生存者

 

 

 疲れた。

 どうにか終電に間に合い、混雑する車内でつり革にしがみつきながら、茜は大きくため息をついた。

 キャバクラに勤め始めてから、半年ほどになる。いまの会社は給料が安く、お金を貯めたかった。

 週一日から二日で高額保証。お酒は飲めなくてもかまいません。

 そんな求人広告に釣られて始めたのだ。広告は決して嘘ではなかった。シフトは金、土の二日だけ、終電に合わせて仕事を終える。お酒は飲まず、当然、客からのアフターの誘いも断った。

 だが最近になって気がついた。

 お酒の飲めないキャバ嬢は店にとってはマイナスで、客の評判も悪い。何より稼げない。

 そこで先月から、少しずつお酒を飲むようにしてみた。確かに客のウケはよくなり、指名も増えた。

 だが、これまでよりずっと体はしんどくなった。

 まだ二十代。酔っぱらうことも睡眠不足も全然平気だと思っていたが、日曜日は丸一日布団から出られないこともある。

 新宿からおよそ一時間の距離が、今夜はやたらと長く感じられた。何度目かの欠伸あくびをし、空いた席に座った途端、眠りに落ちてしまった。

 電車が停車する振動で、目を開けた。

 南大塚駅だった。

 やばっ。

 茜は慌てて電車を降りた。

 駅から駐輪場までの道のりは、街灯も少なく、この時間になるとほとんど人も通らなくなる。変質者が出るという噂もあり、本当は通りたくはなかった。早足になる。

 薄暗い電灯にぼんやり照らされた駐輪場で自分の自転車を探していると、微かに声が聞こえたような気がした。

 顔を上げてみたが、誰もいない。気のせいだったのかと再び自転車を探そうとして、今度ははっきりと聞こえた。

「すみません」

 女性の声だった。

 茜はきょろきょろと辺りを見回し、声の主を探した。すると駐輪場の外に車いすらしきものが見えた。声はそちらの方角から聞こえてきたようだ。

 ひょっとして車いすに乗った誰かが、介助を必要として助けを求めているのではないだろうか。

 咄嗟にそう考えた。もし、声の主が男性だったら、聞こえないふりをして、その場から立ち去ったかもしれない。だが相手が女性ということで警戒心が緩んだ。

「あのう、何かお手伝いしましょうか」

 そう声をかけながら、車いすに近づいた。

 だが周囲に人の姿はなく、車いすの座面に、一台のスマートフォンが置いてあるだけだった。

「すみません」

 また女性の声がした。そのスマートフォンから流れてきたものだった。

「え……?」

 冷静になってみると、聞こえてきた声は抑揚が乏しく、人工的に作られたもののように思えた。

 AI音声?

 戸惑いながら、茜がそのスマートフォンに手を伸ばそうとした時だった。

 腰の辺りに、先の尖った金属の棒で突き刺されたような、強い痛みを覚えた。それから頭上に向かって、金属の棒が捩じ上げられる。そんな錯覚と共に全身が硬直する。手足が痙攣し、ひと言も言葉を発せられないまま、茜は地面に倒れこんだ。

 その体に誰かが手をかける。

 やめて。

 そう訴えようとしたが声が出なかった。背中越しに抱きかかえられ、再びどさっと放り出される。だが今度は地面の上ではなかった。

 車いすに乗せられたのだとわかる。降りようと、手をひじ掛けの位置に置こうとするが、力がまるで入らない。

 助けて、誰か。

 そう叫んだつもりだが、「あ……うぅ……」という意味をなさないうめき声が漏れただけだった。

 やがて車いすが静かに動き出した。茜は操作していない。まるで車いすに意思が宿ったかのように、方向転換し、駐輪場に背を向ける格好となった。少し向こうに、車のヘッドライトらしき灯りが見え、茜の両目を激しくえぐった。

 その車の方向へと、車いすはゆっくり動き出した。

 

 茜は薄暗い部屋に置かれたベッドの中で目を覚ました。一瞬、どういう状況なのかわからない。

 やがてゆっくりと記憶が蘇ってきた。

 駐輪場で何者かに襲われ、車いすに乗せられた。その後、車いすごと、一台のミニバンに積み込まれたのだ。そして再び背後から、何者かの手が伸びてきて、強制的に口をこじ開けられ、水を飲まされた。それからすぐに意識を失ってしまった。

