「峰岸さんもここまでで結構です。ご苦労様。上野さんは残ってください」

 峰岸が退席し、部屋には上野と玉城の二人だけとなった。

 玉城が机の前を離れて、上野の正面に立つ。玉城は口元にこそ微笑をたたえているが、目は笑っていない。上野も恐らく仏頂面になっているはずだ。二人は身長がほとんど一緒なので、意図せずにらみ合うような格好になった。

「ここからはお互い腹を割って話しましょうか」

 相手はキャリアの刑事部長だ。いまの言葉を馬鹿正直に受け止めていいものか。しかし、峰岸を追い払い、上野と二人きりになった意図がそこにあるのだとすれば、この際、こちらも言いたいことは言わせてもらおう。

「今日の捜査会議に参加してみて、峰岸さんたち現場はよくやっているというのが私の感想です」

 まずは玉城が先手を取った。

「それならどうして、警視庁に応援を頼もうと考えられたんですか」

「漕ぎ手が優秀でも、船頭が判断を間違えれば船は誤った方向へ進むものよ」

「私に能力がないとおっしゃるなら、どうしてこの事件の調査官に任命したんですか」

「鬼越調査官がパワハラ問題で更迭され、ほかに選択肢がなかったから」

 上野が絶句すると、玉城は不意に表情を和らげた。

「とはいえ、あなたをこの事件の調査官に抜擢すると猿渡さんから打診された時、明確に反対をしなかったのも事実。すべての責任は刑事部長の私にあります。だからこそ、この事件の解決には万全の態勢で臨まなければなりません」

 玉城の視線が中央のソファに移った。

「座りましょう」

 つまり、これからの話は長丁場になるという意味だろう。

 上野は玉城と向かい合う格好でソファに腰を下ろした。

「一つ訂正しておくと、私はあなたの能力そのものを疑っているわけではありません。気にしているのはあなたの甘さ」

 甘さ……?

 これもまた、上野には心外な言葉だった。現場捜査を指揮する立場になって以降、自分にも部下にも厳しい態度で臨んできたという自負がある。

「私の一体どこが甘いとおっしゃるんですか」

「それについてはまた別の機会にしましょう。いま話し合うべきは、今後の捜査方針についてのはずですから」

 玉城に軽くいなされて、上野には鬱屈だけが残る格好となった。

「埼玉県警へ刑事部長として赴任することが決まった時、私が真っ先にしたことは、これまでの埼玉県警の仕事ぶりを調べることでした。検挙率が全国平均を下回っていることについては、大都市圏では当然のことで、この点だけで埼玉県警が劣っているというわけではありません。むしろ、警察官の人数に対して犯罪発生率が高い中では、健闘していると評して良いでしょう。ただし連続殺人事件となると、どうも捜査の不手際の方が目立つ傾向にあるようですね」

「不手際……ですか」

 上野の声が思わず低くなる。

「例えば昭和六十三年から平成元年にかけて発生した警察庁広域重要指定一一七号事件。世間では連続幼女誘拐殺人事件と呼ばれています。四人の被害者のうち、三人までは埼玉県入間川流域に暮らす少女たちだった。四人目の少女は東京都江東区在住だったため、警視庁が捜査に乗り出した。その結果はわざわざ言うまでもないでしょう」

 今さら宮﨑勤の事件を持ち出すのか。

 上野はもちろん、現在特捜本部にいる刑事の多くが、まだ警察官になる前の事件だ。

 犯人の宮﨑勤が逮捕されたきっかけは、東京八王子市で少女のわいせつな写真を撮影していたところ、少女の父親に見つかり、私人逮捕されたことだった。その後、警視庁の取り調べで一連の幼女殺人事件の犯人であることがわかる。

 結果だけみれば、犯人逮捕は警視庁の手柄ではある。だが偶然の要素は否めないものだった。

 当然玉城は、そんなことは承知の上で例に挙げているのだろうが。

「次は平成五年、埼玉愛犬家連続殺人事件と呼ばれているもの。逮捕された元夫妻の周辺では、以前から人が消えるという噂があった。それにもかかわらず、埼玉県警が本格的に捜査を始めたのは、マスコミが報道して、世間が騒ぎ始めてから――」

「それは真実ではありません」

 上野は強い調子で、玉城の言葉を否定した。

「問題の失踪事件について、埼玉県警は内偵捜査を行っていました。しかし失踪事件に被疑者夫妻がかかわっているという、決定的な証拠を掴むまでには至っていなかったというだけです」

 ただ怪しいというだけで、警察は逮捕できない。また、内偵捜査は秘匿性が高く、警察内部でもごく僅かな幹部たちしか、その実態を知らされないものだ。当然、マスコミに漏れるようなことがあってはならなかった。

