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第一章 宣戦布告(承前)


 男たちの気合いの入った返事で、警視庁本部の床が震える。
 皇居の南、桜田門にある警視庁本部から暴力団対策課の面々が乗る覆面パトカーが車列を作り、関東吉竹組の本部がある六本木七丁目へ向かう。がらんどうの霞が関を抜け、首都高沿いのビル群の隙間を駆け抜ける。
 元日の正午前、六本木界隈はシャッターを下ろし門松を飾る店舗が多く見られる。
 いつもは渋滞する六本木交差点も今日は交通量が少ない。予定通り、暴力団対策課一行は六本木七丁目の路地裏にあるいずみビルヂングに到着した。この最上階に関東吉竹組の本部がある。旧吉竹組の跡目争いに敗れ、五代目の双子体制に反旗を翻した関東吉竹組組長の泉勝いずみまさるが所有する。
 界隈を管轄する麻布署がすでに交通整理を始めていた。ビル沿いの路地は通行止めだ。
 藪は車を降りた。マル暴の要請で出動している第一機動隊がビルの入口から最上階までの各フロア、非常階段を警備する。
 冬の低い太陽が泉ビルヂングを照らしている。藪は腕時計を見て本部へ無線を入れた。
一一五〇ヒトヒトゴーマル、現着」
 藪は乗鞍と共に赤と黒の防弾ベストを羽織った。『組織犯罪対策部』の文字が背中に入っている。
 人員が集まっていることを確認し、乗鞍が合図した。第一陣がエレベーターに乗り込む。最上階の廊下を突き進んだ。男たちの革靴の音がザ、ザ、と響く。藪のピンヒールの音も負けない。
 防火扉のような頑強な扉の前に立った。
『関東吉竹組 本部』とステンレスの表札がかかっている。本家吉竹組と全く同じ笹の代紋があった。
 乗鞍が鉄の扉を叩く。
「警視庁だ」
 扉を開けたのは若い衆だった。その後ろに関東吉竹組の幹部八名が、厳しい表情で待ち構える。大阪府警を出迎えた本家吉竹組の若い衆の中には特攻服やサラシを巻いた者もいたが、関東吉竹組のヤクザたちはみなスーツにネクタイを締めていた。一見すると大企業の幹部のような佇まいだが、顔に傷がある者、指がない者、顎のすぐ下まで刺青が入っている者などが多く、威圧感がある。
「泉勝組長は」
「親父は年末年始、ハワイで過ごすのが恒例です」
「それは残念。組の歴史に残る一大事を目の当たりにできたのに」
 藪の嫌味に重ねて、乗鞍が東京都公安委員会が正式に発行した書面を見せた。
「関東吉竹組は特定抗争指定暴力団に認定された。効力は令和五年一月一日正午より三か月間、抗争終結が見えない限り、この指定は延長され続ける」
 乗鞍は書面を一同に示し、関東吉竹組のナンバー2、若頭のほん義之よしゆきに手渡した。本多は埼玉県の川口に拠点を置く本多組の初代だ。埼玉県南部の風俗店を仕切る。彼はひとりジャケットを脱ぎ、ワイシャツを肘までめくり上げていた。左手の甲から肘にかけて切り傷の跡がある。手首まで入った波飛沫の刺青が傷のせいで歪んでいた。本多はその腕で書面を受け取った。
「関東吉竹組の特定抗争指定暴力団の指定に伴い、本日正午より、本部のある泉ビルヂング七階は閉鎖、組員は事務所に入ることもとどまることも禁止されます。万が一違反行為があった場合はその場で逮捕します」
 藪は東京都公安委員会が発行した立ち入り禁止のビラを扉の真ん中に掲げた。ガムテープで四方をきっちりと貼る。
 関東吉竹組のヤクザたちは静かだった。武闘派が多い本家吉竹組とは違い、経済ヤクザの集まりである関東吉竹組は冷めた目をしている。暴力団側の無言の圧力に飲まれぬようにか、乗鞍がひときわ大きな声を張り上げて、令状を見せた。
「また、特定抗争指定に伴い、関東吉竹組本部に家宅捜索令状が出ている」
 乗鞍が振り返る。家宅捜索要員五十名が、すでに七階の廊下から階段を埋め尽くしていた。デジタル腕時計は十二時三分になったところだった。藪は叫ぶ。
一二〇三ヒトフタマルサン、着手」

