菊の独白 四
平成六年の年が明けた。去年の夏から東京と大阪を行ったりきたりしていたコオロギは、クリスマスから休みをもらったらしく、私のアパートでゴロゴロしていた。
冬休みは受験生のラストスパート、予備校では正月特訓などやっているころだ。この時期は死にたいと言ったり、家出したりする生徒が出てくる。高校教師も緊張を強いられるときだが、私はコオロギと呑気に過ごしていた。小さな鉄鍋ですき焼きを食べ、紅白歌合戦を見る。
コオロギは女性の演歌歌手を見るや何某の親分の女だとか、長髪のロックシンガーに対してはソープで暴れてケツ持ちヤクザにボコられたとか暴露する。ヤクザは芸能界の裏話に詳しいようだ。
年越しそばを食べ、ゆく年くる年を見ながら二人でカウントダウンし、明け方までだらだらと絡み合った。深夜、寒さで目が覚めた。寝相の悪いコオロギがいつも布団を体に巻き付けてしまうのだ。
私はベッドサイドの明かりをつけ、布団を引っ張った。うつ伏せのコオロギの肩が照らし出される。刺青に半分ほど色がついていた。最近は背中を見せたがらず、セックスの時もコオロギは明かりを消してしまう。彼の背中では、ちょんまげを結った男が、押さえつけた男の顔面を剥いでいた。彼の血色の良さで赤い色が血生臭く見える。
「直助権兵衛というんやと」
コオロギがぼそりと言った。目が覚めていたようだ。
「知っとる?」
「知らんよ」
「稀代の悪人で歌舞伎や落語の演目にもなっとる。先生なら知っとると思とった」
「歌舞伎も落語も興味ないわ。この絵なに」
「直助権兵衛が一家惨殺しとる場面らしい。月岡芳年って浮世絵師が描いた。英名二十八衆句とかいう、無惨絵のひとつなんやと」
「なんでこんな刺青入れたん」
「言うたやろ、わしは菊を入れてくれと頼んだんや」
「菊なんかどこにもないで」
「親分がこれにしろ言うたんや。親の言うことは逆らえん」
「私は両親の言うことに逆らうで」
「堅気と任侠は違う」
コオロギは悲しげだ。
「わしが怖いか」
「そればっかり聞くんやな」
私は彼の背中の直助権兵衛にぺたりと顔をつけて、その体に覆いかぶさった。
「かっこいいで、最高に」
「ほんま」
息が背中にかかってくすぐったのか、コオロギは身をよじり「あかん」とつぶやく。
「先生のことが毎日、好きで好きでかなわん」
昼前までだらだらと寝て、おせち料理を食べたあと、曾根崎のお初天神で初詣した。地元の人はみな「お初さん」と呼ぶこの神社の本当の名前は露天神社という。
「ここ、なんでお初さんて呼ばれとるか知っとる?」
「近松門左衛門の『曾根崎心中』やろ」
コオロギは中卒程度の勉強をあっという間に終えて、いまは私の専門である現代文や政治経済の教科書をたまに読んでいた。黒憂会はもともと右翼だったから、政治の世界もコオロギはある程度わかっているようだった。
「ここの神社の森で心中事件があったんや。天満屋の遊女とどっかの手代が情死した」
「先生は、天満屋の女教師やな」
「そうやね。あなたは曾根崎のヤクザ」
コオロギが私の腰に手を回して抱き寄せた。
「わしと先生がここの森で情死したら、野島伸司はドラマにしてくれるかの」
「私は北川悦吏子に書いてほしいわ」
冬休みが終わって学校に出たが、出席した生徒は半数もいなかった。一週間後にはセンター試験が始まる。受験が終わるまで登校は自由だ。黒田健優も上京していた。
三学期の初日、早めに自宅に帰ったら、坊主頭の男が荷造りをしていて仰天してしまう。金髪の長髪がトレードマークだったコオロギが、いまや高校球児みたいだった。
「親分が丸めてこい、言うたんや」
「なんかやらかしたん」
「ちゃうわ。現場に証拠を残されへんやろ」
私はコートを脱ぐ手が止まった。
「どういう意味」
コオロギは口をつぐんだ。
