幸雄と寿司店の前で別れたあと、少し考えを整理するために歩いて帰ることにした。幸雄には、さんざん世話になった。恩返しをしたい。が、見合いの仲人というのはそんなに簡単なものではないと重々わかっていた。二人の関係がこじれてトラブルに発展したら、最後まで板挟みになってしりぬぐいさせられるかもしれない。若者たちのグループ交際とはまったくわけが違う。

 それでも。

 人から頼まれごとをされて、無視してしまえる性分ではなかった。帰宅前にオトワフジヤに寄って買ったミルフィーユをハーブティとともに食べながら、LINEの友だちや古いアドレスを見返し、何人かピックアップして連絡をとってみた。

 その晩のうちに、全員から断りの連絡がきた。

 

「え?」と聞き返したあと、相手の反応を待たずに「ええ!」とカフェスペースに響き渡る絶叫をあげてしまった。

 目の前の相手は無反応だった。何事にも反応が薄いタイプのようだ。

「本当にいいの?」と翼が聞くと、宗宮はこくりと小さく頷いて、手作りらしい玄米おにぎりをもそもそと食べた。

 宗宮は人事部所属で、去年、同じく人事部にいる翼の同期の結婚パーティで少し話をした。そのときに婚活中だと言っていたのをふと思い出し、思い切って声をかけてみたのだ。

「相手は五十三だよ? 三十五じゃないからね? あ、写真見せるね、忘れてた」

 翼はこの間、寿司店で撮った幸雄の画像を見せた。「この通り、結構なおじさん。髪も少し薄いし。背はね、まあまあ高いんだけど」

「見た目はとくに……こだわりはありません」と宗宮は蚊の鳴くような声で言う。

「そうなの? でも、悪いことは先に言っておくね。高齢のお母さんがいて、同居を希望されてる。お金持ちだから、お世話する人を雇ってるみたいではあるんだけど」

「それなら……まあ……はい」

 またもそもそとおにぎりをついばむ彼女の全身を、翼はさりげなく盗み見る。重たいボブヘアa.k.aオカッパ、黒縁眼鏡に化粧っけのない顔、白いカットソーの上にチェックのジャンパースカートというファッション、反応のうすい態度。三十七歳には見えないが、若々しいというより幼い感じがする。お母さんに間違えられる小学生女児のようだ。

「ところで宗宮さんって、何年ぐらい婚活してるの? ちなみにわたしは、十五年近くやって、あきらめて生涯独身コース、ハハ」

「かれこれ……六、七年ですかね」

「そうなんだ。マッチングアプリとか?」

「いや、ああいうのは苦手なんで。街コンっていうんですかね。そういうのに参加したり。あの、相川さんがテレビでやってたバスのやつも、何回か乗ったことあります。でも、なかなかうまくいかなくて」

「相談所は?」

「そこまでやるのは、ちょっと」

「なるほど」と言いつつ、心の中で「こっち系ね」とつぶやく。出会い方にこだわりを持つタイプ。できれば自然なかたちで出会いたいと、アラフォーになっても思っている。

「どんな人がいいとか、希望はあるの」

「どんな人……」

 とつぶやいたきり、宗宮は無表情のまま黙った。微動だにせず、考え込んでいる。そのまま死んだかと思うほどの長い沈黙だった。

「お金が、ある人ですかね」

「あら、だったら幸雄ちゃんはぴったりよ。金銭面だけはまかせて。割り勘なんて死んだってしないから」

「食事代とかはどうでもいいんです。ただ、わたしは結婚したら、節約暮らしみたいなのはしたくないんです。毎日スーパーで安い食材探すとか、そういうのはやりたくないんで。だから、借金だけは絶対にNGでお願いします」 

 さっきまでとはうってかわり、妙に語気強く宗宮は言った。この子とは友達にはなれなそうだと翼は思った。しかし、金さえあればと割り切ってくれるなら、幸雄の見合い相手としてはうってつけかもしれない。

「ただ一つ、お願いがあるんですけど」と宗宮は言った。「最初は同席してもらえませんか? 初対面の人と二人きりとか無理なんで」

 めんどうだな、と思いつつも「もちろん」と翼は元気よく返事した。宗宮は「ありがとうございます」とまた小声でつぶやくと、まだ食べかけの弁当箱を片づけて、そのまま席をたってしまった。

 友達にはなれない、とどうやら彼女のほうも感じたようだ。一抹、いや百抹ぐらいの不満を感じつつ、その場で幸雄に電話をかけた。

 

