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第一章 宣戦布告(承前)

 話を吉竹組の分裂抗争に戻す。
「関東吉竹組を旗揚げした泉組長は、向島一家が喉から手が出るほど欲しかったはず」
 もともと博徒集団だが、賭博場を開くことが法規制されると、バカラ賭博へ移行、それも規制されたいまはネットカジノでもうけているという話だ。
「だが向島はどっちにもつかんかった。和解のため、泉組長に謝罪の手紙を書かせようとしたらしいな」
 今仲がうなる。
「僕はね、向島は一本筋を通す男やと思うんや。旧吉竹組の若頭補佐とはいえ、向島の拠点はこっちやさかい、警視庁さんの内偵資料を読ませてもらっての感想ですけど」
「私もそう向島を分析しています」
「泉組長に謝罪を要求しておったということは、向島は心情的に本家、つまりは矢島の双子についておったんやろか」
 誓はうなるにとどめた。筋を通す男が、全く筋を通さずに日本最大の暴力団のトップの座にのし上がった矢島の双子の方に寄った動きをしていたのは、奇妙なことだった。
「関東の泉とはもともと仲が悪かったんか。もしくは矢島の双子に恩義でもあったんか」
「なにか弱みを握られていた可能性もありますね」
「誓ちゃん、向島がなして左腕をなくしたんか、知っとる?」
 誓は首を横に振り、画像を見せた。
「これは向島を捉えた最も古い映像を切り取ったものです。当時十三歳、吉竹組のガサ入れ抗議のため本家の門前に並んでいます」
「中坊でか。まだ腕があるな」
「向島は十三歳ですでに天王寺の吉竹組に出入りしていたと思われます。彼は関西育ちではないかと思うのですが」
「ガサ入れ時には傘下団体から腕っぷしが強いのを呼ぶさかい、どこから来たかは限定できん。僕は向島が関西弁をしゃべっとるのを聞いたことがないで。関東育ちやないんか」
「関西弁をしゃべらないから関西人ではないとは断定できないでしょう」
 誓は、吉竹組系列の暴力団事務所から押収したアルバムで見つけた向島の画像をいくつか見せた。
「次に古いのが二十歳のころ。初代向島のボディガードをしています。このときすでに左腕がないようです」
「つまり、十三歳から二十歳の間に腕を失った?」
「肘から下の切断は重症です。二十歳のときにボディガードができるほどに回復していることを考えるに、十八歳ごろまでに腕を失ったとみるのが自然かと思います」
「十代で腕を切断するほどの喧嘩や抗争に参加していたとは思えんな。事故かなにかで失ったんやないのか」
「本人は、人生最高の失敗を犯したときのものだ、と言っていました」
 誓が腕について直球で訊いたときのことだ。向島は苦笑いしていた。
「人生最高の失敗」
 今仲は食い気味に繰り返した。
「誰かのためだったのではないでしょうか。あの人のことだから、誰かの命と引き換えだったとか」
「あの人」
 今仲はいやらしい目をしていた。
「なんですか」
「いや。別に」
 今仲は椅子に座り直した。
「で、去年の夏に勃発した代理戦争やな。シノギを巡り、本家吉竹組系坂崎さかざき興行と、関東吉竹組系八王子そうりゆう会がもめて殺人事件に発展した。発端は、警視庁マル暴刑事、仲野けん巡査部長銃撃事件」
 誓の元夫だ。
「だがこいつは闇落ちしておったんやな。車椅子になってもなお、妻だった誓ちゃんから捜査情報を抜いて八王子双竜会に流しておった。あんたはアジトを突き止めたが八王子双竜会の輩に取っ捕まって……」
 今仲が上目遣いに誓を見た。この話を振っても大丈夫か、気遣っているようだ。
 誓は全裸にされチェーンソーでバラバラにされるところだった。刃物による深い傷が右乳房に残っている。
 誓は八王子双竜会の若頭補佐だった男の画像を見せた。三十代中盤の金貸しだった。
「渡世名はかい竜将りゆうしよう。この男が私を拉致し暴行した主犯です。四か月経ったいまも足取り不明です」
 今仲がじっと海竜の画像を見つめる。
「去年の代理戦争で行方不明になったのは、関東系の海竜と、和解奔走中だった独立系の向島の二人っちゅうわけやな」
「ええ。海竜は関東吉竹組の助けで潜伏中か、もしくは本家につかまって消されたか、そのどちらかだと思っています」
