1937年4月――。

 この数字で、次のような語呂合わせを思いついた人物がいる。

「いくさなし」

「19374」

 この人物、1937年の年があけるや、東京駅の伝言板に大々的にそれを書きつけた。

 そして、こう書き添えた。

「今年1937年4月は、いくさなし。すなわち、戦無しと読めます。そうなるように全民で努力しましょう」

 反響は大きかった。

 各紙が速報し、そういう世の中が来るように願おうという声があがった。

 しかし、全民が喜んだわけではなかった。

 伝言板に次々と書き込みがあった。

「日本人のくせに、西暦を使うとは何事だ」

「西暦に日本語の意味付けをしても、なにも意味はない」

「三年後の昭和一五年には、栄えある紀元二千六百年を迎えるというのに、西暦を持ち出すとは、どういうつもりだ」

 当時の日本は、二・二六事件(1936年)の影響で、さからったら同じ目にあわすぞと軍部が力を増し、ふにゃけた平和などクソくらえという雰囲気もあったのだ。

 1937年、1月21日には国会ですさまじい問答があった。

『読める年表』(自由国民社)は、1937年のページの冒頭、「腹切り問答」という見出しを立てて、こう書き連ねている。

 ――第70議会において、浜田国松議員は軍部の横暴を批判するとともに、寺内寿一陸相との間にいわゆる“腹切り問答”を行う。

「独裁強化の政治的イデオロギーは常に滔々とうとうとして軍部の底を流れている」(政友会浜田国松――拍手さかん)

「そのようなことはない。何かの幻影にまどわされておるのではないか。浜田君のいまの演説には軍人侮辱の言辞げんじがあった。これは遺憾である」(寺内陸相)

「ナニッ、我輩の演説のどこが軍人侮辱だ、速記録を調べてみろ、侮辱があれば僕は割腹して謝まる、なければ君が割腹せよ」(議場混乱)――。

 このゴタゴタで内閣総辞職。

 続いて行われた総選挙の結果も、民意はまさに真っ二つに割れて、国情は混迷の度を増した。

 互いを責めるばかり。

 国のためになることなど、何もなし。

 そして迎えた、1937年4月。

 またしても東京駅の伝言板に、大きな字の書き込みがあった。今度は西暦ではなく、紀元2597年4月のほうを使った語呂合わせ。

「ふこくなし」

「25974」

 つまり、悪口を言い合ってるばかりで、富国の勢いはどこにも無いと皮肉ったのである。

 そんななか、こっそりと悪巧みを進めていた軍部の跳ねっ返りが、中国の蘆溝橋で事件を起こし、この日支事変はやがて日米戦争につながっていくのだから、まさに「富国無し」だった。

 その当時のことを振り返って、作家の鈴木紋二郎は、こう書いている。

「昭和11年(1936年)に、二・二六事件と阿部定事件の両方が起きて、世の中全体が、血なまぐさい匂いに慣れてしまった。ゆっくり、沈思黙考する時間を失くしてしまった。落ち着きなく、浮かれているうちに、戦争という大惨事に引きずり込まれた感じがする」

 最初は日本と近隣だけのことだったのに、それが世界に飛び火したのである。

 バタフライ・エフェクトという言葉がある。

 英文表記は、butterfly effect(チョウチョウ効果)

 南米でのチョウチョウの羽ばたきが、さまざまな事象の重なりによって、北米で大きな旋風になることは考えられないことではない――というもの。

 阿部定事件で、阿部定がちょん切った情夫のポコチンは、はたしてどこにあるのかと世情が騒然としているうちに、人々の吐息は、熱を帯びて、切った張ったの戦争が大好きな人間を刺激してしまったのかもと、そういうことも鈴木紋二郎は書いている。

 このバタフライ・エフェクトによく似た言葉で、バタフライ・エレクトという言葉がある。

 英文表記は、butterfly erect。

 ヌードダンサーが恥部をおおう、バタフライという小さな三角布があるのだが、あれを見ると、もろにヌードを見るよりもエレクト(=勃起)してしまうという性癖。幼児期の影響という説あり。

 ほかにも、かつて寝台列車として活躍した北斗星の、あの「ほくとせい」という言葉を耳にすると、「ほとくせい」という言葉を必ず思い出して赤面するという、江戸言葉を研究する女性がいる。彼女によると、「ほと」(女陰)がくせい女を、元禄の世では、「ほとくせい」と呼んだというのである。学生時代につい目にしてしまった言葉の、長期残存。

 思わぬ結果が生じる「風が吹けば桶屋が儲かる」は、世の習いなんだよなあ。


【八百言】このリングネームは、もう使いません。ご冥福をお祈りします。 あんときゃニョキニョキ