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 勤務を終え、汗を拭いながら更衣室に向かう。トイレの清掃中に一瞬無理な体勢をとったせいなのか、左腕を上げると肩が引き攣れたように痛む。制服から私服に着替えるのにずいぶん手間取った。
 四十五歳。更衣室の鏡にうつる自分は、その実年齢より若くも見えないし、老けても見えない。いや、自分でそう思っているだけで、他人の目には五十五歳ぐらいに見えているのかも知れない。わからない。どうでもいいのだ、そんなことは。
 今日、プールでエミリに似た人を見た。似ていると言うよりはあの頃のエミリをすこし太らせ、老けさせたらこうなるであろうという容姿だった。友人らしき女性と「いいかげん痩せなきゃ」「でもあなた、今のままでじゅうぶん健康的だけど」と、それはのびやかに楽しげに笑い合っており、わたしはゴミを回収しながらあれがほんとうにエミリだったらいいのにと思っていた。「おばさんになる前に死にたい」と言っていた、あのエミリだったらと。
 南雲家との縁が切れてまもなく、わたしはふたたび『セーヌ川』でバイトをすることになったが、そこにエミリはいなかった。ある日無断欠勤してそれきりだったそうで、マスオは「電話も繋がらないし、バイト代も未払いのままなんだけどねえ」と嘆いていた。
 そのマスオを含め、あの頃親しかった人のほとんどは、もう行方がわからない。惣菜屋で働きはじめて数年経った頃にふと思い立って『セーヌ川』を訪れたが店はもうなかった。
 コインパーキングとなったその場所を見つめながら、わたしは、これが今生の別れだと認識できる別れはすくないのだと知った。わたしたちはあたりまえのように「またね」と言い合って、あるいはろくに顔すら見ずに、いとも簡単に離れ離れになる。長い時間が過ぎてようやく悟る。ああ、あれが最後だったのかと。あまりにも無造作に通り過ぎたその瞬間を惜しむ。
 だからこそ、わたしは願った。あの人がエミリでありますようにと。若くないとか、美しくないとかそんな理由で不当に貶められることのない世界で、楽しく元気で生きていてほしい。
 四十五歳。たぶんもう、五歳の男の子を追いかけて走ることはできない。できるかもしれないが、たぶん追いつけない。夜更かしも無理だ。ケーキをいっぺんに三つ食べることも。でもあの頃にはわからなかったことが、すこしはわかるようになった。
 暖には、栄輝に電話をすると言ったが、結局、まだかけていない。あの後八重子さんがちゃんと帰ってきたのか、あるいはまだ行方不明なのか、それだけでも確かめたいと思っているのだが。
 忠雄さんが死んだ。逆に考えると、つい最近までは生きていたということだ。その「つい最近まで」の年月を彼らがどのように過ごしてきたのか、わたしは知らない。知らないようにしてきた。思い出さないように生きてきた。
 二十五年前のあの朝、救急車を呼んだのは三枝さんだった。八重子さんを叩き起こしたのも、「栄ちゃんを呼び戻さないと」とあわてる八重子さんを「それは、あとでもだいじょうぶですから」と宥めたのも、三枝さんだった。わたしはただぼうぜんと立ち尽くしていただけだ。
 救急車に乗りこむ八重子さんを見送ったあと、三枝さんはわたしを見ずに「あんたは帰りな」と言い、「でも」と追いすがるわたしの手を、「ここにいると、めんどうなことになるよ。あとあと」と、乱暴とも思える仕草で振り払った。
 三枝さんの言葉の意味を正確に理解したのは、すこしあとになってからのことだ。
 忠雄さんはしばらく入院することになった。八重子さんは忠雄さんにつきっきりで、栄輝は「ミネおばさま」のところにしばらく預けられることになったと、数日後に三枝さんから電話で説明された。そうなるともうわたしが南雲家に行く理由もなくなり、この先どうなるのかもわからないまま、ただアパートで過ごす日々が続いた。
 ふたたび三枝さんから電話がかかってきたのは三週間後のことだ。「八重子さんからバイト代を預かっているから、持っていく」という内容だった。
「取りに行きます」
 わたしが言うと、三枝さんは困ったように黙りこみ、とても言いにくそうに「八重子さんが、あんたに二度と来てほしくないって言ってるんだよ」とわたしに告げた。