 三十七歳という宗宮の年齢に少しでも難色を示したら、この仲人役自体を放棄してやるつもりだったが、幸雄は「全然オッケーオッケー! ありがとう!」と喜んでいた。そして十月最初の土曜、さっそく二人の初面談をセッティングした。

 場所は偶然にも勝男と冨士子のときと同じ日比谷のホテルのラウンジとなった。幸雄が勝手に予約していたのだ。しかもアフタヌーンティーセットまで。

「わたし、小麦と砂糖はなるべく控えてて。お二人でわけてください」

 宗宮が豪華な三人分のティースタンドを前に、マネキンみたいな無表情でそう言ったとき、自分たちの頭上に真っ黒な暗雲がもくもくとふくれあがるのが見えるかのよう……いやはっきりと見えた。

 しかしその後、幸雄が持ち前のちゃらさをいかんなく発揮して、案外すんなりと会話が弾みだした。二人とも家ではユーチューブばかり見ているといい、翼には全くわからないユーチューバーの話題で盛り上がりはじめた頃、「じゃあ、わたくしはお暇いたします」と翼はそっと席を外した。

 幸雄から報告の連絡があったのは、それから四時間たってからだった。なんと、その電話の直前まで彼女と一緒にいたという。

「コーヒーだけの客は何時間でも居座ってるのに、アフヌン頼んだ客は二時間までって言われて、ラウンジ追い出されたんだよ。なんだよ、それってむかついたけど、まあ彼女の手前おとなしく出たよ。で、俺が『なんだか話し足りないなあ』って言ったら、むこうもまんざらでもなさそうだったから、二件目に誘ったらついてきてくれてさ。それからも話が盛り上がって盛り上がって。本当はもっと一緒にいたかったけど、友達と約束があるっていうから、タクシー代わたして別れたよ」

 それから幸雄は二人の間で話題にのぼったユーチューバーの名前をいくつもあげたが、翼には一つもわからなかった。幸雄は相当に浮かれた様子で、話しながら何度も声がひっくり返ってしまう始末だった。

「来週も会おうってことになってる。本当にありがとう。恩に着るよ。もし婚約決まったら、翼の好きなものなんでもおごるからさ」

と言いつつ、いざそのときがきたら、こちらの希望も聞かずになんらかの高級店を勝手に予約してしまうのは、火を見るよりあきらかだった。そう思った翼は、「鰻でお願い。絶対に鰻」と強い口調で言って電話を切った。

 

 その後も幸雄からは「彼女、女子大の保育科卒だって」とか「コツメカワウソが好きでグッズを集めてるらしい」などとどうでもいい内容の報告が毎日あったが、宗宮からは何もなかった。それでも、二人は出会った翌週に水族館デートをし、さらに次の週は横浜中華街に出かけたようだった。

 そして、出会いから三週目の土曜、二人ははじめて幸雄の車で遠出するらしかった。前日の晩、「日光あたりに、紅葉見にいこうかなと。で、いい感じだったら交際申し込んでみる」といつにもましてウキウキとした様子の電話がかかってきたのだ。

 しかし一方、翼は少し気落ちしていた。

 その数分前に、寛人から「明日はなし」とLINEがあったのだ。

 翼はつい寛人を優先してしまいがちで、今まで一度も会うのを断ったことはない。しかし、寛人は違った。ときどきLINEで「明日はなし」とか「今週無理」とだけ送ってくる。理由はいちいち言わないし、埋め合わせもない。そんなものは必要がないと寛人は思っている。だってだいたい理由は仕事だし、毎週会わなければ死んでしまうような年頃でもない。

 それでも。

 不安は不安だ。

 ほかに女がいるかも。マチアプとかやってるのかも。三十代の婚活女でもあるまいに、そんなことをつい考えてしまう。しかし、三十代の婚活女だった頃と今の翼が違うのは、不安になっても、すぐに気持ちを切り替えられることだった。

 ……ま、別に女がいてもいっか。結婚するわけでもないし。

 そのとき、ふと思いつく。明日は丸一日、予定がない。寛人に会う時間まで、何をしようかと考えあぐねていたところだった。だったらいっそわたしも遠出しようかな、なんだったら一泊旅行しちゃてもいいかも、ひさしぶりに。旅行アプリを開く頃には、寛人のことも昔の婚活のことも、再び遠くにおいやられていた。

 

(つづく)