「許可はできません」

 上野と峰岸の話を黙って聞いていた玉城だったが、返ってきた言葉はつれないものだった。

「デリケートな問題を孕んでいることは理解しています。ですがもし、トラブルを噂される相手が日本人だったなら、警察が話を聞くのは当然のことではないでしょうか。それを外国人だからと言って配慮をすることは、かえって彼らに対して特別視をしていることと同様の意味を持つと思いますが」

「面白いことを言うのね」

 玉城がほほ笑んだ。

「配慮しているつもりが、特別扱いすることで、却って外国人との間に壁を作ってしまう。そのことに異論はありません。しかし世間やマスコミの声というのは、必ずしも正論で動くわけではないのよ。共生論と排除論、二つが相対する世界において、暴力装置たる警察組織がどちらかに加担していると取られるような態度は、マイナスでしかありません」

「重ねて申し上げますが、我々に外国人を排除する意図はありません。ただ、片方の話だけを鵜呑みにしないためにも、彼らから話を聞きたいんです」

 辛抱強く説得をしようとする上野に対し、玉城はこれ以上聞く耳は持たないとでもいうように、手を振った。

「そうかしら。私にはあなた方が、わかりやすい結論に飛びついているようにしか見えませんけど」

「わかりやすい結論?」

 それまで黙っていた峰岸が、ついにたまりかねたように不穏な声を上げた。

 まずい。峰岸は相当頭に来ているようだった。かつて上司の調査官に暴言を吐いたときは口頭注意で済んだが、相手がキャリアの刑事部長では、それで済むとも思えない。

 上野は慌てて二人の間に割って入った。

「もちろん我々は外国人たちを捜査する一方で、ほかの関係者への聴取も継続するつもりです」

「だったら、そちらを先に済ませてはどうかしら。弁護士ならトラブルはトルコ系住人だけだったとは考えられないでしょう? もっと捜査を徹底すべきではありませんか。外国人グループを捜査するのはそのあとからでも遅くありません」

「捜査ならすでに――」

「議論はおしまいよ、峰岸さん」

 食ってかかろうとした峰岸を、玉城は鋭く制した。

 これ以上の説得は難しい。

 上野と峰岸は落胆を隠せぬまま、玉城のもとを辞去した。

「上があんな及び腰じゃ、こっちはやってられませんよ」

 声を押し殺しながら、峰岸は上野に不満をぶつけた。玉城に腹を立てているのと同時に、彼女を説得しきれなかった上野にも失望しているのだろう。

 確かに今回は失敗だった。よもや反対されるとは思ってもおらず、正面から行き過ぎた。

「トルコ系住人のことは折を見てまた刑事部長を説得します。それまで、もう一度被害者の周辺を洗いなおしてください」

 峰岸は口を開きかけたが、結局同意するように頷いた。納得はしていないが、上の方針に逆らうこともできないことは、彼だって理解できているのだ。

 たとえ相手が日本のビザを持っておらず、明らかに不法滞在が疑われるケースであっても、取り締まれば抗議の声が寄せられる。弁護士の一部からも外国人に対する差別的な職質の指摘などもされていて、この問題は都道府県警が判断できる範囲を逸脱している。警察行政を管理する警察庁が対応すべき案件であり、その先鞭をつけるのは、警察庁を動かしているキャリアたちであるはずだ。

 彼らが明確な指針を示してくれなければ、現場は外国人問題に対して尻込みを続けることになる。

 しかし人種問題というのは非常にデリケートなだけに、積極的に手をつけようとする者はいない。対応を間違えれば彼らの経歴に傷をつけてしまうからだ。

 少なくとも玉城日菜子が刑事部長として埼玉県警の刑事部を仕切っている間は、仮に今後、外国人が絡む犯罪事件が起こったとしても、さっきのように先送りにされてしまうだろう。

 特捜本部に戻る峰岸と別れ、上野は捜査一課の部屋に顔を出した。今後の捜査方針について、猿渡と意見をすり合わせておかなければならない。

 刑事部門のトップは刑事部長だが、ノンキャリでは参事官である猿渡がトップだ。まさか猿渡まで刑事部長の肩を持つとは考えにくいが、警察の力学ではどちらにつく可能性もある。

