さすが、「おしん」というべきか。

 広辞苑には、テレビドラマ「おしん」についての解説が載っているという。

〈おしん=NHKの番組「連続テレビ小説」の一作。橋田壽賀子原作・脚本。1983~84年放送。明治・大正・昭和を生きた女性の一代記。40数カ国で放送された。〉(広辞苑・第六版)

 このことを知ったのは、広辞苑ネタが得意な若い男女の漫才コンビから。

「わたしだって、おしんと同じくらい苦労してんのよ」

「いまどき、おしんみたいな苦労はないだろ」

「ううん。わたしは、名前で苦労した」

「お前、なんという名前だっけ?」

「おしん」

「同じなのか」

「わたしは漢字なの」

「どんな字、書くんだ」

「こういう字、書くの」

 ふたりの後ろにあるホワイトボードに、彼女が太字の黒マジックで、自分の名前を書く。

 悪心

「こ、これで、おしんと読むのか!?」

「うん。広辞苑にも出てる」

 ホントかよと、懐中の電子辞書にあたってみたら、テレビドラマの「おしん」のあとに、「おしん」が2つ出ていた。

〈おしん〔悪心〕=心持がわるく、はきけを催す感じ。むかつき。〉

〈おしん〔汚疹〕=かさぶた。〉

 よく、こんなことに気がつくものだなあと、感心してしまった。

 この男女のコンビは、舞台に出てくると、まず自己紹介する。

 男「ながさお、です」

 女「まらみ、です」

 男「ふたり合わせて、ながさお・まらみです」

 女「有名女優の長沢まさみさんと、ちょっとだけ違うんですよ」

 ながさわ・まさみ

 ながさお・まらみ

 たしかになあ。似てるけど、ちょっとだけ違う。

「この男は、粗チンのくせに、名字がながさお。詐欺」

「この女は、夢に見るのは、魔羅ばかり。色ボケ」

 こんなふうに、下ネタが延々と続く。テレビにはまったく出ない、いわゆる地下演芸の漫才コンビとして、老若に人気がある。駅裏に小劇場があるのだが、

「○月○日
 ながさお・まらみ 来たる!
 入場料300円 おひねり歓迎」

 この貼り紙が出されると、たちまちチケットが完売になる。

 このコンビが人気がある理由は、下ネタ上手なことと、もうひとつ。

 年齢が、おそらく20代後半と若いうえに、じつは、美男・美女なのだ。

 だから、どんなことを言っても、よごれた感じがしない。高齢者は、孫でも見るように、笑いながら手を叩いている。

 ふたりは、どういう関係なのか。

 舞台上、動いた拍子に、ながさおの指先がちょっと接触しただけで、「なにすんねん!」とまらみが飛び退く。

「お客さん。オレたちは下ネタばかり話してますが、深い関係ではありません。なあ」

「ハイ。何年か前に、わたしが酔ったふりをしていると、パンツの脇をずらして2センチくらい挿れてきたんですけど、そこでやめてくれました」

「お、お前。気づいてたのか」

「あたり前や。ここまで守り通してきた処女膜を、誰がお前なんかに」

「う、う……(泣くマネ)」

「(明るい声で)さあ、みなさん、ここで問題です。処女膜という言葉は、広辞苑に載っているでしょうか?」

「載ってるのか。そんな言葉」

 すると、まらみがホワイトボードにすらすらと書き始める。

 しょじょまく(処女膜)=処女の膣口にある膜。「載ってるんですよ!」

 こういう、広辞苑ネタが、次々と出てくる。

「昔は、処女膜のあるなしを気にする男が多かったので、なくしてしまった女性は、再生手術をしました」

「へえー、そうなんや」

「千葉に名医がいまして、その先生のところへ日本中から、再生希望の女性が集まったそうです」

「千葉の、どのあたりなんや?」

「たしか、こういう地名です」(そう言いつつ、ホワイトボードに大きな字で書く。ルビまで添えて)

 膜張まくはり

「字が違うやないけ!」

 このあとも、下ネタ話が延々。

 それにしてもと驚くのは、ふたりが何も見ずにホワイトボードに書くこと。たとえば、「おしん」のほかに、「おはなはん」も広辞苑に載ってますと言って、すらすらこう書いた。すごい記憶力。

 おはなはん=NHKの番組「連続テレビ小説」の一作。林謙一原作、小野田勇脚本。1966~67年放送。明治・大正・昭和を生きた女性の一代記。

「なんか、おしんと言葉が同じやな」

「手抜きかな」

 みな大笑い。広辞苑ファン増えそう。


【八百言】平和ボケ 口にするひと 戦好き 山中秋冷子(川柳作家)