いよいよ、殺しに行くのか。
コオロギはその日の晩、乱暴で身勝手なセックスをした。焼酎を飲み、私の手を振り払って煙草を吸った。やがて早朝、「ほな」と黒いバッグをかついで、出て行こうとする。
「どこ行くん」
「東京に決まっとる」
「いつ帰るん」
「知らん。嫌ならもう帰らんで」
どこまでも拗ねた調子で行ってしまった。私は半分あきらめの気持ちもあり、傷つきはしなかった。学校へ出勤しようとホットカーラーのスイッチを入れて温まるのを待っていると、ポケベルが鳴った。
『シンカンセンノッタデ』
新幹線の公衆電話からベルを入れているのだろう。まるで何事もなかったかのようなメッセージだった。おそろいで新しく買ったポケベルはカタカナ表示ができるようになった。私はまだ慣れずに数字とカナの変換表を見ないと返事ができない。
センター試験が終わり、生徒たちがどっと授業に復活するようになった。まだ進路が決まっていない生徒が半数いるので、授業は自習だ。誰が落ちようが受かろうが、適当に調子を合わせて、心は東京にいるコオロギに持っていかれたままだった。
ある日、職員室の私のデスクに黒田一令から電話がかかってきた。私は手が震えてしまう。いまコオロギが無事暗殺できました、なんて報告ではないかと思ったのだ。
「健優ですがね、全滅ですわ」
私は別の焦りで冷や汗が浮かぶ。相手はヤクザだ。どやされると思ったのだ。
「浪人決定。先生には申し訳ないんやけど、落ちこんどる。慰めてやってくれませんか」
「もちろんです。もう戻っとりますか」
「今夜の新幹線で戻る予定なんですがね、新幹線に飛び込みそうなほど暗い声やって、妻が心配しとります」
「私、迎えに行きましょか」
「おおきに。頼んますわ、先生」
黒田は到着時刻だけでなく座席の位置まで教えてくれた。私はコートを着て校門を出た。電車で新大阪駅へ繰り出す。
健優をびっくりさせ、笑顔にしてやろうと、入場券を買ってホームまで上がった。健優の乗る新幹線のぞみの六号車停車位置で待った。二年ほど前に運行が始まったのぞみは東京まで二時間半の速さだ。京都の日本海側や奈良の紀伊山地に行くよりも早く東京に到着できる。
定刻通りにのぞみがホームに入ってきた。健優は六号車八番の窓側に乗っている。新幹線が停車しかけたころ、死んだような目で座席にもたれる健優が見えた。彼は手足を投げ出し、コートも脱いだままで降りる意思がなさそうだ。
私は窓ガラスをノックした。健優は迷惑そうにこちらを見たが、私に気がつくと、はじかれたように尻を浮かせた。手荷物をわしづかみにして、ホームに出てきた。
「菊美先生」
「お帰り。お疲れさん。ようがんばったね」
健優は目に涙を一杯浮かべ、腕で目元をこすった。
「ごめんなさい。一校も受からんかった」
「謝ることないわ」
私は健優の両腕を一生懸命にさすってやる。コオロギの兄弟ともいえる彼が、担任する生徒の中で誰よりも愛おしい。
冬が終わり、卒業式が近づいてきた。コオロギからはたまにベルが入る程度で、最近は電話もあまりかかってこなくなっていた。最初のうちは二時間でも三時間でも長電話をしたが、彼はいつも公衆電話からかけてきた。最近は高校生にまでポケベルが流行りだし、公衆電話の利用率があがっているとかで、長電話をしていると、ベルを入れたい人で行列ができてしまうのだ。
卒業式まであと十日、私は自宅に帰り、ベランダに出て洗濯物を取り込んだ。ブラジャーとショーツがない。風で飛んだかと周囲を見渡し、身を乗り出して向かいにある小さな公園に目を凝らした。洗濯物が落ちた様子はない。
脱衣所の洗濯機を開けたが、干し忘れもない。テレビのニュースが春一番を報じていたから、風で飛んでいったのだろう。