 きっとあの水に、何か薬のようなものが混入されていたに違いない。

「誰かあ……」

 声は出るようになっていた。しかしその声に応じる者はいなかった。

 ベッドから起き上がり、床に足をついた。痺れは消えていたが、腰の辺りはまだズキズキと痛んだ。

 その痛みに堪えながら、立ち上がり、ドアを探した。

 部屋の広さは三畳くらい。窓はない。ドアもなかった。その代わりに、四方の壁のうちの一辺がシャッターになっている。

 茜は思わずそこへ駆け寄り、金属製のシャッターを叩いた。

「誰か、誰か、助けてえ!」

 拳を何度もシャッターに打ち付け、叫び続けた。

 だがしばらく続けても、誰からも、なんの応答もない。両手の拳の皮が擦り剥けていた。

 茜は泣きながら、その場に蹲った。

 やがて、ラジオの周波数を合わせるときのような、ノイズ音が聞こえた。

「罪を犯したものは罰せられなければならない」

 それは駐輪場で聞いた、女性の声だった。抑揚が乏しく、アクセントを置く場所も微妙に違和感がある。AI音声だ。

「誰? どうしてこんなことするの?」

「罪を犯したものは罰せられなければならない」

 茜の問いを無視して、AI音声は同じ言葉を繰り返したあと、今度はこう言った。

「お前の罪を告白しろ」

「わからない。何の話をしてるの?」

「罪を告白しろ。罪を告白しろ。罪を――」

 音声は繰り返し、繰り返し、罪を告白しろと茜に迫った。

 どうにかなってしまいそうだった。耳を塞いでも、大声で怒鳴り返しても、声は止まる気配がない。

「わかった。告白する。だからもう静かにして!」

 茜が叫んだ途端、室内は静寂に包まれた。

 茜は必死に頭を働かせた。二十四年間の人生で、自分はかなり真面目に生きてきた方だと思っている。優等生ではなかったけれど、罪と呼べるほどのことをした記憶はない。

 子供の頃からの出来事を順に思い返し、自分の中では悪いことだったと考えられる出来事を羅列していく。学校の廊下を走ったこと、ペットボトルのポイ捨て、優先席で高齢者に席を譲らなかったこと――。

 だがその都度「罪を告白しろ」とアナウンスが流れる。

「もう何? わかんないよ……」

 膝を抱えて、泣き出した。

 するといきなり、シャッターがガタガタと音を立てながら、ゆっくりと上がっていった。向こう側から明かりが漏れてくる。

 良かった。助けてもらえるんだ。

 だがその希望はすぐに砕け散った。

 シャッターが全て上がり、向こう側に見えたのは、こちらよりももう少し広い部屋で、そこには机と椅子が置いてあり、三人の男女の姿があった。

 全員、お揃いの紺のジャージを着ている。

 女性は四十代くらいだろうか。肩までの長さの髪をして、柔和な顔立ちをしている。その隣で仁王立ちしている男性、女性と同年代のようだが、血走った眼で、茜を睨みつけてきた。そしてもう一人、二十代だろうか。体つきでそう判断した。というのも、彼の顔は大きく膨れ上がり、あざだらけで、元の人相をまともに確認できないからだった。

 女性が近づいてきた。茜は反射的に、後ずさりしそうになった。

「大丈夫。怖がらないで」

 女性に優しく手を引かれ、茜はその部屋の中へ足を踏み入れた。

 すると再び、シャッターが下がり始める。

 女性の手を振り払い、元の部屋に戻るべきだろうか。

 だが、ひとりぼっちで向こうの部屋にいるより、誰かといた方が安心だ。少なくともこの女性は敵ではないだろう。

 やがてシャッターは完全に閉じてしまった。

「ここはどこなんですか。皆さんはだれなんです?」

「時間がもったいないから簡潔に説明するわね。この場所は『トリシラベシツ』。私は『ジョウシ』。隣の彼は『ジュンサブチョウ』。そしてあなたは『ジュンサチョウ』を演じ……」

