ステンレスの洗い桶にためた水に洗剤をたらす。人工的な青色が、水の中でゆらゆらと広がりながら落ちていった。
「いない」ってどういうことだろう。数時間前の電話のやりとりを反芻しながら、わたしは食器洗い用のスポンジをつかんだ。
母がそちらに行っていませんか。
ママは? どこに行ったの?
電話の声と、二十五年前の甲高く幼い声が重なった。栄輝はあの頃、まだ五歳だった。だから今は三十歳になっているはずだ。家庭を持っていてもおかしくない年齢だ。もちろん持っていなくてもすこしもおかしくない。いずれにせよ、今も八重子さんと一緒に暮らしているということになるだろう。
無意識のうちに、スポンジをかたく握りしめてしまっていた。シンクに垂れるしずくでそのことに気がつく。考えたってしかたがない、と自分に言い聞かせて、食器を洗いはじめる。
暖はもう寝ただろうか。さっきまで聞こえていたテレビの音が聞こえない。
一緒に暮らしはじめた頃、テレビをどこに置くかで、ちょっとした口論になりかけた。暖はベッドの傍に置きたいと主張し、わたしは食事をしながらテレビを見たいので食卓に近い場所でなければこまると反論した。暖は自分はテレビをつけっぱなしにしないと眠れないと言いはり、最終的にわたしが折れた。けんかをしてまで食事中にテレビが見たいわけではなかったし、暖がそんなふうに自分の意見を強く主張するのはとてもめずらしいことだったからだ。テレビは今でも寝室にある。
暖には父親がいない。生まれた時からいなかった。母親は昼も夜も家にいなくてほとんど一人で過ごしたという。家で留守番をする時は、いつでもテレビをつけっぱなしにしていた。この話をすると多くの人は勝手に憤ったり同情したりして、ひどい母親だ、あなたは複雑な家庭環境で育ったかわいそうな人だ、という趣旨の発言をする。でも暖は自分の母親をそんなにひどい人だと思ったことはないし、じつのところなにひとつ複雑ではなかったと思っているのだそうだ。ただ金がなかったから昼夜問わず働くしかなかっただけ。ただ無知だっただけ。ただ弱かっただけ。
わたしは暖の母に会ったことがない。暖が十七歳の時、酔って駅の階段から落ちて、それが原因で死んだと聞いている。
わたしには両親がいる。きょうだいにいたっては、四人もいる。妹がふたり、弟がふたり。
実家の父とは血のつながりがない。母はわたしの父であった男性と婚姻中に、弟の宏海の父親である男性と肉体関係を結び、それが原因で離婚した。宏海を産んでも相手の男性と結婚することはなく、数年後に別の男性と結婚した。この人が、わたしが「父」と認識している男性だ。母は子どもに全員「海」に関係のある名をつけた。鳴海、宏海、凪、波、洋。「父」は愛情深く、嘘のつけない人だった。愛情深いからわたしと宏海を実子同然にかわいがり、嘘がつけないから無意識に「実子同然」は実子そのものではない、という思いをわずかに態度や表情に滲み出させてしまう。
わたしは十八歳で、宏海は高校を中退して十六歳で家を出た。
このあいだ用があって実家に電話をしたら、母から「市の健康診断でお父ちゃんの血圧が高かったので心配だ、もしあの人に先立たれたらどうすればいいのかわからない」という比較的どうでもいい(わたしにとっては)話を延々と聞かされた。いいかげんな相槌を打ちながら、この人ほどさびしがり屋な人間を、わたしは他に知らない、と思った。ひとりでいることをとにかく恐れ、愛するよりも愛されたがる。母にとっては配偶者も五人の子どもも、孤独な心を守るための緩衝材に過ぎないのかもしれない。
暖と同様、わたしの育った家庭もまた、赤の他人に勝手に同情されがちだ。「あなたのように機能不全な家庭で育った人は」と決めつけられたことも少なくない。わたしがそんなにひどくない、ちゃんと幸せな記憶もある、と主張すればするほど、わたしは「不幸な生い立ちゆえに事実を正しく認識できない人」になっていく。