翌日もまたブラジャーとショーツだけがなくなっていた。私は怖くなったが、ヤクザの女だという手前、警察に通報しづらかった。
私はコオロギにベルを入れた。
『シタギドロボウ コワイ トラレタ』
コオロギからすぐに返事が来た。
『オオサカモドツタラコロス』
私はそのメッセージで気が済んでしまった。一週間が過ぎたころ、またやられた。どうしてかベランダにアンモニア臭がした。私は天満駅へ向かった。天神橋筋のアーケード四番街の入口にある交番の引き戸を開けた。
「こんばんは」
デスクで書き物をしていた若い警察官に、下着が連日、盗まれていることを相談した。
「念のため、お姉さんの免許証見せてもらえますか」
私は財布から免許証を出した。先輩風の警察官が奥から出てきて、指示する。
「現場で写真撮って、他の住民に聞き込み。他に被害女性がおるかもしれん」
「あ、すみません。部屋はちょっと」
コオロギが出入りする部屋に警察を入れたくない。
「まずはベランダ見させてもらわんと、我々はなんとも動けません」
「部屋が散らかっとりますんで」
「気にしませんよ」
「私が気にするんです」
強気で返すと、警察官二人は顔を見合わせ、黙り込んでしまった。
「また来ますわ。今日はすいません」
それから下着泥棒は止んだ。警察が周辺を巡回してくれているのだろうか。
卒業式の予行があった日、自宅に帰ると、アパートの脇に見知らぬ白いセダンが停車していた。私が帰るなりコワモテの男二人が揃って降りてくる。私は急ぎ足で階段をかけあがった。男たちも追いかけてくる。猫撫で声で話しかけられた。
「すんません、大阪府警のもんです」
男性二人は桜の代紋を示した。ひとりは若い刑事で、もう一人は四十代くらいの前髪が後退した男だった。
「大阪府警の桜庭功と言います。先日、天神橋交番で下着ドロのご相談をなさってましたよね」
「はあ、でもおさまりましたんで」
実はね、と年嵩の桜庭が目を光らせた。
「この界隈で下着ドロが頻発しておりましてね。対岸の桜宮では被害者が襲われてます」
「えっ。ほんまですか」
「男に部屋に入られるのは嫌やろと思うんですが、犯人逮捕のため、ご協力をお願いできませんか」
こわもての刑事に拝まれ、私は拒否できなくなってしまった。若い刑事はベランダに出て、現場の写真を撮った。
「なんか臭いますね」
「そうなんです。三回目に盗まれたときから臭うようになりました」
若い刑事は窓の辺りにしゃがみこんで顔をしかめた。
「お姉さん、ションベンされてます」
「ほんまですか」
桜庭が腕を組む。
「置き土産やろか。ドロでたまにおるんです。現場に用を足していくやつ」
窓のレールに乾燥して黄色く固まりかけた尿が見えた。あとで掃除しなくてはならないと思うと吐き気がする。
「下着ドロがションベンか。マーキングかもしれへんな。これは俺のオンナ、とな」
桜庭が意味ありげに私を見る。
「桃川さん、一人暮らしですか」
「はい」
「洗面所に歯ブラシが二つありました。食器棚も夫婦茶碗。箸も男性用のが」
桜庭が食器棚の引き出しを開けた。
「勝手にやめてください」
桜庭は困ったように笑い、頭を下げた。
「いやね、男の気配をもっと外に出した方が、下着ドロは近づきませんから」
「そうなんですか」
「明日からは彼氏さんの下着、一緒に干しといてください。彼氏さんは何時ごろ帰ってこられますか」
私はしどろもどろになった。
「すみません、立ち入ったことを」
桜庭は若い刑事を伴い、帰っていった。
週末、私は西天満の老松通りにある小さな書店で、心臓がひっくり返りそうになった。
「先生、奇遇ですね」
大阪府警の桜庭功がいた。
「先日はありがとうございました」
桜庭は私の手に取った本を目ざとく見た。コオロギのために子供向けに翻訳されたレ・ミゼラブルを買おうとしていた。『ああ無情』という邦題のものだ。
