中国は古代から戦いに明け暮れてきたので、戦いについての警句が多い。

 そのなかでも、戦いの実相をあらわして、無比と言われているのが、これ。


「春秋に義戦なし」


 春秋しゆんじゆうというのは、遠い昔から今に到るまでの長い歳月のことで、その何千年を振り返ってみても、義戦ぎせんなど一つもないという意味。

 義戦とは、正義のために起こした戦いのことで、正義のすべてはこちらにあり、あちらにはひとかけらもない戦い。

 そんなものは、これまで一つもなかったというのである。

 どんなに野蛮でくだらない相手にも、ひとつくらいは言い分があるというのだ。

 では、プーチンには、ウクライナに対してどんな言い分があるのだろう。

 あるとは思えないよなあ。

 でも、屁理屈みたいな言い分が、ひょっとしたらあるのか。

 長老記者が言う。

「われわれみたいに、四方を海に囲まれた国に住んでると、ウクライナの歴史は、真底までは理解できないのかもな」

「そういうもんですか」

「うん。これ読むと、しみじみそう思うよ。攻めたり、攻められたり、分割されて、敵になったり、仲直りしたり、そういうことの繰り返しだもん」

 長老記者が見せてくれたのは、『日本大百科全書』(小学館)の、ウクライナのページ。

 うーん。たしかに、変転極まりないとはこのことかと思うほど、複雑怪奇。これを学校で学ばされる子供たちは、さぞかし苦労してるんだろうなあ。

 ウクライナとロシアとの関係というページに、こう書いてあるのだ。

〈ウクライナ情勢を理解するためには、この国が特徴をもついくつかの地域から構成されていることを知ることが必要である。〉

〈東部のドネツク(旧スターリノ)などのある地域はロシア人が多い。〉

〈その西のポルタバやキエフの地域は小ロシアとよばれ、コサックの自治国家があった地域である。〉

〈その西のドニエプル右岸地域はポーランド分割でロシア帝国に併合されたポーランド地主の多い地方であった。〉

〈その南のオデッサなどの地域はロシア人、ウクライナ人、ユダヤ人が植民した地域で、さらに北西にはポーランド分割でオーストリアに属していたガリツィアがあり、その南にはハンガリー領であった地域がある。〉

 こんなに複雑にからみ合っているのに、以上でまだほんの入口。

 小ぜり合いや、全面戦争で、命を奪われた人は、それこそ数知れず。

 だから、ウクライナには、こういう格言がある。

「今を愛せ。過去にさかのぼるな」

 結婚したい相手ができて、家族に報告すると、「Aさんはどこの町の生まれ?」と聞かれる。あの一帯ではとくに。

「B村の生まれと言ってた」

「えっ、B村の生まれで名字がAだったら、昔、うちの先祖の命を奪ったやつの子孫じゃないの!」

「そうだよ、きっと。そんなやつと結婚するのはやめてくれ」

「絶対に認めないぞ!」

 家族のそういう大合唱が始まるから、絶対に、過去にさかのぼって調べるなというのである。

 日本では、このような地域同士のいがみ合いは、「会津 vs 長州」以外にはほとんど聞かない。

 おそらくウクライナには、会津 vs 長州のようないがみ合いが、いくつも存在しているのだろう。

 じつは、ウクライナのゼレンスキー大統領に名前がちょっと似ている、ゼレゾフスキーというスポーツ選手がいる。

『岩波 世界人名大辞典』にも、その名が収録されている。

《ゼレゾフスキー(1963年7月1日生まれ)=ベラルーシの男子スピード・スケート選手。ソ連時代に世界スプリント選手権で最多の6回の総合優勝を成し遂げた。史上最高のスプリント・スケーターと言われている。だがオリンピックでは結果を出せず、カルガリー大会(1988)の1000mで銅メダル、リレハンメル大会(1994)の1000mで銀メダルに終わっている。現役を退いて、しばらくはベラルーシのスケート連盟会長を務めた。》

 スピードがズバ抜けていて、「彼のレーンに落とした穴がない限り、100パーセント勝てる」と言われていたゼレゾフスキーが、なぜオリンピックで金メダルを獲得できなかったのか。

 緊張からくる風邪によるものという見方がある一方で、ゼレゾフスキーの生地といざこざ関係にある地域の者が、スタート直前に心ない野次を飛ばしたから――という説があるのは、あの一帯の複雑さを物語るものかもしれない。

 少し前、肌の白い自称ロシア系のソープ嬢が、「わたしの名前はチンスキー、だからこれ大好き、チン好きー」と売れっこだったそう。今、どうしてるかね。

【八百言】車のナンバー。人気1位は「7830」。つまり、悩みがゼロ。分かるなあ。 大谷創一郎(数学者)