○んこ あります
駅裏の居酒屋には、壁に、こういう品書きが貼られている。
初めての客は、この品書きを見て、連れと小声で話す。
「まさか、あの伏せ字は“ま”じゃねえよな」
「まさかな」
「“ち”でもねえだろうし」
「なんだろう」
すると、熱燗をちびり、ちびりと飲んでいた若い女性客が、店主に向かって、
「おじさん、○印ちょうだい!」と、明るい声で注文する。ためらいなく、○印と馴れた調子で注文するあたり、いつも食べているのだろう。
さて、何が出てくるかというと、これが「あんこ」なのである。蓋の付いた小ぶりの椀に、上品な木の匙が添えられていて、つまりは、居酒屋のデザートということなのだろう。
でも、どうして、「○んこ」と伏せ字にしているのだろう。
店主が、問わず語りに教えてくれたのだが、昔は、どこの居酒屋にも、伏せ字の品書きがあったのだという。
そういうものがあったほうが、話のタネになるし、常連を「オレは分かってる」「わたしも知ってる」と、少し優越した気分にさせてくれるから。
「うちも、伏せ字の品書きが、ほかにあるんですよ」
「どんなのがあるんですか」
「お見せしましょう」
店主が、板場の引き出しから、1枚の品書きを出してきた。
○ンポ あります
まさか、伏せ字“チ”ではないはず。いや、待てよ。ゲテモノ料理の店で、本日のおすすめに「鹿のペニス」とあるのを見たことがあるから、ひょっとして、伏せ字が“チ”である可能性がないわけではない。
「これ、正解は何ですか」
「“ギ”です」
えっ、ギンポなんていう食べ物があるの!?
『カラー完全版/日本食材百科事典』(講談社プラスアルファ文庫)にあたってみたところ、おお、載っているではないか。
〈ギンポ(銀宝)=通好みの、白身でやわらかな味の魚だが、処理に手間がかかってしまうため、あまり店頭に並ばなくなってしまった。死後硬直が激しく、身がかたく縮まってしまうので、活きたものをさばくのが最適。アナゴと同じように背開きにする。天ぷらが有名だが、さつま揚げ風に身をすって揚げてもおいしい。体長20~30センチ。〉
そして、こう書き添えられている。これを読んだら、誰もが食べたくなるのではないだろうか。
〈全国でとれるが、食用とするのは主に関東。かつては江戸前の天ぷら種として欠かせないものだったが、最近はめっきり減少した。外見からは想像のつかないような、さっぱりとした味で、身のだらける夏をのぞき、長い期間おいしい。鮮度の高いものの天ぷらは非常に美味。〉
いやあ、一度食べてみたいものだなあ。
だけど、こういう物が出てくる天ぷら屋というのは、そもそも、どこにあるのだろう。きっと、銀座あたりの高級店なんだろうなあ。政治家が、要人の接待に使うような。
「ご主人、ギンポなんていう名前、初めて知りました」
「そうですか。たまにしか手に入らないんですが、天ぷらはホントうまいです」
このギンポという魚、『日本食材百科事典』にカラー写真が掲載されているのだが、ヌメッとした棒状で、まるでポコチンのよう。
「そうなんですよ。死後硬直してカチカチになると、まさに勃起したポコチンです」
「ですよねぇ」
「だから、岡山県では、このギンポのことを方言でカタナメといってます」
「カタナメ!?」
「ええ。カタくなると、ナメたくなるような形状をしてるからじゃないですかね」
岡山県では、妙齢の女性が、「カタナメ、おいしいよね。うっとりして、つい、パクッといっちゃう」とか、言ってるのだろうか。
また、この魚を、カタニギリと呼んでいる県もあるそうだ。
カタくなった様子を見て、つい、ニギッてしまう女性が多いことから来た名称だろうか。
(ああ、あの人に、もう一度会いたい。カチカチになったときの握った感じは、これとそっくりだった……)
(ああ、こんなことを思い出させるなんて、カタニギリは、ツミな魚……)
思い出に身悶えする女性が少なくないのかもなあ。
「ですから○ンポは、ギンポでも、チンポでも、似たようなものなんです」
まさに、世に珍談あり――。
【八百言】双子なのに誕生日が違うことが案外あります。日をまたいでの出産で。 一ノ瀬太郎(医師)