 墨田区の曳舟ひきふね界隈は近くを流れる隅田川の流れが聞こえてきそうなほど、静かだった。対岸の浅草方面は、浅草寺を訪れる初詣客でにぎわっているのだろうか。
 暴力団対策課暴力犯捜査一係のさくらせいは二十九歳の中堅マル暴刑事だ。寿退職しブランクが三年あったが、訳あって復職し、現在はむこうじま一家という旧吉竹組の二次団体だった組を監視、内偵している。
 監視拠点は向島一家が入る五右衛門ビルの向かいにあるビル屋上に据え付けたコンテナハウスだ。夏は灼熱、冬のいまは極寒の中、誓は電気ストーブの前でスーツの上から半纏はんてんを羽織る。震えながら、望遠鏡越しに見える向島一家の六〇六号室の扉を見つめている。
 新人のやま巡査が伝える。
一二〇三ヒトフタマルサンに関東吉竹組のガサ入れ、着手したそうです」
「了解。曳舟は静かなものね。午前中から誰一人出入りはない」
 山田巡査が本部に向島一家の動向を伝え、電話を切った。
「泉は毎年恒例のハワイ旅行だそうですよ」
「まさか。渋谷の自宅にいるはず」
 関東吉竹組の泉組長は渋谷区のタワーマンションに住んでいる。こちらにも監視拠点があり、内偵がついていた。泉が出国した様子はない。若手の山田は肩をすくめた。
「そりゃそうですよね。特定抗争指定暴力団に指定されるなんて、暴力団としての活動を封じられるようなもんです。そんな組の一大事に海外へ行くわけがないか」
 特定抗争指定暴力団に指定されると、暴力団は事務所の使用や立ち入りを禁止される他、敵対する組織のシマに入ることもできない。組員が五人以上で集まっても、警察の摘発を受ける。こうして警察側は暴力団の身動きを封じて、抗争を防ぐのだ。
 向島一家は吉竹組が本家と関東に分裂したあと、どちらの親分にもつかずに独立し、中立を保ってきた。
 去年はベトナムマフィアを巻き込んだ代理戦争が勃発した。ヤクザがひとり死亡、二名が行方不明のままだ。警察官にも負傷者が出るほどの抗争だった。これを受けて、東京と大阪の双方の公安委員会が、三か月という異例のスピードで、本家・関東双方の吉竹組に特定抗争指定暴力団の指定を出した。
「向島一家の沈黙、不気味すぎます」
 向島一家は構成員が八十名の博徒系暴力団で、二代目が取り仕切っていた。曳舟一帯を仕切るこぢんまりとした組の初代は、旧吉竹組では直参じきさんと呼ばれる直系組長のひとりだったが、下っ端の若中わかなかでしかなかった。
 二代目の向島しゆんとうが襲名すると様相が変わった。彼は吉竹組直参の中で最年少の四十歳で若頭補佐に抜擢され幹部となった。出生不明でどのような青年期を過ごしていたのか全くわかっておらず、初代の向島しようせつと養子縁組をして向島春刀と名乗るようになった。彼は左腕がない。指のないヤクザは多いが、腕一本落としているヤクザはそういない。なぜそうなったのか諸説あるが真相は不明だ。
 先代にあたる四代目の吉竹組組長・豊原裕久とよはらひろひさに寵愛されていた。吉竹組が東日本に進出した平成初期、向島春刀はヒットマンとして数々の汚れ仕事を引き受けてきたと言われている。
 その向島春刀は、旧吉竹組きっての武闘派であり、分裂した組を和解させるために東西を奔走していた。
 誓は望遠鏡の前から立ち上がった。
「交代。正月らしいランチでも食べようか」
 携帯ガスコンロにやかんをかけて湯を沸かし、カップおしるこに注いだ。
 暴力団は元旦に事始め式を行う。向島一家も毎年元旦には総勢八十名の構成員が一堂に会していた。親分が一年の抱負を語り、酒を飲みかわし、餅つきをした。
 だが今日、向島一家に構成員が集まる様子はない。当番の若い衆が中に何人かいるだけのようだ。十時ごろに近所のスーパーで寿司や総菜を五人分買った。会合が行われる様子もなければ、客が訪ねてくるでもない。
「今日も現れないですね、向島春刀」
 抗争を止めようとしていた向島春刀は、去年の秋から行方不明になっている。

 誓は十五時、東京駅の新幹線改札口で客人を待った。元日のいま、帰省する人や旅客で混雑している。