 峰岸班の捜査の進展いかんによっては、刑事部長の意向を無視してトルコ系住人と接触する必要性も出てくるだろう。

 今度こそ慎重な根回しが必要だった。

 猿渡は席を外していた。他の帳場へ出ているという。帰りを待っている間に、できるだけ外堀は埋めておくことにした。

 上野が思いついたのは、ヤードへの立ち入り検査を口実に、くだんのトルコ系住人を調べることだ。

 ヤードとは中の様子が見えないように鉄板などで囲われた敷地内で、自動車整備や工事解体業などを営む施設のことだ。ヤード自体に違法性はない。問題なのは外から実情を窺いしれないことも手伝って、敷地内で盗難車を保管していたり、海外へ不正輸出するための金属類を扱っていたりすることだった。経営者のおよそ九割は外国籍であることも手伝い、日本の法律を理解していないという側面もある。

 以前は、市の職員が定期的に訪問するなどしていたが、規制する法律がなかったため、警察も対応に苦慮していた。

 それが二〇二〇年に埼玉県が条例を制定し、まずヤード内で自動車等関連事業を行う際は届け出が必須とされた。また法令を遵守しているかどうか、必要に応じてヤード内に立ち入り検査も行えるようになった。

 ヤード内の立ち入り検査自体はさほど珍しくはない。これならマスコミに騒がれることもなく、くだんの外国人とも接触できるはずだ。

 上野は、川口市を管轄する川口警察署の刑事課長に連絡を取った。その人物は上野の一期後輩にあたる。

「ヤードを経営する外国人たちの多くは、犯罪者ではありませんよ。もちろん滞在方法の問題はありますが、そこは我々が関知すべきところではありません」

 いきなり冷めた答えが返ってきた。

 不法ということは文字通り、法律に反した行為であるから、本来は警察が取り締まってしかるべきである。だがそう一筋縄ではいかない。外国人の不法滞在問題を所管するのは法務省、実際に処分等の判断をするのは出入国在留管理庁、いわゆる入管だ。仮に警察が不法滞在者を逮捕したとしても、ほかに犯罪行為がなければ、通常は入管に引き渡す。

 本来、不法滞在者に対しては、直ちに本国へ強制送還することが原則ではあるが、様々な理由で、見送られてきたという実情がある。

 二〇二四年に入管法が改正され、以前よりは厳しく送還の処置が取られるようになったが、未だ細心の注意が払われるべき問題であることに変わりはなかった。

 警察を所管する警察庁は、この問題に対し、これまで明確な指針を出していない。つまり積極的に不法滞在者を取り締まるべきだとも、そうではないとも結論は曖昧なままとしている。

 このことが現場の警察官たちを戸惑わせている。

 川口市では外国人との接触も日常的だった。そこを管轄する刑事課の責任者の言葉は実感がこもっていた。

「飯能市の例の事件がらみですね。峰岸さんからも連絡がありました。警察が動けばすぐにマスコミと連動して市民団体が動きますからね。その矢面に立たされるのは察庁じゃなく、我々現場の警察官です。若い制服警官が市民からいきなり差別主義者のレッテルを貼られるわけです。これは精神的に応えますよ」

 上野はしばらく刑事課長の愚痴に付き合っていた。日頃、吐き出したくとも機会がなく、彼の中にも鬱屈が溜まっているようだ。

「そのくだんのトルコ系住人に直接接触するのは得策じゃないと思います」

 ひとしきり愚痴をこぼしてから、刑事課長はようやく本題に戻った。

「彼らは家族の結びつきを非常に大事にしています。一昔前の日本の『いえ』制度よりももっと強力な結びつきです。たいていの場合、年長の男性が長老のような役割を持ち、家族はその下で一つにまとまっています。日本に渡ってからはだいぶ薄れつつあるとはいえ、まだ長老の影響力は保たれているようです」

「つまり、その長老を介して、くだんの住人と接触しろと」

「少なくとも長老の顔を立てたということで、警察に対する先方の悪感情は薄まるでしょう」

「わかった。それじゃ、いざというときは協力をお願い」

 刑事課長の了解を取り付けて上野が電話を終えると、すぐに別の着信があった。県警本部の番号が表示されている。

 電話の相手は捜査一課の庶務係だった。

「たったいま、息子さんの学校から連絡がありまして、スマホにお電話したそうなんですが、出られなかったということで、県警へかけてきたそうです。折り返しお電話がほしいと。それも大至急」