「問題は警察が実際に何をしていたかではなく、世間からどう受け止められたか、ということよ」

「警察が世論に迎合する必要はないと思います」

 玉城の形の良い眉が、片方だけほんの僅かに持ち上がった。上野が反抗してくるのを楽しんでいるようだ。

「そう。じゃあ今回の事件でも、警察は内偵捜査をしていたのかしら?」

「今回は二人の被害者の失踪に、接点があったと事前に察知することは不可能でした」

「では、三件目が発生する確率についてはどの程度見越しているの?」

「それは……可能性として否定はしませんが……」

 上野は口ごもった。玉城に指摘されるまで、そのことを失念していたのは事実だ。

「指揮官としては、あらゆる最悪の事態を想定すべきではないかしら。我々がこうしている間にも、次の殺人が進行中、いえ、すでに実行されて、新たな被害者が地中に眠っているかもしれない。それなのにあなたは、何も手を打っていないように見えるのだけど?」

「いまはすでに起こった二つの事件に、捜査を集中させることが先決だと考えています。仮に三件目があるとしても、二人の被害者の接点が見つけられなければ、次の被害者を特定することも不可能です」

「だからこそ、できることはなんでもやるべきでしょう。警視庁に協力を仰ぐこともその一つ。この際、縄張り意識のようなプライドは捨てるべきでは?」

「そんなみみっちい話をしているわけではありません」

 みみっちい、という言葉が、上司に対して使う言葉でないことはわかっている。だがつい感情的になってしまった。

「この捜査は我々だけでやらせてください。もしそれが気に入らないというなら、さっさと私を首になさればいいでしょう」

 二、三秒、玉城と視線が交差した。今度は表情が変わらなかった。

 上野はふと冷静さを取り戻した。

「先ほど、腹を割って話しましょうとおっしゃったのは、まだ有効でしょうか」

「あなたがこの部屋を出ていくまでは、もちろん有効よ」

「それでしたら、最後に一つだけ。仮に刑事部長が私の捜査方針に不満があるとしても、私を更迭できないんじゃありませんか」

「そうかしら? いざとなれば猿渡さんの反対を押し切るくらいの実力行使をすることも、私には可能だと思うのだけれど」

「私を更迭して、次に誰を調査官のポストに据えるおつもりです? 先ほど、ほかに選択肢がなかったと口にされたのは、刑事部長ご自身だったことをお忘れですか」

 玉城の顔から微笑が消えた。ようやく一矢報いることができたようだ。

「失礼します」

 部屋を出ていこうとした上野の背に、玉城の言葉が投げつけられた。

「上野調査官心得。これだけは覚えておきなさい。もし三人目の被害者が見つかった場合、百武警視に指揮権を渡すことも、私は躊躇しないわよ」

 

 

 ほづみは目を覚ました。部屋の中はまだ暗い。枕元の目覚まし時計に目をやると、デジタルの文字盤が光っていた。朝の四時を少し回った頃だ。

 またこの時間に目が覚めてしまった。悪い夢を見ていたような気がする。体は砂が詰まったように重く、寝返りを打つのさえ億劫だった。

 昨夜ゆうべ、衝動的に薬を捨ててしまったことを早くも後悔し始めていた。ゴミ箱にではなく、トイレに全て流してしまったのだ。どうせ服用しても、悪夢を見るだけで役に立たない、と。

 勝手に薬の服用をやめたことを主治医の鈴置が知ったら、どう思うことだろう。

 鈴置の冷めた顔つきが頭にちらついた。急にこの世の何もかもが嫌になってきた。

 今日は仕事に行きたくない。

 でも一日家にいて、何をするというのか。

 ほづみはもぞもぞとベッドから起き出した。どうせ眠れはしない。

 コーヒーで体を温めながら、ふと、思いついた。

 そうだ、いっそ病院を替えればいいんだ。

 主治医が替わって、いまの病院に通い続ける理由はない。

 普通は紹介状などいろいろ面倒な手続きが必要だが、セカンドオピニオンとして、新たにカウンセリングだけ受けてみるという手もある。

 少しだけ気持ちが楽になった。

 気が付けば部屋の中が明るくなり始めていた。カーテンを開ける。東の空が眩しく金色に染まっているのが見えた。

 また一日が始まる。

「頑張ろう……」

 その積み重ねだけが生きる希望だった。

 

 午前中はあっという間に過ぎた。仕事をしていると、煩わしいことをあれこれ考える暇もない。

 お昼休憩の最後に、またコーヒーを飲んだ。ミルクと砂糖をたっぷり入れる。甘いコーヒーは、カフェインが作用する以上に血糖値の働きを促進して、却って眠気を誘うのだそうだ。

