つい最近、かつて大学で正規の美術教育を受けたという人物に、「お前のやっていることはアートじゃない」と面と向かっていわれた。僕が制作の手法として多用するコラージュが、既存のイメージを編集しているだけで、無から有を生み出していない点がアートじゃないという言い分だった。僕の作品がアートか否かは置いておいて、すでにあるものを使用することがアート表現に当てはまらないなら、アンディ・ウォーホルとは一体何者だったのだろうか。

 先の人物の主張はさておき、ウォーホルといえば20世紀後半を代表する芸術家の1人として広く知られる。芸術を始め、音楽・映画・出版など多岐にわたるジャンルで、独自のクリエイションを発揮したアーティストだが、最も革新的だったのは“既存のイメージの流用”ではないだろうか。アメリカでは「ママの味」といわれるほど定番のキャンベルスープ缶を模写したり、マリリン・モンローの肖像写真など誰しもが知るイメージを流用し、シルクスクリーンで大量に複製したものを絵画として発表した。それまでの芸術は特別な人が生み出す崇高なものとされていたが、ウォーホルのそれらの作品は、自分が考えた図像でもなければ、一点物であることにこだわりすらなかった。そして皆の身近なものをテーマに選べば選ぶほど、ウォーホル自体は皆の手の届かない存在となり、やがて概念になった。

 2020年より現代アーティストとしての活動を開始した三澤亮介は、瞬く間にアートシーン注目の若手の1人となった。昨年末にはBSフジ『ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~』(YouTubeで視聴可能)に出演し、現在はJR上野駅の公園口改札内にて、新作1点を含む8点の作品が展示されている(『YAMANOTE LINE MUSEUM』プロジェクト)。さらに今この瞬間も展示のオファーが国内外から殺到しており、来年のスケジュールもほぼ埋まりつつある状況だ。

 元は雑誌や広告でポートレートを中心に撮影する写真家だったが、コロナ禍で仕事が減少し、自宅で過去の写真データを加工し始めたことをきっかけに今日の表現活動に至る。

 三澤の現時点の作風は、知的財産権が発生していない状態のパブリックドメインの絵を土台に、新しいものにつくり変えるのが最大の特徴だ。他人がつくったものを起点にするところはウォーホルと同じだが、図像をそのまま流用するわけではなく、Photoshopなどの現代の技術でデジタルマニピュレーションを施し、絵を再構築する。既存のイメージを完全に壊しアップデートしていくのが、三澤が現代アーティストたる所以だろう。

「素材として使用する絵は、その作者が決めた正解でありゴールだと思うんです。でも僕は決められた正解が嫌いなので、過去の人のゴールにデジタル技術で続きをつくって、僕なりの正解に更新したい」。

 この時代に傑作のアートピースを残すだとか、高尚な芸術家になることが目的ではない。三澤は過去の作品や現代アートシーンに対し、自分なりのルールを持ち込み、固定概念ごとひっくり返すことを目論む。

 

右:『good trip』727×606mm 2021
左:『Work time』727×606mm 2021

三澤亮介
Twitter @ryosuke_misawa
instagram @ryosuke_misawa_53

 

「ウォーホルのように概念になりたい」。

 そのための自分の強みが、美術に対して「物差しを持っていないこと」だという。アーティストになるための美術教育を一切受けていない三澤はいわばアウトサイダー。教育を通して他人と自分を比較したり、「これがアート」という枠組みを知るための物差しを持つと、確かに萎縮して動けなくなるリスクは生じるだろう。

「無知って無敵なんですよ」。

 現に冒頭の人物は今は作品をつくらず、口しか動かせないでいるのだが、誰かが決めたルールに則って本来やりたいことができないのなら、ルールブックを捨てて自分だけの土俵で立ち回った方がいいだろう。三澤の八面六臂の活躍ぶりを見るにつけそう思う。

 三澤の今後の展示の予定は多く、紙幅の都合上、すべては紹介できないが、僕が企画するグループ展『ABSTRAKT』(ORIGINAL SHIT GALLERY主催・6/10~6/19)にはぜひ足を運んでほしい。再来月号ではもう1人のグループ展参加作家・松村咲希を紹介したいと思う。