 大至急という言葉に、上野は胸騒ぎがした。庶務係に礼を言い、休憩スペースに移動してから、メモした番号に折り返した。

 二回、三回と呼び出し音が聞こえる中、不安が増していく。

 まさか息子になにかあったというのか。

 長い呼び出し音のあと、ようやく相手が応答した。

「あ、上野さん、よかった、ようやく繋がりました」

 年配の女性の声がした。息子の高校の校長だと先方が名乗った。

「実は息子さんが、体育の授業中、同級生の女子生徒に怪我をさせてしまいまして」

 男女でバスケットボールの試合をしていて、怜大が女子生徒の一人とぶつかってしまったのだという。

「それでその生徒さんの怪我の具合はどうなんでしょう?」

「怪我はたいしたことありません。本人はもう元気に午後の授業も受けています」

「そうですか、良かった……」

 まずは一安心だった。だが体育の授業は午前中に行われ、昼休みを挟んで午後の授業にも出席できているというのなら、緊急で折り返しの電話をかけさせる必要はあったのだろうか。

 そもそも、息子の高校に届けてある緊急連絡先の一番目は夫の携帯番号にしてあるはずだ。事件が発生すれば上野の個人携帯に連絡がつかない可能性は高い。だから緊急の際はまずは夫の携帯、次に夫の職場である市役所、上野の両親宅の電話番号、そして最後に上野の携帯もしくは県警本部への連絡という順番にしているはずだった。

 この春から二年生に進級し、担任も替わったタイミングで、改めてこちらの事情は説明してあったのだが、なにか行き違いでもあったのだろうか。

「上野さんは確か埼玉県警にお勤めでしたよね。それも管理職の立場におありだとか」

「え、ええ……」

「責任もあって、大変お忙しい立場なのは理解していますが、お子さんの問題はやはり、お母様に真っ先にお伝えすべきではないかというのが私の考えです。幸い今回は大事に至りませんでしたが、息子さんには動揺もあるかと思いますし、お母様が顔を出してくだされば、安心するのではないでしょうか」

 上野の心が冷めていった。

「おっしゃることは重々わかります。息子の心の心配もしていただいてありがとうございます。ですが、いまは本当に仕事が忙しくて手が離せないんです。あとは主人に任せます。もし怪我をされた女子生徒さんのことで対応が必要なら、それも主人がやってくれると思いますので」

 上野は淡々と告げた。

「……どうしても難しいとおっしゃるんですね」

 校長の声に失望が混じった。

「すみません、本当に時間がないのでこれで失礼します」

 上野は一方的に電話を切った。

 校長は、母親なら子供のことは最優先で考えるべきだ、と言いたかったのだろう。だが、母親だろうと父親だろうと、子供を思う気持ちに差があるわけではないし、その時々の状況で都合のつく方が対応する。それのどこがいけないのか。

 息子を心配していないわけではない。

 夫の携帯に連絡を入れた。留守番電話になっている。

 なにかあれば連絡をくれるだろう。

 仕事に戻らなければならない。後ろ髪を引かれる思いで休憩スペースを出て、廊下を歩いていると再び着信音が響いた。

 夫だろうかと思ったが、電話は天堂からだった。

「調査官、二人目が発見されました」

 急に廊下の先が遠くなったような気がした。

 

二人目

 

 

 今度の現場は、熊谷市を流れる荒川沿いの自然公園に近かった。

 深瀬の運転で上野が現場へ到着すると、大勢のマスコミと野次馬でごった返していた。ダッシュボードの目立つ位置に置かれた深瀬の警察手帳のお陰で、モーゼのごとく人々が道を譲る。現場への立ち入りを規制する黄色いテープの前でいったん止まり、深瀬はすかさず窓を開け、側にいた制服警官に声をかける。

「調査官が入ります」

 制服警官は素早く身を翻して、テープを外した。

 すれ違い様、上野は直立不動で敬礼している警官に軽く目礼する。

 通り過ぎてから、形だけでももう少し愛想よく振舞うべきだったか、と後悔が浮かんだ。

 上野もかつて、あの警察官と同じ立場だったことがある。目の前を調査官や一課長といった幹部たちが仏頂面で通り過ぎるたび、なぜああも偉そうなのだろう、と不満を抱いたものだ。

