枕崎港は、海産物の宝庫。
もちろん、そのなかで一番有名なのは、名産品カツオ節の材料となるカツオだが、じつはタコが美味であることが知られている。
栄養豊富な黒潮にもまれて育ったタコは、大型なうえに、硬すぎず、柔らか過ぎず、口にしたときの歯切れのよさが食客を魅了している。
昭和40年代のこと――。
枕崎市内の寿司店でこのタコを口にした、いかにも食通と分かる客が、「これほどウマいタコは、これまで食べたことがない」と感嘆した。
「これほどのタコは、他所では獲れないんじゃないかな」
「そうですか。そこまで言っていただけるとうれしいです」
「ここでしか食べられないタコとして、名前をつけて名物にしたらどうかな」
「先生、名前つけてくださいよ」
「いや、わたしは先生なんて言われると困っちゃうよ。食い物道楽で日本中を旅行してるだけなんだから」
「ぜひ、お願いしますよ」
「うーん。そう言われたら、しようがないか。なにか、名前を考えることにしよう」
「ありがとうございます」
先生は、しばらく考えたあと、店主が用意した色紙に、墨痕も鮮やかにこう揮毫した。すばらしい達筆。ちゃんと署名入り。
天下の逸品なり
枕だこ
八咫貫
「枕崎の“枕”を冠して、枕だこ。これがストレートでいいんじゃないかな」
「いいですねえ」
「いずれ、早いうちに人口に膾炙すると思うよ」
「ありがとうございます。で、この色紙のいちばん最後にあるのは、先生のお名前ですか?」
「それは、わたしの俳号でね。“やたぬき”と読みます」
「格調高い色紙で、ありがたいです」
かくして、この色紙は、寿司店の壁に額装して飾られ、いつしか客と店主との間で、
「きょうは、枕だこ、入ってる?」
「はい。いいのが入ってます」
「じゃあ、最初は刺身で。あとで二つ、三つ、握って」
「承知しました」
こんなふうに、枕だこは、通称として使われるようになった。
問題が発覚したのは、10年後だった。
江戸文化を研究している女性が、枕崎で講演会を開き、閉会後にこの寿司店にマネージャーと入ってきた。
冷酒をちびりちびりと上品に飲みながら、店内を見ているうちに、色紙のところでぴたりと視線が止まった。
「あら……」
「どうかなさいましたか」と店主が尋ねる。
すると女性は、「あの枕だこというのは、どなたが……」と、揮毫した人物について店主に聞いた。
かくかくしかじかですと店主が説明し、「残念ながら本日は、枕だこの水揚げがありませんで」と詫びると、女性はこう話した。
「じつは、枕だこという言葉には、別の意味がありますの」
「えっ、どんな」
「遊廓のお女郎さんが、のべつまくなしにお客の相手をしていると、枕を耳にあてている時間が長いために、いつしか、耳に、たこ(胼胝)ができてしまう。そのたこのことを、枕だこというんです。女郎生活が長い証拠のようなものです」
「いつごろからある言葉なんですか?」
「江戸時代からです」
「じゃあ、額に入れて飾るような言葉じゃないわけですね」
「ええ。でも、枕崎だけは、地名ということで、許されるんじゃないでしょうか」
「はあ。少しホッとしました。ずっとこの名称で売ってきたものですから」
「よろしいと思いますよ」
女性は、江戸時代にはあまりよくない言葉だったものが、時を経て、一転しているケースもたくさんありますと教えてくれたそうだ。
現在、「無印」という言葉は、宣伝にお金をかけていないだとか、ブランド品ではないが同等のクオリティを持っているものという意味合いで語られることが多いが、江戸時代は違う意味合いだったという。
「どんな?」
「無印というのは、ひとに金品をねだる、無心の隠語だったんです」
「言葉って、大きく変わってしまうことがあるんですね」
と、そこへ、カウンターで隣りにいた近所のご隠居が口をはさむ。
「そうです。時代とともに変わるんですよね。寿司ネタの赤貝だって、大昔は、女性のあそこを指したそうですから」
酔いが少し回っていたその女性が「ホホホ、わたくしはまだ浅蜊ですわよ」と応じて、色っぽく和やか。いいよねえ。
【八百言】江戸時代、巨根を馬、あそこのきつめの女性を狐といいました。 柏屋一郎(国文学者)