 携帯電話を持つ手の感覚がなくなった。その時なんと返事をしたのかは、覚えていない。『セーヌ川』で待ち合わせることになったことは覚えているが、どんな気持ちでアパートから店まで移動したのか、それも覚えていない。
 約束の時間よりはやめに着いた。わたしの顔を見るなり、マスオははっと息を呑んだ。いらっしゃいませもひさしぶりも言わずに、グラスに注いだ水を差し出してきた。なにも訊かれなかった。訊いてはいけないと思わせるような顔をしていたということなのだろう。
 三枝さんは、時間ぴったりに現れた。いつものエプロン姿ではなく、普段はひっつめている髪を下ろしていたせいで、一瞬誰だかわからなかったけれども。
 三枝さんは砂糖もミルクも入れないコーヒーを難しい顔で啜りながら、忠雄さんが脳の病気であること、一命はとりとめたものの左半身に麻痺が残ったこと、言語障害も出ていることなどを説明してくれた。
 退院後は、八重子さんが自宅で介護をすることになったという。会社の運営は、他の親戚役員が代理をつとめている。
 栄輝はどうしているのか、というわたしの問いには、目を伏せるばかりで答えてはくれなかった。
「聞いてどうするのさ。もう、あんたには関係ないことなのに」
 店内にはコーヒーの濃く苦い香りが漂っていた。斜め向こうのテーブルに座っている男が漂わせる煙草のけむりと混ざり合い、視界がふいに霞み、わたしは目をかたくつむって、泣くまいとした。コーヒーの香りが以前と違うけど、豆を変えたのかな、というようなことを考えていた。他のことに意識を向ければ、やり過ごせる。やり過ごさなければならない、今だけは。
 ねえあんた、と三枝さんはわたしを見ずに言った。
「あんたのせいじゃないんだよ、忠雄さんが倒れたのはね。病気なんだよ。わかるね?」
 わたしは答えなかったが、話の意味はちゃんと理解していた。
「でもね、あんたのせいだと思ってる人がいる。思いたい人が、たくさんいる。これも、わかるね?」
 八重子さんはね、と続けて、三枝さんは目を伏せた。
「あんたを守りたいんだよ。あんたをあの家から切り離すことで、二度と会わないことで、守ろうとしてる」
 黙ったまま、目の前のレモンスカッシュのグラスを見ていた。グラスの表面についた水滴がいくつもいくつも流れ落ちていくのをひたすら目で追う。
「だから言ったじゃないか、気をつけろって」
 すん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。彼女はあの時、泣いていたのだろうか。三枝さんがわたしのために泣く理由などないはずなのに。
 三枝さんが差し出した白い封筒を受け取った。思っていたよりもずいぶん厚みがあることに驚き、あわてて「多すぎます」と返そうとした。三枝さんは首を横に振り、立ち上がった。
「くれるって言ってるんだから、もらっておけばいいよ……あのさ、あんたはまだ、若いんだから」
 若いんだから、のあとになにか続けようとしたように見えたが、三枝さんはそのまま口を噤んでしまった。二十歳のわたしはその沈黙を、「突き放された」と受け止めた。四十五歳のわたしはそれを三枝さんの誠実さとして思い出す。安易ななぐさめの言葉を口にしない人は誠実だ。
 三枝さんが去った後、マスオがテーブルに近づいてきて、レモンティーを置いた。
「あったかくて甘いものを飲んだほうがいいよ、今は」
 わたしはそのアドバイスに従って、砂糖を二杯、カップに落として飲んだ。
「べつに、だいじょうぶだよ」
 カウンターの内側に引っ込んでいくマスオの背中に向かって言う。
「せいせいした、って感じ」
 マスオはなにも言わなかった。
 わたしは、言葉が足りないような気がして、「そりゃあ割のいいバイト先を失ったのは惜しいけど、もともと子どもも好きじゃなかったし」と続けた。
「これから栄輝、うんそう、あの家の子、栄輝っていうの。あの子がどうなろうと、わたしの知ったことじゃないしさ。あの家ね、いやみな親戚が多くてすごい嫌だった。忠雄さんだって自分のやってること棚に上げて、わたしにああだこうだ文句ばっかり。だからさ、ほんとうにせいせいしたの。ほんとだよ。せいせいした。八重子さん、あの家の奥さんね、あの人だってほんといい歳してなにも知らなくて、わたし毎日ほんとうに呆れっぱなしで」
「鳴海ちゃん、もう黙って」
 マスオは振り返って言ったが、どんな顔をしていたのかはもう覚えていない。

 

(つづく)