 改札口の前にある柱に寄りかかりながら、スマホにいれた動画の一部を見る。
 向島春刀をとらえた、大阪府警の監視拠点での映像だった。昨年九月上旬、天王寺にある本家吉竹組の門前にタクシーがつける。向島はタクシーから降り、片腕だけで白いワイシャツの上に鼠色の光沢あるジャケットを羽織った。ネクタイは黒で、ヤクザの彼にしては珍しく地味ないでたちだった。いつもの色付きの眼鏡もかけていない。若い衆に促され巨大な観音扉の向こうに消える。
 これが向島春刀をとらえた最後の姿だ。誰かのクルマの後部座席に乗れば内偵カメラには映らずガレージから出られるが、東京に戻っている様子もなく、曳舟の組事務所にも顔を出さなくなった。
なかさんですか」
 離婚前の苗字で呼ばれ、誓は顔をあげた。結婚生活は三年ほどだった。専業主婦だったこともあり、誓はいまだに『仲野』という苗字に反応してしまうことがある。
 改札口から出てきた男はスーツ姿で中型のトランクを転がしている。微笑んでいるのに目が据わっていた。
「失礼。いまは桜庭さんに戻られたんでしたっけ。大阪府警の今仲いまなかしゆうです」
 男は桜の代紋の入った名刺を出した。大阪府警本部、組織犯罪対策本部暴力団対策室の係長で警部補だった。
「警視庁でいまさら私を『仲野』と間違えて呼ぶ人はひとりもいませんよ」
 誓はきつい調子で答えた。これから吉竹組の分裂抗争を防ぐため大阪府警とは協力し合わなくてはならないが、大阪府警に牽制をくらったように感じた。あちらも主導権を握りたいのだろう。
「失敬、向島一家に関する資料をくまなく読ませていただいて、『仲野誓』という署名捺印を多く目にしたもんで。しかし大変でしたね、元旦那はんもマル暴刑事やったのに闇落ちして懲戒免職とは」
 わざわざ口に出して言う。地下二階の駐車場へ降りた。誓は運転席に座る。今仲はトランクにスーツケースを押し込み、助手席に座った。
 改札口で向かい合ったときは気が付かなかったが、柔道家らしいカリフラワー耳をしていた。胸板も厚い。髪はクセ毛かパーマか、波打っていた。横顔には凄味があり、チャラい雰囲気はない。
「昨年のうちに警視庁さんからも府警に出向していただいて、助かってますわ。東京の様子がようわかります」
「今仲さんもつつみ隠さず府警のことを教えてくださいね」
「我々府警は、桜庭さんの出向を待っておったんですよ。なにせ伝説のマル暴刑事、桜庭いさお元室長のお嬢さんですやろ」
 父は大阪府警のマル暴刑事だった。長らく吉竹組を担当しており、暴力団対策室長を最後に定年退職した。
「それやのにヤローの登場で我々がどれだけがっかりしたことか」
「今仲さんは警視庁に出向する側、私とこうして会うことができて、よかったですね」
「そりゃーもうこうして助手席からそのみずみずしいお顔を拝められて幸せ。ってそれ自分で言うんかーい」
 今仲の乗りツッコミは東京で聞くと寒い。ミナミの雑踏ならば多少は面白いか。
「すました顔して標準語しゃべっておられるけど、やはり桜庭さんは関西の女ですわ」
「そうですか」
「誓ちゃんはなして府警でなくて警視庁に入ったんです?」
「いきなり誓ちゃん呼ばわりですか」
 誓のことをこう呼ぶのは、藪哲子だけだ。彼女は女性マル暴刑事の大先輩であり相棒でもある。気心が知れているし頼りになるが、何でも見通すから厄介なところがある。
「区別さしてください。私にとって『桜庭さん』は桜庭功元室長その人しかおりません」
「その若さで、父の部下だったわけでもないでしょう」
 父は二〇〇八年に定年退職している。
「吉竹組系の暴力団員が万引きしよって、その窓口になったことがあったんです。ちなみに僕は二〇〇七年入庁」
「卒配、交番修業時代の話ですか」
 今仲がじっと誓の横顔を見つめた。
「交番脇につけて面パトから降りて来はったときの桜庭室長、ほんま、見惚れました。あの佇まいをそのまま受け継いどる。横顔もお父さんにそっくりやないですか」
 こいつは絶対に父を知らないと確信する。