食器洗いを終え、ふきんでシンクを拭き上げてから歯を磨き、ベッドにもぐりこんだ。暖は壁のほうを向いて寝入っていた。規則正しく上下する背中に目を凝らし、たっぷり一時間ほどもかけてようやく、わたしは自分が眠れないでいる、という事実を認めた。
こういう時、人は酒に頼るのかもしれない。でもあいにく、わたしも暖も酒を飲まない。足音を立てないように台所に戻り、ポットからマグカップに直接注いだ湯を飲んだ。電気は消したまま、冷蔵庫を背にして床に座りこむ。
どれぐらいそうしていただろう。「眠れないの?」という暖の声がした。暖はスウェットのポケットに手をつっこんで立ち、わたしを見下ろしていた。わたしがなにか答える前にトイレに消えたが、ベッドには戻らずにわたしの隣に腰を下ろした。
「なに飲んでんの?」
「お湯」
お湯、と繰り返して、暖が小さく吹き出した。
「白湯とか、湯冷ましとか、もうちょっとましな言いかたあるでしょ」
白湯は、美容や健康に気を遣っている人が飲むものではないのだろうか。ぞんざいにポットから注いだだけのこれを白湯と呼んだら、一緒にするなと思われそうだ。湯冷ましについては、たんにその単語が思い浮かばなかった。説明するのがめんどうなので「いいんだよ、わたしみたいなもんが飲むのは『お湯』で」と応えた。
暖は小さく頷いた。眠たがっているようにも、すこしおもしろがっているようにも見えた。その曖昧な表情のまま「八重子さんの家、行ってみたら。明日、もう今日か。仕事帰りにでも」などと言い出す。
「行けるわけないでしょ」
「どうして」
「二度と来るなって言われたから」
「もう二十五年も前の話だろ」
暖がため息をついて、立ち上がる。ラックにかけていた洋服から自分の財布を取り出し、小さく折った紙切れのようなものをわたしに差し出す。電気をつけたら、目の奥が痛んだ。目が慣れてから、ようやく紙切れを開くことができた。
地方紙のおくやみ欄を切り抜いたものだった。南雲忠雄さん、八十七歳。なぐも製菓会長。仕事先で偶然見つけ、もらってきたのだという。もう一週間も前のことらしい。
「なんで、すぐにわたしに見せてくれなかったの」
「鳴海ちゃんが知りたいかどうか、わからなかったから」
すこし考えて、正しい、と思った。暖の判断は正しい。一週間前に南雲忠雄の死を知ったところで、という話だ。知ったところでわたしにいったいなにができた?
「いいから、明日行っておいで。心配で眠れないんでしょ?」
「心配なんかしてないけど」
わたしが首を横に振ると、暖は「は」と短く笑った。
「うそだ」
「は? なんでうそだと思うわけ」
「鳴海ちゃん、八重子さんのこと大好きだったから」
大好きだったなんて、そんなわけがない。信じられないぐらい世間知らずで、なんだこの女、と呆れながら見ていた。大好きなんかじゃなかった。歌が下手で、歩くのが遅くて、他愛ないことでころころ笑って。すぐ泣くわりにけっこうがんばり屋。わたしがなにをやっても「鳴海さんはすごいねえ」なんて、ばかみたいに素直に感心する。
生まれつき美しい心がこの世にあるとしたら、間違いなく八重子さんはそれを持っていた。そんないけすかない女、大好きなわけがない。
そろそろ寝ないと、明日の仕事に支障が出る。でも暖はおそらくわたしの返事を聞くまで、ずっとこうしているつもりなのだろう。
「電話する」
短くないあいだ黙りこんだ末に、わたしは言った。
「明日、栄輝に電話する。来てもいいって言われたら、行く。それでいいでしょ」
暖は頷いて、わたしの手からマグカップをとる。ひとくち飲んで、冷めちゃってるね、と呟いた。