銃乱射事件があったため、内偵の刑事は一旦引き上げて現場に急行した。夜には倉敷が自宅に戻っていることを確認していた。
 誓は改めて尋ねる。
「何度も聞いてきたことですが、改めて。二代目の向島春刀と連絡は取っていますか」
「いいえ」
「突然、一家を放り出すような形で消えた総長をどう思われていますか」
「わかりません」
「稲峰を銃撃し、射殺された忠虎については」
「そんなやつ、知りません」
「向島春刀の影武者ではないですか」
「さあ」
「大野太という元構成員について教えてください」
 倉敷は変な顔をした。
「やつは薬物売買で二代目に破門にされている。以降は知りません」
「一度は見逃してもらっていますよね。兄貴分だった山城と共に指を詰めた。大野は山城には頭が上がらないはず」
「私は知りませんね、そんな話。なんで破門されたやつの話が出るんだか」
 黙って誓の聴取の様子を聞いていた藪が、身を起こす。
「これからどうするんです、向島一家」
 倉敷の目に、初めて光が宿る。
「二代目のころは向島春刀というカリスマのもとで一致団結していたように見えましたけど、彼が消えた途端に内紛。四代目は誰が襲名するのか、話はついているんですか」
「警察さんには関係のない話ですよ」
「私たちはあなた方を取り締まる立場です。勝手にどうぞとは言えない」
 藪が凄む。倉敷も負けずにメンチを切った。誓は敢えて女の子ぶって、間に入った。
「二代目向島総長はお元気なのでしょうか」
 倉敷がちろりと誓を見た。
「私は、心配しているんです」
 倉敷が向島と誓の本当の関係を知っているのかどうかはわからないが、山城や千住のように誓が片思いしていると揶揄したことはない。倉敷は長らく誓を見つめて、なにか言いたそうにしている。なおも誓が粘ろうとしたところで、藪は聴取を切り上げてしまった。二人でペンシルハウスを出た。
「倉敷は向島の居場所や目的、全て知っていそうな気がします」
「だろうな」
「だろうな、って。粘らないんですか」
「ヤクザはネタがないと口を割らない。それよりいまは山城一派が起こしている内紛だ」
 倉敷は恐らく、山城の動向を知らない。
「放置していて無関心なのも気になる」
「警察の内偵があるから動けないだけかもしれません」
「それにしてもなにか変だ」

 日東医科大学病院事件から一週間が経った。山城や大野の居場所をなんとしてでも突き止めたいが、凶器すら出てこない。
 深夜、今仲が誓の自宅を訪ねてきた。
「誓ちゃん。やらんか」
 いきなり抱き着いてきた。酒くさい。かなり泥酔している様子だった。
「どうしたん。最近様子がおかしいで」
 少し痩せたような気もしたので、ベッドではなくダイニングテーブルに座らせた。
「夕飯は食べたの」
「食うとらん。最後にいつなにを食うたか、覚えてへん」
「一体どうしたん。タコ焼きでもしよか」
 誓は棚からタコ焼き機を出した。冷凍のぶつ切りタコを電子レンジで温める。缶ビールを出すのを躊躇したが、今仲が誓の手から奪ってプルトップを開けた。
「飲みすぎちゃう」
「ほっといてくれ。ただのセフレやろ。で、そっちの情報提供者はどうや。よろしくやっとんのか」
 今仲も藪と同じように雷神とセックスをしたと勘違いしてやきもちをやいているのだろうか。誓は返答がめんどうくさくなったが、今仲は深刻そうに床を見つめる。
「情報提供者は大事にせなあかん」
「今仲さん、どうしたん」
「いなくなってしもた。僕の情報提供者」
 今仲は両手で顔をこすった。そのまま顔を両手に埋め、肩を震わせ始めた。
「矢島の双子の専属料理人のこと?」
「そうや。連絡がつかんようになって二週間。母親も同じころに全く音信不通になったと、連日、府警に来とったらしい。そしたら今日になってわざわざ僕に会いに上京してきた。母親に泣きつかれたで。捜してくれと」
 今仲が洟をすする。
「僕が情報をせっつきすぎたせいかもしれへん。矢島の双子にエスであることがバレてしもたんやとしたら」
 電子レンジがタイミング悪く鳴った。
「消されたんや。僕がエスを死なせてしもた」