「まあ、これは雑魚やろ。僕はやっぱり向島の動きが気になる」
 今仲が誓を凝視した。
「誓ちゃん。正直に、腹割って話そ」
「腹を割って話していますが」
「ほならカードを切らしてもらいますよ」
 今仲は缶コーヒーを口にしたが、空っぽだと気づき、ごみ箱に乱暴に放り投げた。
「あんた、向島の女やろ」
「そんなはずないでしょう」
「向島とデキておった。アイツを追っかけて何度も大阪に来とるね。府警の監視カメラがあんたと向島のツーショットを捉えとる」
「どこの監視カメラですか」
「本家総本部の入口を捉えたカメラや」
「総本部に入ったことは浅はかでしたか、双子に招かれたのだから仕方ないです」
 去年の夏休み、両親の墓参りついでに天王寺に立ち寄ったとき、あちらの目に留まって中に招待されてしまった。
「中には向島の他、若い衆や幹部、双子の組長もいてにぎやかでした。それが私と向島がデキている証拠ですか」
「北新地のホテルで一晩過ごしとることも府警は把握しとる」
 誓はさすがに驚いた。府警に把握されていたようだ。
「父の話を聞きたかっただけです」
「亡くなったお父さんのなにを聞くために、遠く離れた大阪のホテルで一晩を過ごすことにしたんや」
 誓は嘘をついた。
「父の本当の姿を知りたかったんです。向島は生前の父と親しかった。その理由を知りたかったんです」
「わざわざホテルで密会するほどの内容とは思えん」
「夫が闇落ちしていたんですよ。もしかしたら父もそうだったのかと疑い始めてしまったんです」
「向島はなんて答えた」
「私の父は立派なマル暴刑事だったと」
「たったそれだけかいな。そこらの喫茶店か向島一家の事務所で話せばいいことや」
「闇落ちの事実が出てきたらそれこそ場所を移動せざるを得なくなるでしょう。だからホテルを取ったんです」
「東京のホテルではあかんかったんですか」
「闇落ちの事実がわかったら、八尾の墓をぶっ壊してしまおうと思っていたくらい、当時の私は夫の闇落ちで荒れていたんです」
 誓は嘘をぺらぺらとしゃべった。
「あんたの夫の闇落ちが判明したのは去年の八月や。あんたが北新地で向島と密会したのは七月。あんた、一か月も夫の闇落ちを黙っておったんか」
 誓は口を閉ざした。しゃべりすぎて墓穴を掘ってしまった。
「僕は信頼する相手としか仕事をしたくないんでね。腹を割ってくれん相手とは相棒になれへん」
「なら警視庁で勝手に孤立してください」
 誓は席を立った。
「もう一枚、カード切らしてもらいますよ」
 今仲が鋭く誓を見上げた。
「海竜将の消息に関してや」
 警視庁が最も欲しい情報のひとつだ。大阪府警のマル暴刑事なら、本家系列の暴力団員のひとりや二人、飼いならしているだろう。情報提供者、いわゆるエスが今仲にもいるはずだった。
「海竜将は本家筋の組員に拉致られて、総本部で殺害されとるようや。畳八枚がダメになるほど出血し、拷問を受けて殺された」
 誓はテーブルに戻った。
「手を下したのは向島春刀。お得意の顔面剥ぎを矢島の双子の前で披露した」
 誓はさすがに動揺を隠せなくなってきた。
「さてここでひとつ疑問。分裂抗争を防ごうと東西を奔走していた向島が、本家総本部の双子組長の前で、関東系の組員を拷問死させた」
 演技がかった様子で今仲が肩をすくめる。
「本家の双子は大喜びしたやろな。向島はこの時点で関東に牙を剥いたことになる」
 向島は双子にひれ伏して血まみれの手で盃を交わしたという、信頼できる筋からの情報があったらしい。
「関東系の組員を双子の言いなりになって殺してしもたんやから、そうなるわな」
 誓の額から汗が噴き出してきた。
「なして向島は海竜将を残虐に殺す必要があったんや。和解に奔走しておったのなら、殺すのはおかしいやろ。個人的な憎しみがあったと見るのが自然や。さて海竜に対し向島はどないな憎悪があったか」
 女や、と今仲は嬉しそうに言う。
「海竜はあんたを辱めとる。その一か月前にあんたは向島とわざわざ大阪に出向いてホテルで密会しとったな」
 今仲が結論づける。
「あんたと向島はデキとる。向島は愛する女を凌辱されて激昂し、海竜を残虐な方法で殺害した。お膳立てしたのは矢島の双子やろか。策略家の勇が考えそうなことや。全ては、抗争に勝利するため。武闘派の向島一家を味方につけたかったんやろな」