「で、誓ちゃんの話でっせ。府警でなくて警視庁に入られたのはなんでです」
「父が亡くなったあと、母と東京に越したんです。高校もこっちで卒業しました。もう大阪に自宅もありませんでしたし」
「そうやったね。お父さん、退職した翌年に病気で亡くなられた。早すぎますわ」
 ようやく仕事の話になった。
「午前中、僕も本家の特定抗争指定とガサ入れに立ち会いました。押収物の精査はこれからですが、向島春刀の痕跡は一切ナシ。どこに消えてまったんかのう、向島春刀は」
 今仲が助手席のリクライニングを少し倒し、腕を組んだ。すでに桜田通りに入っている。警視庁本部は目と鼻の先だが、霞が関の地理がよくわかっていないのかもしれない。
「吉竹組分裂抗争のど真ん中に向島春刀がいるのは間違いありませんからね。本家吉竹組についたのか」
 今仲が西の方角を見、すぐ東を向く。
「はたまた関東吉竹組の側にいったのか」
 地理はわからずとも、方角はわかっているようだ。
「立ち位置によっちゃ、向島一家は攻撃される側にも、する側にもなるわけや」
 警視庁本部庁舎が見えてきた。
「改めて警視庁に到着しましたら、情報を整理しましょう」
 誓ちゃん、と近所のおっちゃんのような気軽さで呼ばれる。
「地元は八尾やろ。僕とは関西弁でいきませんか。標準語は壁を感じてかなわん。僕はこれから抗争が終わるまで、警視庁にぼっちですよ。一人くらい関西弁がおらんと心細い」
 警視庁本部の地下駐車場に入る。
「着きました」
 今仲は盛大にズッコケてみせた。

 誓は庶務係に面パトのカギを返し、予約していた小会議室のカギを受け取って廊下に出た。スーツケースに腰かけた今仲が手持ち無沙汰な様子で待っている。顔見知りがいるわけでもなし、勝手がわからない庁舎で、今仲は不安がもろに顔に出ている。
 普段は、有名建築家が手掛けた豪華な大阪府警本部庁舎を闊歩しているだろう。三十代中盤で日本最大の暴力団の担当なのだから、今仲は府警マル暴のエースに違いなかった。
「部屋、取ってありますので」
「大部屋ではできない話でっか」
 いちいち意味ありげだ。誓はフロアの片隅にある小会議室のカギを開けて、明かりをつけた。缶コーヒーを二つ買い、喫煙所からアルミの灰皿をひとつ拝借して、小会議室に戻った。
「ここは禁煙やろ」
「後で窓を開ければ大丈夫ですよ」
 トートバッグから消臭スプレーを出した。
「準備がええのう。助かりますわ」
 今仲はジャケットの内ポケットからセブンスターを出して口にくわえた。誓は赤マルだ。タール数では勝った。
「早速ですが、これまでの抗争の経緯をしっかり情報共有しましょう」
 今仲は煙を吐きながら頷いた。
「まずは吉竹組がなぜ分裂したか、ですが」
「五代目の跡目がもめ事のきっかけやな」
「四代目体制のとき吉竹組は安定していた。府警の資料をもとに警視庁が作成したチャートです」
 誓はノートパソコンを開き、組織図を開いた。四代目は豊原裕久という辣腕が令和三年までトップを務めた。豊原を筆頭に、若頭、総本部長までのナンバー3の名前と彼らが持っている組の名前、拠点が記されている。若頭補佐は七人いた。向島春刀の名前もある。
 他、若中の三十八名までが直系組長で、それぞれが全国各地に組を持っている。これを二次団体と呼ぶ。二次団体の構成員も自分の組を持っており、これが三次団体にあたる。舎弟関係にある人物とその組も含めると全国四十七都道府県に息のかかった組がある、全国統一を成し遂げた唯一の暴力団だった。だが三年前、豊原が病死すると、跡目争いが起こった。
 次期組長候補と目されていたのは若頭の泉勝だった。だが病床の豊原が書いたとする遺書がでてきた。若頭補佐の一人だった矢島勇を跡目にするように書かれていた。矢島は和歌山を拠点とする矢島総業の会長だ。
 遺書の真偽性が議論にあがると矢島の跡目に反対した幹部が次々と不可解な自殺や失踪を遂げた。最終的には泉までもが和歌山ナンバーのダンプに突っ込まれて瀕死の重傷を負った。