 泥酔した今仲をベッドに寝かせ、誓は明け方の歌舞伎町に繰り出した。胸騒ぎがして眠れなかったのだ。雷神に電話をかける。バイトを終えて自宅に帰っているころだろう。
 電話に出た雷神はタクシーの中にいた。
「今日はバイトに行ってないんだ。実はいま成田に向かってる」
 海外に行くつもりのようだ。
「どういうこと。急になにがあったの」
 雷神の声は弾んでいた。
「実は大きなチャンスがきたんだ」
 つい先日、国内マッチがキャンセルされたと愚痴を聞いたばかりだ。
「ちゃんと決まったら連絡するよ。大きなマッチになると思う」
「相手は誰なの。教えてよ」
「ここだけの話だよ。ゼウス・ガルシアだ」
 誓は困惑した。ガルシアはフィリピンの世界的有名ボクサーだった。五年前に引退したが現役時代は狂犬と恐れられ、ラスベガスでタイトルマッチを行ったこともある。彼と日本人ボクサーとの世界戦は、地上波でも放送があった。
「ちょっと待って。冗談でしょ」
「冗談じゃないって。本当」
 いくらなんでも、国内のタイトルも持っていない、ランキング下位の選手が、世界的に有名な元ボクサーと対戦できるはずがない。
「そんなに珍しいことじゃないんだよ。OBが何人も登場するドリームマッチがあるんだ。僕はそのドリームマッチのガルシアの対戦相手になれそうなんだ」
 余計ありえない。雷神が相手では観客にとって夢のような試合にはならないだろう。
「ガルシアはこれまで貯めたファイトマネーを元手にマニラで高級日本食レストランを始めたんだけど、うまくいかなくて借金まみれになったらしいんだ。それでドリームマッチへの参加を決めたらしい。この三年でぶくぶくに太ってる。これからフライ級まで減量するって話だ」
「雷神はライトフライ級よね」
 フライ級とは一キロほどしか差がないが、パンチは確実に重くなる。
「僕も階級を上げる。体重を増やして体を作る必要があるし、ガルシアと事前にグローブを交えてみたいのもあって、これからマニラで強化合宿ってわけ」
 いくらなんでも話が急すぎる。
「どうして早く私に教えてくれなかったの」
「事件が立て続けにあって、忙しいだろうと思ったんだよ」
「帰国はいつになりそう」
「強化合宿だからなんとも言えないな。ガルシア次第のところもある」
 誓は靖国通りに出て、タクシーを止めた。後部座席に乗り込み、運転手に「成田空港」と告げる。

