駅裏の小劇場――。
元夫婦の漫才コンビ、「ちゃんふに」は今回もまた快調だった。
自称40代。美男、美女である。
「あんた、尿漏れ、どうした?」
「変わらんなあ……」
「舞台に出てるとき漏れたらって、心配やろ」
「うん。だから、朝から水分とってない。軽く、舌を湿らす程度」
「身体にわるいなあ……。念のためのアレは続けてんのか?」
「うん」
「お客さん。このひと、すごい包茎でしてね。本体の前に、皮が3、4センチだぶついてますねん。そこを紐でキュッと縛っておくと、尿漏れしてもそこに溜まってこぼれないという」
「まあ、ダムみたいなもんです」
「わたしは、黒部ダムと呼んでます。本体が赤黒いんです」
「お見せしましょか」
キャーッ。客席から嬌声と拍手。
もう、最初から、こんなエロトークばっかり。
「話は変わりますが、この前、大江健三郎さんが亡くなって」
「そうやったなあ。ノーベル賞作家」
「あの大江さんの“セヴンティーン”という小説には、包皮のさきを指でつまんで、そこに精液をためる技術が出てきます」
「ホントか!?」
「わたしは学生のとき文学部で、大江健三郎を専攻したんですが、大江さんほど、有名なのに読まれていない作家はまれですね。きょうはいい機会なので、その“セヴンティーン”の冒頭の部分を、ホワイトボードに書き出してきました。お願いしまーす」
舞台の袖から、ベアリング付きの大きなホワイトボードが引き出されてきた。
ホワイトボードの全面に、読みやすい大きな字で、文章が書き出してあった。それを、彼女が静かに朗読しはじめた。
おれは大人の性器の、包皮が剥けて丸裸になった赤黒いやつが嫌いだ。そして、子供の性器の青くさい植物みたいなやつも嫌いだ。剥けば剥くことのできる包皮が、勃起すれば薔薇色の亀頭をゆるやかなセーターのようにくるんでいて、それをつかって、熱にとけた恥垢を潤滑油にして自涜できるような状態の性器がおれの好きな性器で、おれ自身の性器だ。衛生の時間に校医が恥垢のとり方についてしゃべり、生徒みんなが笑った。なぜなら、みんな自涜するので恥垢はたまらないからだ。おれは自涜の名手になっている、射精する瞬間に袋の首をくくるように包皮のさきをつまんで、包皮の袋に精液をためる技術までおれは発明したのだ。
大江健三郎って、こういう小説書いてんの。いやあ、初めて知った。
帰宅途中に、古書店に寄って探したら、『日本の文学』第76巻というのがあった。中央公論社発行。
石原慎太郎
開高 健
大江健三郎
この3人が収録されていた。『セヴンティーン』も入っていた。奥付を見たら初版で、昭和43年(1968年)2月5日発行とあった。定価390円。
それがいま、古書店の棚で3900円の値になっていた。10倍である。
しかし、迷わずに買った。『セヴンティーン』のつづきが読みたかったからだ。
読んだ。面白かった。思いがけず、競馬の話が出てきた。東京新橋の駅前で行なわれている、右派・逆木原国彦によるステージ上の演説のシーン。
ステージの両袖に、腕章をまいた黒シャツの青年たちと、背広を着た老人たちがいたが、かれらも逆木原国彦に注意をむけるよりは広場の別の競馬情報板の方に気をとられているようだった、きっと皇道号とでもいう馬を場外馬券売場で買って大穴をあてる夢でも見ているのだろう。
まさか、大江健三郎さんが競馬に触れていたとはなあ。
競馬場でこの本のことを長老記者に話したら、エピソードを教えてくれた。
この本に収められている3人の作家は、偶然ではあるが“悪”つながりで、石原慎太郎は「悪筆」。三晃印刷というところの文選工が、石原慎太郎の字を見て、「これ以上くずせないという意味で、一円玉と職工仲間では呼ばれています」とつぶやいたのは語り草。
開高健は「悪食」。世界中のあちこちに旅して、薄気味悪いものでも何でも食べた。
そして大江健三郎は「悪文」。週刊新潮の写真コラムのなかで、山本夏彦さんは、「その文は難解で、もう少しで分らなくなる寸前でふみとどまって、からくも分るという名文の一種である」と評している。
ちなみに、元夫婦の漫才コンビのコンビ名「ちゃんふに」は、「ふにゃちん」の並び換えだそうです。
【八百言】結婚披露宴で花ムコの父が「♪嫁に来ないで〜」と歌って、両家乱闘、破談の例あり。 菊水流月(講談師)