 だが、彼らと同じ立場になって初めて気が付いた。彼らは偉そうだったのではない。いまの上野と同じように、深刻だったのだ。

 車はさらに三百メートルほど走り、係の警察官により、自然公園の駐車場へと誘導された。

 自然公園とその周辺は車両の立ち入りが禁止されている。ここからは徒歩での移動となった。

 上野は革靴を脱ぎ、スニーカーに履き替えて車を降りた。

 天堂が歩み寄ってきた。

「ご苦労様です。ちょうど鑑識作業が済みました。鯨井調査官と担当検事が既に入っています」

「同一犯だと?」

「間違いないようです。被害者は木箱に納められた状態で見つかりました。遺体には激しい暴行の跡も。遺体は半ば土に埋もれた状態で発見され、検視官の初見では、死因は窒息死ではないかと。上に被せられた土砂の重みに木箱が耐えられなかったようです。ただ……」

 天堂が声を潜めた。周囲には警察関係者しかいないが、それでも慎重にならざるを得ない事実があるということだ。

「今回の被害者は、少なくとも死後一ヵ月以上は経過していると」

 上野は咄嗟に天堂の顔を凝視した。

「最初に発見された被害者より先に亡くなっている……?」

「はい。今回の被害者が失踪した時期も、二月です」

「もう身元が?」

「遺体と共に被害者の免許証と財布が確認されています。それによれば被害者は所沢市在住の桑畑公一、三十三歳、職業は高校教師だそうです」

「失踪時の状況は?」

「被害者は高校で陸上部の顧問を務めており、失踪した日は朝練の準備で、午前六時半に登校、それから一人グラウンドでその準備をしていたそうです」

 朝練は七時半開始となる。ところが部員たちがグラウンドに集合しても桑畑は姿を見せなかった。不思議に思いながらも、部員たちは一通り朝練のメニューをこなしたという。桑畑の失踪に気づいたのは、九時すぎのことだった。職員室での朝会に現れなかったことを不審に思い、同僚が携帯に電話したが繋がらなかった。

「ほかの部活の朝練で登校していた教師が被害者を目撃していたこともあり、事故にでもあったのではないかと、校内はもちろん、グラウンドや周辺を手分けして捜索したそうです。それでも見つからなかったため、夕方になって校長が警察に相談を」

 失踪したのが子供ではなく、大人であれば警察への連絡が遅くなったのは仕方ない。

「所沢署の調べでは、学校に設置された防犯カメラで被害者を確認できています」

 高校の正門前の防犯カメラに、早朝、登校する桑畑が映っていた。

「それから、グラウンドへの不法侵入を監視するため、校舎の屋上に設置されたカメラにも被害者は捉えられていました。それがおそらく失踪時のものと思われます」

「思われる、というのは?」

「カメラには何者かに連れ去られる様子は映っていません。グラウンドでライン引きを行っていた被害者が、途中でなにかに気が付いたように作業を中断して、グラウンドの外を眺める様子が映っていました。それから被害者は走ってグラウンドの外へ出ていったのが最後です」

「なにを見つけたのだと?」

「わかりません。それ以上は防犯カメラには映っていませんでした。所沢署でも、被害者が消えた周辺を捜索して回りましたが、その方角には民家もなく畑が広がっているだけなんです」

 出動した警察犬が、途中で臭いを追跡できなくなったこと、目撃者が見つからなかったことなど、先の被害者である久保田のケースと類似する。状況からみて、桑畑が自発的に失踪したとは考えにくく、事件や事故に巻き込まれた可能性が高いと判断し、警察が特異行方不明者に指定して捜索に乗り出していた点も同様だった。

「所轄では、被害者に関するトラブルの有無などは把握してるんですか」

「両親や恋人、学校関係者に話を聞いたそうですが、特に上がってきてはいないようです」

 天堂から説明を受けながら、上野は実際に木箱が埋められた場所まで到着した。現場には鯨井と、担当検事の姿が見える。二人はなにか深刻な様子で話し合っていた。

「木箱は、材質や組み立て方法も前回と同様です。それとゴムホースに、飲料水のペットボトルが二本残されていた点も」

 犯人はまたしても被害者を生き埋めにしたということだ。しかも免許証や財布を残しておいたということは、被害者の身元がすぐに特定されてもかまわなかったということになる。

 上野は鯨井たちの方を見やった。鯨井と目が合う。言葉は交わさずとも、彼の言いたいことは伝わってきた。

 犯人の目的は皆目見当もつかない。どんな人物像なのかも見えてこない。

 だが一つだけ確かなことがある。これは間違いなく、同一犯による連続殺人事件だということだ。

 

(つづく)