 雷神は八時五十分成田空港発のLCCでマニラに飛ぶという。警察の都合で止めるわけにもいかないが、なにかが引っかかるのだ。
 誓は藪に報告を入れた。大きな情報を警視庁に流していた情報提供者の突如の渡航に、藪もきな臭いものを感じたようだ。
「嘘の情報を流したからひとまず雲隠れじゃないだろうね」
「それはないと思います。彼、ドリームマッチを前にはしゃいだ様子でしたから」
「そもそも私はボクシングが全くわからないけど、ガルシア戦はさほどに不自然なのか」
「ものすごく不自然です」
「とにかく成田で足止めさせろ。そのドリームマッチを持ちかけてきたのがどこの誰なのか詳細を聞くこと。場合によっては渡航を中止させるべきだ」
「場合というのは」
 藪が生唾を飲む音がした。
「いいか。マニラは日本のヤクザの墓場だ」
「逃げ場じゃないんですか」
「ヤクザの行方不明が最も多い場所もまた、マニラなんだ。そこで消されている」
 使い捨てのヒットマンがマニラで消されたという話は、誓も聞いたことがある。
「みな、組の上層部から偽造パスポートを渡されマニラの滞在を示唆される。現地のブローカーが世話をするのはせいぜい一か月で、その間は豪遊させるが、結局は殺害される。二度と生きて日本の地を踏めない」
 暴対法や暴力団排除条例により、末端が起こした事件の責任を組長も負う共同正犯や使用者責任が裁判でも認められるようになってきた。組長はいくつ首があっても足りないから、最近は自首をさせずにさっさと海外で消してしまうらしかった。組のために汚れ仕事をしたヤクザをあがめ、刑務所でのお勤めの間は組がその家族の面倒を見て、娑婆に戻ってきたら手厚く組で出迎える、という任侠は、法律でヤクザを締め付けすぎたせいで、消え失せてしまったのだ。
「雷神は山城が襲撃を指図したことも含めて忠虎の情報をしゃべってしまった。消されるためのマニラ行きになりかねない」
 誓はタクシー運転手を急かし、予定より三十分近く早く成田空港第一ターミナルに到着した。誓は雷神に電話をかけた。時刻は七時四十五分になっている。
「雷神、いまどこ。成田にやっと着いたの」
「え、本当に来たの」
「お願い。行かないで。なんだか嫌な予感がするの。今日は一旦、渡航を見送って」
「無理だよ。もう搭乗時間だ」
 出国審査場すら出てしまったようだ。
「それなら誰がそのドリームマッチを持ち込んだのかだけでも教えて」
「それはオーナーに聞かなきゃわかんない」
「山城拳一は関わっているの」
「山城さんはありえないよ」
「どうして」
「山城さんは現役時代にフィリピンでタイトルマッチに呼ばれたとき、女遊びが過ぎてあちらの風俗店のボディガードを何人も病院送りにしているんだ。フィリピン警察に大金はたいて罪は逃れている」
 もう三十年近く前の話だという。
「それ以来、山城さんはフィリピン当局に目をつけられていて“俺はペルソナ・ノン・グラータだ”って笑ってたよ。だからフィリピン関係の興行には関われない」
 雷神は最後まで聞く耳を持たない。
「大丈夫。すぐ帰ってくるから」

 雷神が渡航して三日が経った。毎日ビデオ通話をしているが、いまのところトラブルに巻き込まれている様子はない。
 情報提供者を死なせた可能性が高い今仲は、かなり落ち込んで捜査に支障をきたし始めていた。毎日のように情報提供者の母親から電話がかかってくるのだ。
「僕の情報提供者や。彼を捜してやれるのは僕しかおらん」
 結局、今仲は大阪に戻ってしまった。
 今仲が帰阪した夜、麻布署管内で起こった傷害事件で押収した防犯カメラ映像に大野が映っていたという情報が、駒込署に舞い込んできた。
 誓と藪は麻布署に向かった。刑事課で、課長が防犯カメラ映像を見せてくれた。
「昨夜、クラブ『カーネギー』で喧嘩騒ぎがありましてね」
 テーブル席に、ロングヘアを巻いた女性がいる。
「この女性はAV女優のたつマコです」
 出演本数は四本とまだ駆け出しだった。逮捕歴はないが、路上寝や酩酊などで何度か警察のお世話になっている。
「薬物疑惑もあったんですが、現物を押さえられなかった。尿検査を受けたこともありますが、薬物反応は出ませんでした」
 映像の中、マコの隣に男が座った。二人は顔見知りのように見える。
「大野太ですね」
 誓は腹の底がじりじりと熱くなる。大野は談笑しながら胸ポケットに手をつっこみ、気取った手さばきでグラスに手を伸ばした。コースターを上げて、また戻した。
「なにかを下に置いて隠しました。薬物のパケでしょうか」
 だが直後に喧嘩が始まった。大野は隠したものをポケットにしまい、立ち去る。
「マコに渡し損ねたね」
 次のチャンスを狙うはずだ。
「このAV女優を張りましょう。大野が再び接触してくるはずです」

(つづく)