 ジョウシと名乗った女性は、机の前の椅子に座らされ、顔中痣だらけの若い男性へ視線を向けた。

「『ヒギシャ』である彼から『ジキョウ』を取るの。四十八時間以内にね」

「ま、待ってください。ジュンサチョウって、なんでそんな役割を演じなきゃならないんですか。ていうかジキョウってなんですか」

「ああ、もう、うるせえな、キャンキャン喚きやがって。そんなこと助かるために決まってんだろう。こいつに罪を認めさせられたら、俺たちは解放されるんだ」

 ジュンサブチョウの言葉に、ジョウシである女性も頷いた。

「ヒギシャの彼には気の毒だけど、一人を犠牲にすることで私たち三人が助かる。だから協力して」

「特にあんたはそろそろタイムリミットだもんな」

「やめて、そんな言い方!」

 ジュンサブチョウに対して、ジョウシは突然切れたように鋭い声を上げた。

「切羽詰まってるのはお互い様。早く終わらせましょう」

「そうだな。クソ、あんたのせいで時間を無駄にしちまったよ」

 ブチョウは茜をひと睨みしてから、振り向き様にヒギシャの顔を殴りつけた。

 茜は悲鳴を上げた。

「こっからは本気でいくぞ。お前がやったんだな?」

 ヒギシャはかろうじて、首を横に振る。

「お前がやったんだよ。お前だよ、お前、お前、お前、お前以外にいないんだよ!」

 ブチョウが喚いた。

 茜は耳を塞いだ。

 それからどのくらいの時間が経っただろうか。

 気が付けば茜も、暴行に加わっていた。

 早く家に帰りたい。そのためにはヒギシャがひと言でもいい。自分は罪を犯した、とジキョウしてくれるだけでいいのだ。

 それなのに何を頑固にここまで否定し続けるのか。

 当初は、二人に加担しつつも、暴行は良くないことだと、どこかで制御がかかっていた。

 しかし段々と、ヒギシャに腹が立ってきた。

「吐きなさい。たったひと言でしょう? ええっ? あんたが白状してくれたら、私たちみんな家に帰れる。それで全て解決するの。わかるでしょう?」

 茜の言葉が聞こえているのかいないのか、ヒギシャは床の上でぴくりともしていない。歯と指や腕、おそらく肋骨も折れているだろうが、かろうじて生きてはいるようだった。人間て案外頑丈なんだな、と茜はそんなことを思った。

「どうする?」

 暴行にも疲れたのか、肩で息をしながら、ブチョウとジョウシが深刻な顔つきで視線を交わしあった。

「続けましょう」

 ジョウシの発言の直後だった。室内にチャイムの音が響き渡った。小、中、高とよく聞いた「ウェストミンスターの鐘」のあれだ。

 ジョウシはパニックに陥ったように、スピーカーの方へ向かって訴えた。

「お願い、もう少しだけ時間をちょうだい。あともうちょっとで、ヒギシャにジキョウさせられる。だからお願い!」

 最後は絶叫だった。

 この時の茜には、なぜジョウシがこれほど狼狽えているのかわからなかった。

 それが明らかとなるのは、もう少しあとのことだった。

 

 

 茜の告白を収めた映像を、上野たちはかたを呑みながら見つめていた。

「チャイムが鳴って、ジョウシとジュンサブチョウは、私が目を覚ました部屋にヒギシャを運んでいきました。それからまたシャッターが下りて、しばらくすると車のエンジンの音が聞こえて……」

 茜は、そのヒギシャの男性がその後どうなったのか、その時は何も知らなかった。

「私たちは順番に役割を演じさせられました。ジュンサチョウの次がジュンサブチョウ、それからジョウシ、そして最後にヒギシャになって、トリシラベを受けます。トリシラベのタイムリミットは四十八時間だと犯人からは告げられていましたが、トリシラベシツには時計がなく、私たちはあとどのくらい時間が残されているのかもわからないまま、ただ助かりたい一心で、ヒギシャを……」

 茜はそこで言葉を途切れさせた。

「……ごめんなさい。私、本当はあんなことしたくなかった……。でもしないと帰れないと思って、それで……」

「次に、ジョウシだった女性がヒギシャになったということですが、彼女へもあなたとジュンサブチョウだった男性が、暴行を加えたんですか」

 門伝が冷静に質問をした。

 茜の体が大きく震えだす。

「わ、私じゃありません。私とジュンサチョウは止めたんです。だけどジョウシは殴るのをやめなくて、それで、気づいたら彼女は……彼女は動かなくなって……」

 茜が大声を上げて泣き出した。

「……待って。いまジュンサチョウって……?」

 身を乗り出した門伝は、声に狼狽を滲ませた。

「あなたのあとからも、誰かがトリシラベに加わったということですか」

「はい。最初のヒギシャがいなくなって、二日か三日か……正確な日数はわかりませんが、私が閉じ込められていた部屋に、今度は三十代くらいの男の人が……」

 しゃくりあげながら話を続ける茜を凝視しながら、上野は呆然と声を漏らした。

「いったい、あと何人いるの……」

 

(つづく)