 今仲はしゃべり倒し、胸を張った。
「あなたは傷口を抉る人」
 誓は流し目で言った。
「正直に言います。北新地での夜のこと」
 誓はスマホを出し、藪にSOSのメールを送った。すでに関東吉竹組のガサ入れを終え、本部に戻ってきているはずだ。
 スマホをしまい、今仲の隣に移動した。ぴたりと太ももをつけてその耳元で囁いた。
「フラれたんです。私の片思いでした」
 今仲が身を引き、誓の横顔を見る。
「夫は闇落ち、そもそも銃撃されて車椅子生活だったんですよ。人肌恋しかったのは確かです」
 今仲の喉仏が上下した。
「向島は警察が把握するずっと前から、夫の闇落ちを知っていました。彼は私に同情的でしたから、私は余計に火がつきやすい状態だったんです。向島と寝たら抗争の情報を取れるかなという浅はかな計算もありました」
「で? 寝たんか」
「だからフラれたんです」
「嘘や。独身の中年男が若い女に言い寄られて断るはずがないわ。据え膳食わぬは男の恥、ヤクザなら余計やで。ましてや警視庁の女刑事。食うた方が向島の有利になるやろうに、断るはずがない」
 誓はキスができそうな距離にある今仲の目をじっと覗き込んだ。目を逸らされる。
「今仲さん、独身やの」
「そこで関西弁使うな。卑怯やろ」
「かわいい」
 頬をつついて見せた。
「やめんか」
「別にええやない。今仲さんの東京滞在中のホテル、私が選んだんですよ。タコ部屋みたいなシングルはかわいそうやから、ダブルにしときました」 
 今仲の太ももを撫でた。拒否しない。思っていた以上にちょろそうだった。ようやく藪が入ってきた。
 誓は服や髪を整えながら向かいの席に戻った。藪は空気を読んでくれる。誓の後頭部をこづいた。
「こら。またやってる」
 藪は自己紹介もせずに誓を叱った。
「ごめんなさいね。うちの尻軽が。離婚したてで寂しいからって片っ端からマル暴刑事をたぶらかしてて困ってんのよ」
「そんなんじゃないですよ。府警さんとはこの先長い付き合いになりますから、仲良くやった方がいいじゃないですか」
「バカ。男は勘違いするだろ」
「僕は勘違いなどしませんよ」
 今仲が標準語になった。藪は自己紹介を済ませ、誓の腕を引いて小会議室を出た。女子トイレに移動し誓は溜息をつく。
「危なかった。府警の回し者、相当なキレ者です」

 二十一時過ぎには関東吉竹組の押収物の分類を終え、誓は藪と二人で常連のホストクラブ、『雨音』に向かった。新宿区歌舞伎町のど真ん中、風林会館に入っている。藪がかわいがっているホストのそらをはじめ、店長も口が堅く、内密の話をしたいときは特別料金を払わずとも個室を使わせてくれた。女性相手の商売だけに、男性が多い警察とホストクラブは繋がりを持ちにくい。ホストクラブに遊びに来てくれる女刑事はVIPなのだ。
 誓は最初こそ遠慮があったが、いまでは堂々と個室を愛用させてもらっていた。誓のお気に入りはマサヤというベテランホストだった。年齢は長らく教えてもらえなかったが、藪が「誓はファザコンだから枯れ専だ」と言うと、四十五歳だと教えてくれた。若々しくて腹も出ていないし、目尻の皺とほうれい線が最高にセクシーだった。
 聞き込みで歩き回った日などは足がむくんでしまうが、マサヤがいつもマッサージしてくれる。絶妙な足つぼマッサージに悶絶しながら、誓はビールを飲み、藪に今仲について愚痴をこぼす。
「今仲は信頼できるエスがいるようですし、私がコントロールできる相手ではなさそうな気がします」
 ぎくりと痛いツボを押されて、誓は思わず腰を浮かせた。マサヤは誓の反応がおもしろいようで、やたら攻めてくる。
「今日は足首のむくみがひどいですよ。真冬なんだから足首を隠す格好をした方がいい。モコモコしたブーツをはくとか」
「女マル暴がUGGのブーツ履いて歌舞伎町を闊歩してたらダサいでしょ」
「ジミーチュウかせいぜいダイアナあたりじゃないと格好がつかない」
 藪は更年期真っただ中だろうに、全く冷えないらしい。体つきも筋肉質で乳房も控えめな藪は、男性ホルモンが多い体質なのだと笑っていた。
 誓は藪に比べて肉付きがよい方で、胸はBカップと小ぶりだが尻が大きく、後ろ姿がスケベだとよく言われる。かつての夫もすぐに落ちたし、マサヤも誓の足をマッサージしながらしょっちゅう勃起している。
