さる高名な詩人が亡くなって、その遺言書が、預かっていた弁護士の立ち合いのもと、厳重な蝋封を切って、あけられた。そこに書かれていたこととは――。
この話はあまりにも有名なので、ご存知の方が多いと思う。
書かれていたことを見た途端に、夫人は失神しそうになり、子女子息は絶句。また、詩人と親交の深かった編集者諸氏も弁護士も、予想だにしなかった内容に、えっ!? とかすかに声を漏らしたまま、呆然として、遺言書から目をそらした。
何が書かれていたのか。
そこには、たった一行、こう書かれていたのである。
所詮この世はおまんこだ
あの真面目な先生が、まさか、遺言書にこんなことを書いていたとは……。
誰もが声もなかった。
のちに、立ち会った編集者の誰かが、「ここだけの話だけど」と、この遺言書の一件を仲間うちに漏らし、あとはもう燎原の火のように燃え広がって、多くの人の知るところとなったのではないかと言われている。
寄席で、漫才のネタにもなった。
「偉い先生が、キテレツな遺書を残していたそうやな」
「うん。話題になっとるなあ」
「なんでも、所詮この世はお○○こと書いてあったとか」(この○○の部分は客層の幅広さを考えて、マルマルと発音した)
「まあ、その気持ちは分かるわな」
「そうか」
「女性にとっては、人目から隠してまで守るものであり、男にとっては、この世でいちばん見たいもの。そやろ」
「そやなあ」
「うちの近所のご隠居も言っておったわ。この二つの文字の違いについてな」(ここで、舞台に黒板が運び込まれ、黒板に二つの文字が書かれる)
生
性
「どういう違いがあるんや」
「生は、生まれること、生きること」
「うん」
「その生に、心(立心偏)が添えられたのが、性なんや」
「おお」
「つまり、生ませようとする心、生きようとする心が、性なんや」
「大事なものやないけ」
「その通りや。偉い先生が、この世は、つまるところ、お○○ことおっしゃったのは、そういう意味やと、ご隠居が教えてくれた」
「ためになる漫才やなあ」
ここで客席から大きな拍手が沸いたと、『ニッポン性スキャンダル史』(堀米大助/那仏社)に漫才とともに紹介されている。この漫才にはつづきもあって、黒板に縦の線(――)が並んで二つ書かれるパターン。
「この二つの線が、性器によってつながると、ホレッ」
H
「おお、エッチやないですか」
「そうや。文字というのは、洋の東西を問わず、そうやって出来ているそうや。ご隠居が言ってた」
ここでまた、客席から大きな拍手が沸いたそうである。
江戸時代に日本へ訪れた外国人は、日本の性のあけっぴろげに、大いに驚いたという。混浴あたりまえ、夜這いの風習、野合、長屋の前を日が落ちてから通ると、はばかりなどまるでなく聞こえてくる、あっはん、うっふんの声……。
だから、江戸文学の最高峰が芭蕉の『おくのほそ道』であることを知ったとき、外国人は、さもありなんと誤解したそうである。
「芭蕉」の“蕉”とは、バナナに似た果実。
そしてバナナは下世話に男性器を意味するから、芭蕉の『おくのほそ道』とは、バナナが、奥に隠れている細いところに入っていく、破瓜の話か、衆道の話に違いないと、外国人は思ったというのである。
外国人にそういう誤解があったことを知った江戸時代の日本人は、「そういわれてみれば、たしかにこの『おくのほそ道』という書名にはいやらしいところがあると、逆に初めて気がついた。
たとえば、『おくのほそ道』の最初に出てくる一句。
「草の戸も住替る代ぞひなの家」
これについて以後こういう裏解釈が横行したという。
「草の戸も」=毛のはえたとびらも
「住替る」=住処割る=割って入り込む
「代ぞ」=余ぞ=俺様であるぞ
「ひなの家」=鄙の家=いなかの家で
これから向かう陸奥で、そういうことをたくらんでいた芭蕉の、陰心を詠んだものだというのである。
では、芭蕉は、陸奥で本当にそんなことをやったのかというと、もちろん不明なのだが、もしかしたら、そういう気持ちをずっと持ちつづけていたのではないかと疑いはかかっている。それは、『おくのほそ道』の最後の一句がこれだから。
「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」
はまぐりは女性器の隠称だもんなあ。
【八百言】巨乳ぞろいのニュース番組、「乳ス・ステーション」。どこかやらねえかな。 秋田はじめ(コラムニスト)