 しかしこれまでの経験上、カフェインと糖分、どちらが欠けても集中力は上がらない。

「水嶋さん、もし手が空いていたら、これ見てもらっていいですか」

 席に戻るなり、傍らから天利が声をかけてきた。周囲の目を気にしてか、事務的な口調になっている。

「はい」

 ほづみも真顔で頷いた。

「さっきからいくらやっても思う通りの結果にならなくて。パラメーターの設定が悪いんですかね」

 天利は自分のモニター画面をほづみの方へ見せながら、顔を顰めた。そこには、複数の防犯カメラ映像が分割されて映っている。どの映像でも性別、年齢も雑多な人々が大勢行きかっていた。天利はこの映像の中から、こちらが指定した条件に合う人物が映っている映像を、AIに選別させる実験を行っていた。

 防犯カメラリレーという捜査手法が一般的になり、これまでに比べて犯人逮捕のスピードは格段に進化した。しかし、膨大な数の映像を一つ一つ再生して、犯人が映っている映像を目視で探し出すのは、時間と労力が必要だ。映像によっては、数日で消去されてしまうものもあり、確認作業は時間との戦いでもある。

 そこで近年、防犯カメラ映像の解析に、AIが活用されるようになった。すでに本格運用に入った都道府県警もある。警視庁はまだ人の手に負う部分も多いが、じきにAIが中心となっていくことだろう。やがては、AIだけでリレー捜査を完結させる日が来るかもしれない。

 天利が口にしたパラメーターとは、AIの出力結果を調整する値のことだ。最適な結果を導き出すためには、これを設定する人間側の知識と経験が必要となってくる。

 例えば目撃者が、犯人は「白いリュックを背負っていた」と証言したとする。そこでAIに、無数の映像の中からこの条件に合致する人物が映った映像だけを抽出するよう命令する。AIは一瞬で該当の映像を検索することができる。

 だが気を付けなくてはならないこともある。

 例えば白いリュックを探すにしても、目撃者の証言の曖昧性を考慮しなくてはならなかった。捜査員による目視であれば、リュックがクリーム色であったり、白黒のストライプ模様であったりしても、確認対象として一応残そうかと考える。だがAIにこうした判断を求めるためには、人間側がパラメーターを調整してやらなければならない。これを誤ると、間違った結果が導き出されるばかりでなく、重要な情報を見落としてしまうことになる。

 ほづみはパラメーターを少しいじってみた。

「これでどうでしょう?」

 結果が表示される。それはまさに天利が望んだとおりのものだった。

「やっぱり、水嶋さんはすごいな。ありがとう」

「いいえ、これくらいならいつでもお手伝いさせてください」

 最近、天利との間が少しぎくしゃくしていたこともあり、ほづみはほっとした。途端、欠伸あくびが出そうになり、慌てて口元を手で覆った。

 一瞬、天利が気遣うような視線を投げてきた。ほづみは素知らぬふりで、自分の仕事に戻ろうとした。

「そう言えば、埼玉県の事件を手伝うかもしれない」

 天利が囁いた。

「例の山中で遺体が見つかった事件ですか。どうしてうちが?」

「どうやら連続殺人事件らしい。それで察庁経由でうちが捜査協力するという話が出たそうだ。まだ正式決定じゃないけど、一応耳に入れておいたほうがいいと思って」

「え、じゃあ、もしかして私も?」

 ほづみは声が弾んでしまうのを抑えられなかった。

「実際に派遣されるのは警察官だろうけど、ほづみには後方支援で声がかかることは間違いないと思うよ」

 うっかりしたのか、天利が「ほづみ」と下の名前で呼んだ。ほづみも思わず表情が緩んだ。

「正式に決まったら、真っ先に知らせる」

 天利が席を立ってから、ほづみはしばらく自分の仕事が手につかなかった。

 いまの話が本当なら、警視庁はほづみの能力を高く買ってくれているということだ。

 子供の頃の夢は警察官になることだった。いろいろあって警察職員の道を選んだが、SSBCに異動してからは、自分も捜査員の一員だと勝手に自負している。

 埼玉県で発生した事件は、その特異性もあって、連日、テレビの情報番組を賑わしており、元警察関係者による犯人像の分析なども行われていた。

 犯人は複数、若者の集団、闇バイトとの関連も疑われる――。

 もしも自分の活躍で事件を解決するようなことができたら、子供の頃の夢を叶えられるかもしれない。

「頑張ろう……」

 また自然とその言葉が口をついていた。

 

(つづく)