「中坊向けの本ですね。先生は高校教師でしたよね」
なぜ職業まで知っているのか。交番でも話していない。
桜庭は女性向けの不妊治療の本を持っていた。恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「先生、ちょっとお願いがあるんですが」
桜庭は私が手から『ああ無情』を奪い、その下に不妊治療の本を隠すように重ねて、私の手に戻した。財布から一万円を出す。
「代わりに勘定してもらえませんかね。男が買う本やないでしょう。ましてやこんなコワモテの」
桜庭は自分の顔を自虐的に指さした。
「レジ前で三十分うろついてましたんや。そしたら先生の姿を見つけたもんで」
私は桜庭の代わりに不妊治療の本の勘定をした。本屋の外で桜庭に本を渡した。
「えらい手間かけてすんません」
お釣りも返すと、遠慮された。
「いえいえ、お礼にとっといてください」
「もらいすぎです、八千円も」
「ならその金で茶でもしませんか。職場に年頃の女性がおらへんし、誰にも相談できんのです。女性の体のことはどうにも男には難しい。相談に乗ってやってください」
桜庭は不妊治療の本を示しながら、また私を拝む。私は断り切れず、老松通りにある老舗喫茶店に入った。御堂筋と天満宮を結ぶ表参道にあたるこの通りはギャラリーが多く落ち着いた街並みだが、ふと桜庭の後ろ姿を見ながら首を傾げる。
「桜庭さんは、どちらの部署にお勤めなんですか」
「府警本部ですよ。大阪城のおひざ元の」
顎で南東を指して近所のような言い方をするが、大阪府警本部から西天満は徒歩圏内ではない。わざわざ電車を乗り継いで老松通りの小さな書店に入るのは違和感があった。梅田か心斎橋まで出てしまえば、大型書店がたくさんある。不妊治療の専門書なら町の本屋より大型書店の方が種類が多いだろう。
骨董品が飾られた喫茶店内で、桜庭は私を探るようなことはなかった。結婚十年でいまだに子供ができず、四十歳になる妻はあきらめがつかないからとあの手この手で云々、と夫婦の話を生々しくする。
「こんなん、昨日今日会ったお姉さんに言うのもなんやけど、子作りのためにせいというのもなぁ。男と女はそんなんちゃうやろ」
なんてデリカシーのない刑事だろう。奥さんがかわいそうになった。
「すんません。あなたと初めて会うた気がせんでね。ついしゃべってまう。前にどこかで会いましたっけ」
「どうでしょうね」
私は本の釣銭を置いて店を出た。
翌日の夜、また桜庭が自宅を訪ねてきた。テーブルブーケを突き出される。
「なんですこれ」
「お詫びですわ。昨日は調子こいてほんま、すんません」
「いえ、困ります」
「もらっといてください。僕の気が済まんのです。ほな」
桜庭は帰ってしまった。私は花束を生ごみに捨てようとして、手を止めた。菊の花束だった。淡いピンク色の大輪の菊に小ぶりのガーベラが添えられている。菊は秋の花だ。春先のいま、仏花以外でブーケにする菊の花はなかなか手に入らないはずだった。
三日後、桜庭と同行していた若い刑事から電話がかかってきた。
「下着ドロの犯人を捕まえたのですが、身元がわからんのです。ヤクザもんのようですわ。桃川さんのご近所の下着を盗んだところを、現場を張っておった桜庭さんが現行犯逮捕したんです。一度、府警本部まで来て顔を見てもらえませんかね」
私は気が進まなかったが、ヤクザだという事実に引っかかった。コオロギに関係する相手だろうか。大阪府警本部に向かった。若い刑事は取調室の隣の小部屋に私を案内した。
「マジックミラー越しに中が見えますんで、犯人の顔を確認してください」
中に入るなり怒鳴り声が聞こえてきた。桜庭が犯人をどやし反省を促していた。