 泉が死線をさまよっている間に、矢島勇が強引に襲名披露を行い、五代目を名乗ってしまった。
「ここまではありがちなヤクザの跡目争いと見えるが、こっからの矢島のやり方が異例やったな」
「そうですね。この後の出来事で中堅どころからも反目が出始めた」
 矢島勇には一卵性双生児の弟、進がいる。二人は和歌山城に近い虎伏とらふす神社の神主の息子として育った。顔は同じながら、性格はまるで違う。勇は狡猾な頭脳派で、大学生時代にはねずみ講で学生相手に詐欺を働き逮捕、服役している。
 弟の進は中卒だが腕っぷしが強く、二十歳のときに大工の親分を殺害し、服役している。出所後、「二人は一心同体」と共に出身地の和歌山に戻り、虎伏神社の神主として大幣おおぬさを振るう。土木建築をシノギとする小さな暴力団組織を譲り受けて矢島総業とし、関西国際空港建設や阪神淡路大震災の復興事業などに食い込んで成長していった。やがては吉竹組の直参となり、二年前、力ずくでそのトップに躍り出たのだ。
「勇が吉竹組の五代目組長になった直後に、双子は二人で一心同体だからと意味不明なことを言って、進までもが吉竹組の組長の名乗りをあげた」
「組長が二人おる任侠団体など前代未聞や。進の襲名披露はボイコットが続出、空っぽの座布団ばかりだったいう話や」
 さすが大阪府警は内情をより具体的に知っている。勇の盃を持っている直参は多いが、進の分まで持っている者は少数派らしい。つまり進は“名乗っているだけの組長”だ。
「その上、組長二人やから上納金も二人分として、矢島の双子は倍額要求し始めた」
 子分たちの不満が募る中、反旗をもくろむ幹部数人が立て続けに失踪したり、自殺体で発見されたりすると、みな沈黙した。
「矢島勇の組織運営能力、進の実行能力に屈するよりほかなかったんやろ。恐怖政治や」
 だがこの状態が長く続くはずもなく、入院していた泉は病院内でクーデターを画策していた。さすがの矢島兄弟も、面会謝絶の病院の中までは手出しができなかった。
「二年前に関東吉竹組の発足が宣言され、三分の一が双子に盃を返し、関東吉竹組に合流した」
 誓は関東吉竹組の組織図を見せた。
「関東吉竹組の構成員は二千三百人です」
「本家吉竹組は八千ちょっと」
「関東吉竹組は劣勢ですが、中立の向島一家を引き入れれば、資金や人員ともに本家と五分で戦える算段があったのだろうと思います」
 向島一家は八十人と多くはないが、総長の向島春刀が旧吉竹組きっての武闘派だ。
「十四人衆のひとりやったらしいからな」
 決死十四人衆は、四代目豊原体制のときに東日本を制覇するため平成初期に結成された暗殺・拷問集団と言われている。大阪府警も警察庁もその存在を確認していないし、認めていない。全く尻尾をつかめなかったからだ。極道の超エリート集団ともいえるが、かつては人を殺せば凶器を持って出頭してくるのが任侠と言われていた掟を破った厄介な集団だ。
「結成時期は暴力団対策法ができたころやな」
「法律で規制するなら地下に潜ってやることをやる、という四代目豊原の意思表示だったのかもしれませんね」
 誓は向島の背中に入った刺青の画像を今仲に見せた。
月岡芳年つきおかよしとしの浮世絵、直助権なおすけごんが描かれています。江戸時代の凶悪殺人犯で、被害者の顔面を剥いでいる場面です」
 他の十四人衆にもそれぞれに月岡芳年らが描いた英名えいめいじゆうはつしゆうという残酷な絵の刺青が入っていると言われている。向島はこの絵柄の通り、人の顔面を生きたまま剥いで拷問死させてきたという噂がある。
「向島はあんたのお父さんが一度、逮捕しとったな。若くして腕をなくした向島を、桜庭さんは晩年まで気にしとったいう話や。なんや、通じるものでもあったんかの。個人的に会っておったようやで」
「そうでしたか」
 誓は全く知らなかった。だがいまは、どうして大阪府警の刑事が東京のヤクザと頻繁に会っていたのか、理由はわかる。今仲には絶対に言えないが。

 

(つづく)