「調査官、ちょっとよろしいですか」
上野が自分の席に座り、プロテインバーをことさらゆっくりと味わっていると、天堂が声をかけてきた。
「ええ、どうぞ」
上野は机の上にティッシュを広げ、その上に残りのプロテインバーを置いた。
「そう言えば、差し入れの件ありがとう。私が気づくべきだった」
「いいえ、お気になさらず」
天堂は軽く微笑みながら頷くと、持参してきたノートパソコンを開いた。
「警視庁の掴んだ手がかりに比べると小さなことですが、被害者たちの共通点を私なりに探ってみたところ、SNSが関係しているかもしれません」
「LINEやXのことですか」
上野自身はやったことはないが、息子はもちろん夫でさえ使いこなしている。
「LINEは三人の被害者たち全員が使っていました。ほかに久保田さんと桑畑さんはFacebookを、古関さんはInstagramとXを利用していました。これが久保田さんのFacebookです」
パソコンの画面に、久保田のFacebookが表示される。
「FacebookはほかのSNSと違い、基本的に本名でアカウントを作成するルールとなっています。そのため久保田さんも、本名のほかに、職業、生年月日、出身大学、それと埼玉県在住であることまで公開しています」
「個人情報をネットに晒していたというわけですね」
それが危険な行為であることくらいは、上野も理解している。
「正確な住所まで公開していたわけではありませんが、見る者が見れば、どこに住んでいるかわかる情報を挙げています。例えばこれですね」
画面には一匹の犬の写真が映し出された。久保田の飼い犬だ。
「写真に添えられた文章から、早朝の散歩中の一枚であることがわかります」
【埼玉に越してきてから既に日課となった早朝の散歩。愛犬と朝日を拝む】
その言葉通り、犬の後ろ姿と正面に朝日が望める構図になっている。
「ほかにも何枚か、同じ場所で撮影された愛犬の写真が載っていました。このことから、久保田氏は毎日、決められた時間に、決められた場所で愛犬の散歩を行っていた事実が浮かび上がってきます」
「仮にそうだとしても、この写真の場所をどうやって特定するんですか」
「まず久保田氏の職業です。弁護士であり、自宅を事務所にしていました。インターネットに久保田氏の氏名を入力すれば、事務所の所在地として自宅の住所も検索することができます。そこから、自宅周辺にある、周囲が開けていて朝日が拝めるような場所となれば、候補は限られます。試しに真砂に、久保田氏の住所に近く、朝日が望めるような土地の開けた場所、という条件で探させたところ、少し手こずりましたが、ここを見つけ出しました」
画面がWEB上の地図に切り替わる。あらかじめ、久保田の家の場所には赤い印が付いていた。天堂はそこから南へ五百メートルほど離れた地点に新しく印を付けた。
「ここは入間川沿いの遊歩道の一角です。朝日が昇ってくる方角にはグラウンドがあります」
今度はその場所の写真が現れる。先ほどの久保田のFacebookの写真によく似た光景が映っていた。
「犯人たちは久保田さんのFacebookの情報から、彼の散歩場所を把握していた……?」
「多分そうでしょう。そしてもう一人、桑畑さんについても、Facebook上に個人情報を挙げていました。氏名、出身大学、そして現在は埼玉県内で高校教師をしていることも。彼のFacebookにはもっぱら、顧問を務める陸上部のことが書かれていました。当然、朝練をやっていることも。そして、この写真によって、高校名を割り出されることになったと思われます」
桑畑のFacebookが表示された。
桑畑のほか、数名のジャージ姿の人物が映った写真が現れた。ただし、桑畑以外の人物の顔にはモザイクがかかっている。
【可愛い教え子たちと。国体目指して朝練頑張っています】
「生徒の顔にモザイクをかけるなど、一見、個人情報には気を配っているようですが、写真のここをよく見てください」
天堂が写真の一部を拡大する。
桑畑たちは高校のグラウンドに張られたバックネットを背中にしていた。そのバックネットを支える支柱に、何か白いプレートのようなものが付いていて、文字が書いてある。だがぼやけていて、なんと書いてあるか読み取ることはできない。
「もう少し画像をクリアにしてみます」
天堂がキーボードを操作した。何回かの処理のあと、文字がはっきりと読み取れるようになった。
××高校野球部OB会寄贈。
「うっかりしたというより、普通はまず、ここまでして高校名を読み取ろうとする者はいないと考えたんでしょう」
「犯人たちはSNSで個人情報を入手できた者をターゲットにしていた?」
上野は唖然としながら呟いた。
天堂が頷いた。
「古関さんのSNSも調べたところ、あの日、新歓コンパがあることはもちろん、その様子や、参加者たちと写した写真もXにアップしていました。しかし彼の場合は終電を乗り過ごしたところを狙われたため、被害者に選ばれた理由はやはり、偶然だったと考えるべきでしょう」
「待って……。SNSから個人情報を探し出すことも、被害者を待ち伏せすることも、どちらも根気が必要ですよね? そうなると犯人たちは、単なる無差別殺人者ではない。一時の感情で闇雲に行動しているわけでもない、ということになりませんか……」
「非常に統率の取れた集団と考えることもできますね」
「そのことなんですけど」
上野は先ほどの百武を交えた会議で、思いついた考えを口にした。
「集団ではないのかもしれません。以前、飯能市の現場に臨場した際、天堂さんも指摘していましたよね。犯行は単独でも可能ではないか、と」
「はい。しかし、それはあそこが車で乗り入れできる場所だったからです。熊谷の現場、それと古関さんが発見された雑木林は、車道から距離があります」
