『鎌倉殿の13人』──。
そう、NHKテレビで今年1月からスタートした大河ドラマのタイトルである。脚本は三谷幸喜。
広く、言葉の魔術師として知られている三谷幸喜だけに、このタイトルにもなにか別の意味が隠されているのではないかと、目下、詮索がしきり。
「鎌倉幕府ができたころなんて、あのあたりは、草ぼうぼうの荒れ地で、そこに掘建て小屋を建てて、男ばかり集まってたんだってな」
「うん。そうらしいな」
「鎌倉という地名だって、蚊が枕を並べて寝てたんで、付いたって話だし」
「蚊の枕で、鎌倉か」
「いるのが男ばっかしなんで、暗くなるとやるのは一つ」
「ふんどしから魔羅を抜き出して、しこしこ」
「そうだろうなあ」
魔羅をかく
↓
まらかく
↓
かまくら
そういうふうに言葉が変わって、鎌倉という名ができた──という説もあるそうだ。もう、800年余りも前の話なので、事実は誰にも分からないし、諸説入り乱れて、正解は不明と言われているそうだ。
では、『鎌倉殿の13人』の、あの13は何を意味しているのか。
それはもちろん、鎌倉殿、すなわち源頼朝に関係する13人の男たちという意味だろうと、ふつうは思う。
ところが、異説もある。
鎌倉は男ばかりで、おなごは一人もいなかった。
おお、それなら今、鎌倉へ行けば商売になると読んだ度胸のあるおなごが、急ぎ走りして鎌倉に駆けつけたところ、わっと男が集まって長蛇の列。
いくら何でも、一人でそんなに相手ができるものではない。あそこが腫れあがって、もう血まみれ寸前。
「もう、手でもいいから」と男たちが言うので、手を使って、たまっているものを出してやった。手が疲れると、足まで使った。
手も足も疲れて、そんなときにイイ男が来たりすると、「あんたは特別よ」とか言って、口を使って出してやった。
「十」本の指。
「二」本の足。
「一」つの口。
これを総動員して男を歓喜させたので、このおなごは「十」「二」「一」を合わせた、「十三」、通称「とみ」と呼ばれたという伝承がある。
「とみ」は「富」(とみ)に通じるし、実際のところ、男たちからお金をとっていたので、財布がふくらんで「お富」とも呼ばれた。
歌舞伎「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)に出てくる、カネにきたなくて男を手玉にとるお富は、その名が、鎌倉時代のこのお富から来たのではないかという説があるほど。
では、家来の男たちが、こんなことをやっているときに、源頼朝は何をやっていたのか。
じつは、頼朝だけは、だだっ広い屋敷に住み、奥方と痴戯にふけっていたという話が伝わっている。
平家の討伐は弟の源義経にまかせ、自分はあり余る精力にものをいわせて、
「おお、義経はひよどり越えで名を馳せたそうじゃの。わしは、後ろからお前をひよどり越えで攻めてみるぞ。ほれ、どうじゃ」
「あひー」
「まいったか」
「降参でござりまするー」
「次は、横からじゃ」
「あひー」
「次は下からじゃ」
「あひー」
こんなふうに、性交するときの位置を次々と変えるのが趣味だったので、人呼んで「性位大将軍」。
しかも、奥方がいないときは、若侍を見つけて、「愛いやつじゃのお。よいではないか」と手あたり次第。
周囲は呆れて、頼朝のことを「上様」ならぬ、「飢え様」と呼んでいたというからおそれいる。
義経は、壇ノ浦で平家を滅ぼすのだが、そのころ頼朝は、「男ノ裏」を攻めていたという話も残っている。
おそらく、これらのことも、ひそかにすべてひっくるめて、これから『鎌倉殿の13人』は話が進んでいくのではないだろうかという話。
ところで──。
『源平盛衰記』は、「げんぺいじょうすいき」と読み、広辞苑でこう解説されている。
〈源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)=軍記物語。48巻。成立は鎌倉時代から南北朝時代にかけて諸説がある。げんぺいせいすいき。〉
ご覧のとおり、「じょうすいき」が主で、「せいすいき」は従なのだ。
これは、「せいすい」だと、精水をまき散らした鎌倉武士の所業を連想させるので、それを避けたためと言われる。
【八百言】年末年始、やりっぱなし。粘膜年始ですよ。 ラスベガス・田中(漫談家)