「えー、みなさん、富士山がなぜ“ふじさん”と呼ばれているか、ご存知でしょうか」

 寄席で、落語のまくらが、そういう話だったことがある。

「あの山はその昔、いまとは違う漢字があてられていました」

 吹きあげるの“”。

 地べたの“”。

 出産の“さん”。

「この三つをつなげて、吹地産。つまり、吹きあげた地べたによって産まれた山という意味です。おそらく、富士山というのはその昔、今とはまるで異なる、低い山だったんでしょうな。それがある日突然、天地をゆるがす大音響とともにマグマを吹きあげて、どこからでも見られるような高い山になった。人々は恐れおののいて、これはきっと、地べたの神様の怒りに違いない、どうか怒りのホコをおさめてくださいと祈りをこめて、地べたの神様の怒りの象徴である吹地産に向かって掌を合わせたのではないかと言われています」

 ああ、そういう伝承があるのかと思ったものだが、驚くなかれ、富士山という名称の由来については、30を越すほどの数があるという。まさに、「諸説あります」という状態。この“地産”もその1つなのだろう。

 日本大百科全書(小学館)には、どんなことが書いてあるのだろうと思い、ひいてみた。

〈富士山(ふじさん)=山梨・静岡両県にまたがる、玄武岩を主とする成層・円錐(えんすい)火山。かつての富士火山帯の主峰であるが、全国最高の標高(3776メートル)と美しい容姿のために、古来、日本の象徴として仰がれ、親しまれ、海外にもよく知られる活火山。その傾斜は山頂部で32~35度、裾野(すその)は2~3度で、美しい対数曲線を描き、基底の直径は東西約35キロメートル、南北約38キロメートル。〉

 おっと、対数曲線の“対数”というのはどういう意味なんだろう。

 まったくの初耳。

 困ったときの広辞苑でひいてみたら、「正の数aおよびNが与えられたとき……」とあり、いっそう意味不明。数学用語であることだけは分かった。

 注目は、日本大百科全書に、つづけてこういう記述があったこと。

〈昔は「不尽」「不二」「富慈」などと書かれ、アイヌ語の「フチ」(火)に由来するとの説もある。〉

 やっぱり、富士山にはいろいろな表記があるんだなあ。「不尽」は、尽きずと読めるから、朝に夕に尊拝しようとも、気高きこの山に対する思いは尽きることがないという意味だろう。

「不二」は、この世に二つとない山という意味。

 そして「富慈」は、富士山に降り積もった雪が、水となって山麓にしみ込み、それがやがて清涼な湧き水となって豊かな作物をもたらす、富士山によるいつくしみをあらわしたものに違いない。

 そしてここへきて、富士山という名称の由来について、これまでに似たもののない新説が発表された。

 それは、「223ふじさん」の語呂合わせではないか――というのだ。

 静岡県の田子の浦港に住む高校生が、「海岸の一地点と、富士山頂をむすぶ仰角」のその角度から、富士山の標高を割り出した。

 テレビメディアの取材に応えて、彼はこう語っている。

「もちろん、富士山の標高が3776メートルであることは知ってます」

「そうですよね」

「でも、昔の人は、どういう方法で標高を割り出したのかと思って……」

「ええ」

「観測地点からの距離と、仰角との数字によって、富士山の標高が、昔から長く使われてきた周尺しゆうしやくによって2230じようであることが分かったんです」

「ああ、昔の中国では、長く伸びた白髪を、白髪三千丈といったりしますもんね。あの丈ですね」

「そうです。で、丈の1.7倍がメートルなので、2230丈は、3791メートルなんです」

「ほとんど、富士山の標高と同じじゃないですか」

「それで、0をのぞいた223という数字を、ふじさんという語呂合わせでみんなに伝えたんじゃないかと」

「すばらしい推理ですねえ」

 この高校生は、実家が大昔からの大工で、尺貫法当時の計測機器がたくさん残っていたので、それがヒントになって、丈での計測を思いついたのだという。

 この新説に対して、反対の意見は目下まるでなく、むしろ、「若い人の発想の柔軟さにびっくりした」という、歓迎の声が寄せられている。

 すると、栃木県の高校生が発言。

 日光の奥にある女峰山によほうさんは、その標高が2483メートルで、これを語呂合わせで「にょ」「ほう」「さん」と読んだのではないでしょうか――と。

 8を「ほう」と読む例があるのだろうか。あります、八月一日と書いて「ほずみ」と読む例が。「ほう」と読んで不思議ありません。へえーっと、感心。



【八百言】私と彼は赤い糸でむすばれています。あかいいと。並びかえたら、愛と貝(あいとかい) 山田・カーフカ(詩人)