「このオフロード用電動車いすを使えば、被害者を現場まで運ぶこともできたのでは?」
上野は、百武からもらったカタログを取り出した。
「あの時の説明によれば、どんな悪路でもこの車いすなら移動できるということでした。それなら、人があまり立ち入らない自然公園周辺や、人の手の行き届いていない雑木林でも走行できるのでは?」
天堂の顔色が変わる。
「犯人たち、いえ犯人は拉致する際、なんらかの手段で被害者たちの自由を奪い、この車いすに乗せて、リモコンで移動させた……そうか、南栗橋駅で目撃された赤っぽいミニバン。そこまで運んだのでは?」
「確か、車いすを積み込むため、スロープやリフトが設置されている車もあるとか」
「ええ、いわゆる福祉車両と呼ばれるものですね。問題の車がその福祉車両だとしたら……。被害者たちを車いすに乗せることさえできれば、一人でも犯行は可能。集団で行うより人目にもつきづらい。地中に埋める際も、筋弛緩剤で動けなくしてから車いすに乗せて、現場へ運ぶ。複数人でなくとも犯行は成し遂げられる……」
上野は自分で話しながら鳥肌が立ってきた。
「でも、動機はなんなの……?」
独り言が漏れた。
単独犯であろうと複数犯であろうと、単純に人を殺害することを楽しんでいるのだとしたら、手間を掛けすぎている気がするのだ。
なにより、被害者たちを納めた木箱に空気を通すためのホースを取り付け、ミネラルウォーターのペットボトルまで用意した理由はなんなのだろうか。
被害者たちをできる限り生き永らえさせ、生き埋めの恐怖を味わわせたかったのか。
「いずれにしろ犯人は、被害者たちのSNSを見たことのある人物だと思われます。私の方で、三人の被害者たちのSNS、それと白金さんのYouTube、これらに共通してアクセスした人物がいないか調べてみます。身元を辿られないようIPアドレスを変えている可能性はありますが、いちいち全てのアクセスの際に変更しているとも限りませんから」
「お願いします」
警視庁に先を越されたことで焦ってばかりいても仕方ない。
こちらはこちらでやれることをやるまでだ。
4
「え、柔道で国体に? すごいですね」
と驚いたほづみに、真砂は「いいえ、全然」と首を振った。
「先輩たちが強かっただけで、私の代では地方大会でも決勝に進めなくて、強豪校の伝統に泥を塗った、なんて、OBの人たちから散々言われました」
唇を尖らせた真砂が、大きなおにぎりを頬張った。
話しかけてきたのは真砂の方だった。
「甘いものたくさん買ってきたんで、休憩にしませんか」と。
特捜本部に集められた人々は、午前中こそ会議室を埋め尽くすほどだったが、いまはほとんど外出してしまった。
百武と天利もいったん警視庁に戻り、ほづみは一人残ることになった。警視庁から埼玉県警まで、何度も往復する方が、体に負担がかかるからという配慮らしい。
そのことはありがたかったものの、顔見知りの少ない環境に取り残されるのも、内気なほづみにはストレスだった。
そこへ真砂が話しかけてきてくれた。その見た目からも明らかだったが、体育会系の人生を歩んできた彼女は、ほづみとは正反対の性格をしていて、初対面の相手にも物おじせず、ぐいぐい声をかけられる人だった。
そんな真砂に引きずられるように、ほづみもすぐに打ち解けるようになった。なんといっても、特捜本部に集められた人材の中で、二十代の女性はほづみと真砂だけだ。心強いという気がした。
「――で、中学の時に好きだった漫画があって、その影響で警察官になろうって」
真砂が口にした漫画は、ほづみも読んだことがある。確か十代の名探偵の少年が主人公で、警察と協力して難事件を解決するというストーリーだった。真砂は中でも、警視庁きっての切れ者と称されたある刑事のキャラクターに憧れたのだという。
「体を動かすのも好きだから、警察官は自分に合ってるかなあって。でも、せっかく刑事になって、特捜本部に呼んでもらえたのに捜査には参加させてもらえないんですよ」
真砂の今回の役割は、捜査幹部の運転手だという。
「確か上野調査官、でしたっけ? どんな方ですか」
「どんな……?」
真砂は腕を組んで考え込む様子を見せた。
「まだよくわかりません。多分、私と同じように食べるのが好きな人なのかなあって。それと、市役所に勤めている旦那さんがいて、高校生の息子さんがいて、あとは……チョコ味のプロテインバーが好物ってことしか」
「え、それだけですか」
「はい。こういう深刻な事件だと、上の人たちはみんなピリピリしていて、こちらから事件と関係ない話をするのってなかなか難しいんですよね」
さしもの真砂でも、相手が捜査幹部とあっては、遠慮するらしい。
「あ、それと、死神調査官てあだ名がついてます」
「死神って、どうしてそんな……?」
「はっきりした理由はわからないんですけど、過去に指揮を執った捜査で、被疑者が何人も死んでるからだとか……。でも詳しいことを尋ねたくても、ぶちょうからは空気を読めって言われてて……」
「ぶちょう?」
「天堂巡査部長です。私の教育係も務めてくれてる人なんですけど、あ、この人、すごいんですよ。あの年で、パソコンとかネットとかが得意で、水嶋さんと話が合うかも」
ほづみは捜査会議の時に、控えめに会議室の隅に腰を下ろしていた天堂の姿を頭に思い浮かべた。年齢は五十代半ばくらい。確かにあの年代は一見、ITやテクノロジーに疎いと思われがちだった。しかし八十年代、パーソナルコンピューターが企業や家庭に普及し、その後のインターネットの発展と共に青春時代を過ごした者たちも多いため、侮れない。
それから真砂は、事あるごとに天堂に叱られて、そのことを気にしていると零した。