「あげまん」は、なぜ、映画タイトルとして了承を得ることができたのだろう。

 不思議だよなあ。

「あげまん」の“まん”は、どう考えても、女性器のことだもんなあ。

 タイトル変更を命じられなかったのはどういう理由なのか。それを知りたくて、まず、『現代世相風俗史年表』(河出書房新社)にあたってみた。1990年(平成2年)のページに、こう書いてあった。

《あげまん=映画「あげまん」(伊丹十三監督)から生まれた流行語。映画の評判はいまひとつだったが、タイトルだけはすっかり有名になった。もともとは花柳界の隠語で「福まん」と言うらしい。その女性と一緒になると、不思議と相手の男の方に運が向いてきて成功する、そういうタイプの女性のこと。反対は「下げまん」だなどとも言われた。》

 日本の映倫は厳格なことで知られているのに、よく、あげまんというタイトルが審査を通ったものだと思う。伊丹監督は、何か注文をつけられたときのために、理論武装をしていたのだろうか。

 映画専門書には何と書いてあるのだろうと、『ぴあシネマクラブ1996邦画篇』(ぴあ)で、映画『あげまん』の部分を読んでみた。

《あげまん=話題づくりには定評のある伊丹十三が仕掛けた監督第5作。当時流行語ともなった“あげまん”とは、男にツキをもたらす女のこと。捨て子だったナヨコは芸者の置屋にあずけられ、やがて僧侶の旦那を持つが、その旦那の位はめきめきと高くなり、ある日知り合った銀行員も、どんどん出世してゆく。周囲の男の運を開いてゆく“あげまん”ナヨコであったが、彼女自身の人生は決して幸福ばかりとはいかなかった……。宮本信子、津川雅彦、大滝秀治といった伊丹映画の常連を配してユーモアと人情を絡めて描くヒット作。宝田明、島田正吾といった脇役も実にいい味を出している。119分》

 出演した役者の顔ぶれを見ても、明らかに、軽さをまとった文芸映画なので、「この、あげまんというタイトルを変えていただけませんか」と、映倫も言い出せなかったのでは……。世間から、こんなケチないちゃもんつけてと言われそうで。そう裏読みする人もいるそうだ。

 近刊の映画専門書『日本映画作品大事典』(三省堂)にはこうあった。

《あげまん=天涯孤独な芸者がさえない銀行員と愛し合う。出世した彼は彼女を捨てるが、汚職を巡り窮地に陥り、彼女に救われる。題名は伊丹による造語だが、以後、男に幸運をもたらす女の意味で定着した。》

 へえー。伊丹十三の造語。

 これを一説とすると、

「福まん」からの派生、

「下げまん」の反対語、

 文芸作品ゆえにお墨付き、

 など、まさに諸説あって、競馬風俗研究家の立川末広に聞いたら、

「映画を製作していたときの首相が竹下登さんで、ひらけた人だったので、いいじゃないですか、あげまんは格別に淫靡な言葉でもないし……という、側面からの応援の言葉があったという話を聞いたことがあります」

 とのこと。さらに一説ではないか。

 そういえば、長年にわたって大ヒットを飛ばしている歌手に国民栄誉賞をあげたくても、その歌手たちが口々に、「美空ひばりさんが国民栄誉賞をもらっていないのに、わたしたちなんて恥ずかしくて、とてもとても」と後じさりするという話を人づてに聞き、美空ひばり授賞に動いたのも竹下さんだと読んだ記憶がある。

 竹下さんて、闊達な人だったんだなあ。

 そんなことを考えていたら、長老記者が、

「“まん”というのは、必ずしも、女性器ばかりを指す言葉ではないんだよ」

 と教えてくれた。

「間(ま)という言葉があるだろ」

「ええ」

「あいつは間がいいとか、あいつは間が悪いとか」

「よく聞きますよね」

「あの、間という言葉の変形が“まん”なんだよ。大昔から」

 そうなのかと、『新明解古語辞典』(三省堂)を開いてみたら、こう書いてあった。

「まん」は、ま(間)の音便、すなわち変化形で、「めぐりあわせ」「しあわせ」「運」を表わすと。

 長老記者の言うとおりではないか。

 だったら、あげまんは、「あがるめぐりあわせ」ということだもんなあ。

 もしかしたら伊丹監督は、映倫に何か言われたときの対抗材料として、この、「まん」は「間」のことという古代からの言いならわしを用意していたのかもなあ。

 思い出した!

 浅草名物の「あげまんじゅう」、略せば「あげまん」。

 あれは、土産に持参すると運気があがるということで、お得意先訪問、これと決めた女性のご家族訪問に最適と言われているもんなあ。


【八百言】耳が遠くなり、「千駄木二丁目」が「せんだみつお」に聞こえた。 山内耕造(作家)