布団にもぐりこんだが、やはり寝なければと思えば思うほどに頭がきんと冴えていく。滑るようになめらかに、意識は過去へと引き戻されていった。八重子さんのことを思い出そうと二十年以上前の記憶を辿ると、最初に浮かんできたのはなぜかエミリのことだった。
あの日、薄荷のドロップを噛み砕くわたしの隣で、エミリはしゃくりあげながらへるもんじゃ、へるもんじゃないって、と恨みがましく繰り返していた。
エミリは四十歳になる前に死ぬ、と決めていた。きれいなうちに死にたい、おばさんになる前に死にたい、と。だから早死しても後悔のないように、自分の欲望に忠実に生きるって決めてんの、とはじめて会った時にわたしに言った。
いつもメンソールの細い煙草を吸っていた。口座残高は常に五千円以下で、気に入った男とはすぐにホテルにしけこみ、髪を金やら赤やら青やらに染めていた。たまに感傷的な詩のようなものを綴ったメールを夜中に送りつけてくることをのぞけば、実につきあいやすい友人だった。
あの頃、エミリとわたしは『セーヌ川』という昭和の香り漂う喫茶店で働いていた。わたしは二十歳、エミリは二十二歳だった。白い看板に青い字で、「セーヌ川」ではなく「セ~ヌ川」と表記されていた。今ならレトロな純喫茶だとかなんとか言われてすこしはもてはやされたかもしれないが、当時は客が吐き出す煙草のけむりがもうもうと立ちこめる、地獄のような店だった。壁紙は真っ黄色、ビニールのテーブルクロスはどれだけ拭いても微妙にべたべたして臭かった。
こだわりのコーヒーは泥水のごとき濃さで、紅茶はダージリンもアールグレイも関係なくただの色つきの湯で香りもへったくれもなかった。客の八割は中年男性と老年男性で、店内の話題はおもに競馬、相撲、野球、あるいは「もし宝くじが当たったら」といったもしも話のいずれかだった。もちろん、誰にでも夢を見る権利はある。
ナポリタンもカレーもレトルトだったが、クリームソーダとモーニングのトーストだけはおいしかった。クリームソーダはバイトのわたしたちがつくっていたし、トーストは仕入れ先のパンが上等だったから。
他のバイトがすぐやめてしまうので、二年前からいるエミリとわたしは古株あつかいだった。
自分の欲望に忠実なエミリは同じだけ自分の感情に忠実であり、おもしろいことがあればお葬式の真っ最中でも大笑いするし、ショックを受けるとすぐに声を上げて泣く。この時もそうだった。
「減るもんじゃないだろって、言われたんだね?」
エミリが泣きすぎて先を続けられないようなので、先まわりして言った。へるもんじゃ、へるもんじゃ、とそこばかり繰り返されたせいで、わたしの脳内で「ヘルもんじゃ」という謎の料理が誕生しつつあった。ヘルもんじゃ焼き。たぶん死ぬほどまずい。『セーヌ川』の看板メニューにすればいい。
客がすくない時は休憩をとっていいことになっている。たいていの者はこの店の裏の路地で喫煙をするかコーヒーを飲むようだが、わたしはどちらも好まないので、ドロップを舐める。缶入りのドロップで、何味のドロップが出るかでその日のツキを占う。レモンが吉で、メロンは凶。それ以外なら、まあまあ。今日は薄荷だった。
エミリ曰く、わたしが休憩に入った直後に、男のふたり組が入ってきたのだという。ひとりは中年、ひとりは若年、何度か見かけたことのある顔だった。昼間から酔っぱらっているようだった。そのどちらかが、エミリの尻を触ったのだという。どちらに触られたのかわからない。同じようなニヤニヤ笑いを浮かべて、同じようにとぼけていた。
「いいじゃない、減るもんじゃないし」
あの頃は、こうしたことを平然と口にするような男がほんとうにたくさんいた。ゴキブリみたいに、叩いても叩いても出てきた。いやわたしは男だがそんなことは言わなかったし周りでも見たことがない、わたしは女だがそんな目に遭ったことはない、と言える人はとても幸せだ。どうかその幸せを存分に大切になさってください。わたしからは以上です。でも自分が見たことがないのと、存在しないこととは、違っている。
「ねえエミリ。わたしは、減ると思う」
人の尊厳は、理不尽な扱いをうけるたびにごりごりと削りとられていく。
「ちょっと行ってくる」
制服の白シャツの袖をまくりあげながら店に入っていった。厨房に続く裏口ではなく、正面の入り口から。しかし店内に客の姿はなかった。テーブルに空のコーヒーカップがふたつ、灰皿には煙草の吸殻が、ちゃんと消されないまま残っていた。エミリが泣いたので、さすがにまずいと思って早々に退散したのだろうか。
マスターのマスオがグラスを拭く手を止めずに「さっきの客、オーナーの知り合いだよ」と言った。オーナーとは『セーヌ川』が入っているビルのオーナーのことで、マスオは彼に家賃を払っている。
「オーナーの知り合いだからなんなの?」
ぼんやり本を読んで過ごしたいがために会社を辞めて喫茶店をはじめたというこの男の名は、ほんとうはマスオではない。マスター(長、主人)なんてガラじゃない、と本人も言っており、いつごろからかバイトの女の子たちからマスオちゃんと気安く呼ばれるようになった。バイトたちにどう呼ばれようが客になにを言われようがマスオは肩をすくめて静かに笑うだけで、良く言えば鷹揚、悪く言えば無責任、それが証拠に今もバイトの女の子が尻を触られ泣いているという状況でのんきにグラスなど拭いている。
「どっちに行った? 追っかけて文句言う」
「ちょっと、やめてよ鳴海ちゃん」
そこでようやく、マスオがグラスを置いた。
「きみ、このあいだもお客さんともめたじゃない」
「このあいだ」、自分がどの客とどんなふうにもめたのか思い出そうとしたが、あまりにも身に覚えがあり過ぎて無理だった。
「鳴海ちゃん、聞いて。この世はね、クソだよ」
客がいないと、マスオは平気できたない言葉を使う。
「悪い奴、いやな奴、せこい奴、いやらしい奴。そんなのばっかりなんだよ。これがまた、そういうのに限って出世するって仕組みなんだよね」
会社員時代のことを思い出しているのか、マスオの口もとにくっと力が入り、唇が波状にうねった。
「そんな奴らと真正面から戦ってたらきりがない。うまくかわせるようになったほうがいい。エミリちゃんもきみももっと賢く生きることを覚えなきゃ」
こっちが「賢く」ふるまえば相手はこっちを軽く見て、いい気になってまた踏みにじってくるのだ。かわす、なんて。なんでこっちがそこまで我慢しなきゃいけないんだよ、あいつらが自重しろよ。その思いを説明するための語彙が、当時のわたしにはなかった。だから「ふん、そういうのが賢いっていうんなら、ずーっとバカのままでいいもんね!」と喚いて店を飛び出した。さっき店を出たばかりなら、まだそう遠くには行っていないだろう。とっつかまえて、文句を言ってやる。