「ほんますいません、もうしません」
「そうやってこれまでも何度もやってきたんやろ、え。せやから本名言わんのや。親からもろた名前があるやろがッ」
私の前では子供ができないと蚊の鳴くような声で言った桜庭が、一転、犯人を一喝する様は見ていて痛快だった。
「どうです。犯人、見覚えはありますか」
若い刑事が私に尋ねた。
「知らん人です」
「わかりました。わざわざありがとうございました」
用件はそれで済んだようだ。
「こちらこそ犯人を捕まえてくださって、ほっとしました。桜庭さんにもお礼を伝えてください」
「いえいえ。我々の仕事ですから」
これ、と紙袋を渡された。
「桜庭刑事からおみやげです。渡しておくように言われてまして」
大阪府警のださいロゴの入ったタオルだった。テーブルブーケからずいぶん格下げされたようで、笑ってしまう。
その夜、コオロギから電話がかかってきた。人気のない裏通りに公衆電話を見つけたとかで「偽造テレカ大量にもろたんや。永遠に電話できるで」とコオロギも上機嫌だった。私は下着泥棒が逮捕された話をした。
「わしが捕まえて八つ裂きにしよ思とったのに。大阪府警もたまにはちゃんと仕事をしよるんやな」
コオロギは拍子抜けしたようだったが、安心はしたようだ。
「たかだか下着ドロを捕まえるために張り込みなんて珍しい。天満署の刑事か」
「本部の刑事やって。私、大阪城の近くまで行ったんやで」
コオロギの声音が変わった。
「なんで本部の刑事が下着ドロの捜査しとんねん。所属は」
「わからん。そこまで教えてくれへん」
「そいつ、どないな見てくれや」
コオロギはやたらこだわった。
「四十代くらいの人。奥さんは不妊治療中で、困っている様子やったわ」
「待て待て。下着ドロの被害者になんでそんな話すんのや」
「知らんで。偶然、本屋で会うたのよ。あっちは不妊治療の本を買うところやったの」
「名前は」
「桜庭功」
あかん、とコオロギは声を荒らげた。
「そいつは府警のマル暴刑事や」
「マル暴ってなに」
「暴力団担当刑事」
私は絶句した。
「先生、目ぇつけられたんや」
「私、何も悪いコトしてへんよ」
「警察にとっちゃ、ヤクザのオンナっちゅうだけで悪いんや。あれやこれやと丸め込んで情報を取ろうとする。また来るやろが、絶対に家にあげたらあかんで」
案の定、週末になってまた桜庭が訪ねてきた。私は居留守を使った。週明けは学校の校門の前で待ち伏せされた。私は急ぎ足で近くにあった文房具屋に入り、店主に頼んで裏口から出させてもらった。
その日の夜、桜庭がインターホンを押した。私は慌てて室内の明かりを消そうとした。桜庭は扉越しに猫なで声で言う。
「先生、これで最後にします」
私は照明の紐を握ったまま、硬直した。
「先生が黒憂会のコオロギとデキとんのはわかっとります」
存在がバレているのに、私は息を殺した。
「あいつは素直で従順でええやつや。生い立ちのせいでヤクザ者になってしもたけど、先生には本気で惚れとるんやと思う」
桜庭は一度、言葉を切った。
「せやけどね、所詮はヤクザや」
わかっているのに改めて指摘され、心にざわめきが広がる。
「親分がやれと言えばカタギも殺す危険な奴や。いま東京でなにをしとるかアイツは正直に話したことがありますか」
私は答えられない。昨夜の電話でも、コオロギは居場所すら教えてくれなかった。
「あいつは人を殺しとる。先生は人殺しと生きていく覚悟がありますか」
改めて刑事に言われると心が塞がれた。
「ヤクザと関わったらろくなことがない。コオロギが先生を大切にしたとしても、その周囲にいるヤクザたちが先生をほっとかん。いいように使われる。僕は、そうやって破滅する女たちをいやというほど見てきた」
私はこのままでは不幸になると言いたいらしい。