テレビから流れてくる歌に合わせて、気がついたら足で調子をとっていた。

 幼いころに、心躍らせて覚えた歌って、これほどまでに強く記憶に残っているものなのか。

 BSテレ東で毎週土曜の深夜に放映されている『まったり! 赤銅鈴之助』。

 そのエンディングに流れる『がんばれ! 赤銅鈴之助』である。
 
 作詞 藤島信人
 作曲 金子三雄
 編曲 佐々木博史
 歌唱 aimi

 剣をとっては日本一に
 夢は大きな少年剣士
 元気いっぱい一度や二度の
 失敗なんかにゃくじけない オー
 がんばれ 強いぞ ぼくらの仲間
 赤銅鈴之助

 父のかたみの赤銅つけて
 かける気合も真空切りよ
 なんの負けるな稲妻切りに
 散らす火花の一騎討ち オー
 がんばれ すごいぞ ぼくらの仲間
 赤銅鈴之助

 リズムがあって、元気があって、本当にいい歌。われわれ団塊の世代の多くは、この歌を聞いて育ったのではないだろうか。

 この歌のオリジナルは、1957年にラジオ東京で放送が始まったラジオドラマ『赤銅鈴之助』で流れた。

 ストーリーは、ほとんど覚えていない。赤銅鈴之助が悪いやつらをやっつける──というていど。

 当時このラジオ番組の子役オーディションが行われたとき、のちに女優として大活躍される藤田弓子さん=11年後にNHK朝のテレビ小説『あしたこそ』でヒロインとなるあの藤田弓子さん=がオーディション会場に入ったところ、そこにあまたいる子どもたちのなかに、ああ、この子にはかなわないと分かる子がひとりだけいて、やはりその子が、赤銅鈴之助にひそかに思いを寄せる千葉さゆりの役をつかんだ。その子の名前は吉永小百合。──という話をNHKラジオで藤田弓子さんがなさったのは、そうだったのかと忘れられない。

 さて、いま放映されている『まったり! 赤銅鈴之助』のほうだが、これは現代にタイムスリップしてしまった赤銅鈴之助が、現代においても悪党退治に励もうとするのだが、現代の悪党は大したことがなくて、喫茶店でまったりしてしまうという、気持ちが尖らない、じつにいいトーンのドラマ。

 主役をつとめているのが、歌舞伎の尾上松也さん。

 これがもう、この役、尾上さんにしか出来ないよなあと、誰もが思うであろうほどのハマリ役。大袈裟なメイクも所作も、すべてドンピシャ。

 ひょっとして、ドラマのタイトルにある「まったり」も、「松也」に合わせて付けたものなのか。

 だけど、「也」という字は、ナリとは読むけど、タリと読むこともあるのかなあ。

 そう考えて、新漢語林(第2版・大修館書店)で、「也」の字をひいてみた。

 すると、也を名前に使うケースの読み方として、

 あり・ただ・なり・また・や

 とあった。惜しいところで、「たり」はなかった。

 この「也」という字は、そもそも、どういう成り立ちの字なのだろう。そう思い、なおも新漢語林を読み進めていくと、きわめて意外なことが書いてあった。

 まったくの初耳。

「也」は象形文字で、なにをかたどっているかというと、

「女性の生殖器の形にかたどるとする」

「しかし、その意味に用いた例はない」

 そう書いてあったのだ。へえーっ。

 漢字に象形文字が多いことはよく耳にする。

 たとえば、「井」という漢字も、象形文字だという。文化勲章を受章された、中国文学者の白川静しらかわしずか教授が、その著書である『常用字解』(平凡社)のなかで、「井」について、

《象形。井桁いげた(木で井の字形に組んだ井戸のふち)の形。》

 とお書きになっているのだ。

 では、井崎の「崎」の字は、どういう成り立ちなんだろうと調べた。

 すると、「崎」は象形文字ではなく、意味は、「奇にかたよる」「不安定なもの」と白川教授はお書きになっていた。

 これを競馬風俗研究家の立川末広に見せたら、

「井崎というのは、井戸端でふらふらしている、不安定なものという意味なんですか」

「そうらしいんだよ」

「番町皿屋敷のお菊さんみたいじゃないですか」

「そうだよなあ。その日のレースがぜんぶ終わったあと、ポケットからハズレ馬券を出して、お菊さんがお皿を数えるように、われながらよく数えてるもんなあ。1枚、2枚、3枚……」

 ああ俺は、胴巻きが赤字での、赤銅だったのだ。がんばれーっ。

 JASRAC 出2201366-201



【八百言】これくらいが人間には丁度いいと、頃合いでやめておくのが成熟した文化。速すぎるものはいらない。 ルネ・ボードリエ(仏・作家)