 藪の言う通り誓は尻軽なところがあるが、だからといって相手が誰でもいいわけではない。プロとはしないし、後腐れありそうな相手も遠慮する。
 仕事柄、血腥い現場を見ることはしょっちゅうだ。なにかあれば生きるか死ぬかの連中を相手にしていると、反動か異様な性欲が湧く。新人マル暴刑事の頃は先輩刑事だった元夫に手を出した流れで結婚した。専業主婦だったころは却って淡泊に過ごしていた。
 マサヤのマッサージを受けながら誓の脳裏に浮かんだのは今仲だった。分厚い胸板に抱かれ陽気な関西弁でしゃべり倒されながらするセックスは楽しそうだ。凄味のある横顔に余計濡れる。あのカリフラワー耳を舐めて反応を見てみたい。だが今仲に手を出している暇はない。
「マサヤさん、ありがと。今日はもういいよ。ちょっと外してくれる」
 マサヤが出て行くのを待ち、誓は切り出す。向島が海竜将を殺害してしまい、本家と盃を交わしたかもしれない、という話だ。
「十分あり得る話だ。誓ちゃんを襲撃した恨みを晴らすべく、海竜の顔面を剥いでそうな気はする」
 誓は唇をかみしめた。北新地のホテルで泥酔した誓をベッドに寝かし、片腕だけでブランケットをかけてくれた向島を思い出す。寄り添い、ぼそり、ぼそりと質問に答えてくれた。髪が口に入っていれば、指先でそっと取ってくれる。喉が渇いたと言えば、片腕だけでグラスを取り、水を注いでくれる。
 この世で誓を最も大事にしてくれる男だった。おそらくは誓のためなら命をも差し出すだろう。彼は誓にとってそういう『立場』にある人だった。
「向島が本家についてしまったのならば、確かに姿を消す理由にはなりますかね」
「関東を潰す準備に入っているのか」
 藪が不安げに尋ねた。
「そういうことだと思います。泉を討つ機会を虎視眈々と狙っているのかも」
「曳舟の子分たちを放っておいて」
 藪は疑わしそうだ。向島一家には、向島を親と慕い盃を交わした子分が八十人もいる。向島が姿を消して以降、向島一家内では大きな動きはなく、人の出入りも変化がない。
 何度も事務所を訪ね、若頭の千住雅せんじゆまさに探りは入れている。彼は五十四歳、向島より年上だが、初代が亡くなったあと、二代目の座を年下の向島に譲って盃を交わしている。曳舟生まれの曳舟育ち、若いころは愚連隊を率いて暴れ回っていた。千住は顔が大きく、マオカラースーツを愛用しているので、チャイニーズマフィアのような凄味がある。実際は気の利く小間使いだ。向島の居場所を尋ねられてものらりくらりとかわしているが、困惑している表情が見えなくもない。懐刀の千住も向島の居場所を知らないのだろうか。
「ちなみに向島がかわいがっていたドーベルマンもまた、行方不明です」
「あれ、千住の浅草橋の分譲マンションに連れていかれたんじゃなかったか」
「あそこはペット禁止なんです」
 殺処分された記録も譲渡の記録もない。どこかに雲隠れしている向島が引き取ったと思われる。ドーベルマンの追跡を強化していれば向島のアジトがわかったはずなのに、イヌを追尾するなんてばかばかしい、と上層部が取り合ってくれなかった。
「このまま親分の復帰を待つのか、千住が跡目を継ぐのか、向島一家の動向が気になるところですが、厄介なのは府警の今仲です」
「いい感じにたぶらかしてたじゃない」
「しょうがないじゃないですか。今仲は私と向島が男女の関係にあると信じ切っています。事実、私と向島は男女の関係以上に深いです。言い逃れするのが大変だったから、ちょっとたぶらかしてみただけです」
「へえ。今仲と寝てみたいと思っているのかと思った」
 誓は赤マルに火をつけた。
「そりゃ多少はありますけど」
 女二人、げらげら笑う。藪は酒の追加を叫び、誓の生足をぱちんと叩く。
「府警を出し抜くには、向島の居場所を一刻も早く突き止めるしかない。心当たりはないのか」
 誓は藪の手を振り払った。
「あったら言いますよ。ないから困っているんじゃないですか」
 藪がなおも誓の太ももに手をやる。今度はスケベったらしく撫でまわし始めた。
「直感でわかんないの。あんたにはあいつの血が流れてんだよ。娘のあんたが突き止めないでどうする」

 

(つづく)