玉城のもとを辞した上野は、携帯を取り出した。
「上野です。明日、重要参考人として深瀬多津子を任意聴取します。うちの捜査員を東京へ派遣しますので、一応、お知らせまで」
相手は警視庁の百武だった。百武には水嶋ほづみに警護をつけると決めた時点で、これまでの捜査の詳細や、ほづみと深瀬の関係について報告済みだった。
深瀬を任意で引っ張るにあたり、警視庁との連携は不可欠だ。
「深瀬が他の被害者を狙った理由は判明しているのか」
「それはまだです。しかし、このまま手をこまねいているわけにもいきません」
「いよいよ、尻に火がついたか」
なんとでも言えばいい。
「いや、私だって警視庁では君と同じような立場だ。気持ちはわかるよ。こちらで何かできることがあれば遠慮なく言ってくれ」
百武ともいろいろあったが、捜査責任者が抱えるプレッシャーは、警視庁も埼玉県警も変わりはないということか。
「ありがとうございます。今のところは……そういえば、そちらの天利巡査部長についても、うちの捜査員が調べることになります。形式的なものですので、ご理解ください」
「承知している。例の、君が水嶋さんに話したという物語の件だな。それが事件に関係していると思うのか」
「深瀬が過去の復讐を考えているのだとしたら、それは娘が自殺した原因になった事故の責任を、誰も負わなかったことに起因しているのではないでしょうか。民事では和解をし、賠償金が支払われたとは言っても、遺族の心情としては刑事罰を望むものだと思います」
「スーパーで二人が出会ったのは偶然なのか」
「二人が同じ地域に暮らすことになったのは偶然だと思います」
深瀬はここ十数年、住所を変えていない。そこへ去年の夏、たまたまほづみが越してきた。
「ただ、スーパーでの出会いは、おそらくどこかで水嶋さんを見かけた深瀬が、声をかけるチャンスを窺っていたのではないでしょうか」
それこそが、深瀬の娘が亡くなって十八年も経ってから、復讐に動いた理由ではないだろうか。
「水嶋さんの話では、私の物語を教えたのは深瀬の他に二人、一人が彼女の主治医である鈴置医師、こちらもいまうちのものが経歴などを調査中です。そしてもう一人がそちらの天利巡査部長」
「天利については、問題ないことを請け合うよ。元々、所轄の刑事課にいた人間だ。SSBCに移ってきた当初は、現場に戻りたいと不平も零していたようだが、今じゃしっかりと戦力になっている」
「何かきっかけがあったんでしょうか」
「水嶋さんだよ。二人は周囲にバレていないと思っているようだが、交際しているそうだ」
「なるほど。恋人と職場が一緒なら、それはモチベーションも上がりますね」
「そういうことだ」
百武は小さく笑って、電話を切った。
6
ほづみは窓のカーテンを開け、マンションの下を覗き込んだ。警視庁のパトカーが一台停まっている。
「こんなの大げさ過ぎる……」
「そんなことはない。今回の犯人は常軌を逸してるんだ。それでもパトカーを目にすれば、さすがに君に近づこうとはしないはずだ」
天利が心配そうにほづみを見つめる。
目に見える警護は、抑止力に繋がる、ということだ。
「でも、深瀬さんが本当に犯人だとしたら、それは私のせい。だからこんな風に守られるなんて間違ってる」
「自分を責めちゃ駄目だ」
「ううん、私のせいなの。私があの人の娘さんの頭に植木鉢を落としてしまったから、それで娘さんは歩けなくなって、将来を悲観して自殺した。私が殺したの」
「違うって、ほづみ。君は小さかったんだ」
「お父さんとお母さんだって、私が殺した。あの日、どうして私だけが助かったの? 私が死ねば良かったのに!」
ほづみは叫んだ。
感情が抑えきれない。
それが真実だからだ。
両親はほづみと一緒に死のうとした。それなのに、原因を作った自分一人が生き残ってしまった。これまでずっと、それが苦しかった。何度も死のうと考えたが、結局できなかった。
「私なんて生きててもしょうがない。死にたい」
「ほづみ……」
天利がほづみの肩に手を置いた。
「鈴置先生に来てもらおう」
「いや、あの先生は嫌い。前の先生がいい。前の先生は私の話をちゃんと聞いてくれた」
「わかった。じゃあ、鈴置先生に頼んで、前の先生に来てもらえるよう話してみるよ」
天利はいったん部屋の外に出ていった。ほづみに電話の内容を聞かれたくないのだろう。
ほづみは再び、窓のカーテンの陰から下を見下ろした。
パトカーには二人の制服姿の警察官が乗っていた。他に人影はない。
ここから飛び降りられたら楽になれる。
車いすのアームを強く握り締めた時、天利が戻ってきた。
「前の先生は高齢で、すぐにはこっちへ来られないらしい。でもその代わりに、俺が明日ほづみを先生のところに連れていくよ」
「本当に?」
「ああ」
「下にいる人たちも一緒に行くの?」
「下のって、警護の警察官たち? それは仕方ないだろうな。なるべく目立たないようには頼んでみる」
天利は窓のカーテンをしっかりと閉じた。
「今夜は俺もここに泊まるよ」
有無を言わさぬ口調だった。
「どうせもう俺たちのことは周囲にバレてる」
次に天利は、ほづみに錠剤とコップの水を差し出した。
薬は捨てたはずだ。なぜ天利が持っているのだろう。
「以前、泊まった時に、数錠預かっておいたんだ。君が薬を捨てた時のためにね」
さあ、と天利が迫る。
「飲んで」
ほづみは仕方なく錠剤を口に含み、コップの水に口をつけた。だが飲んだふりをしただけだった。
天利がこちらから目を離した隙に、素早く手の中に吐き出した。
数分後、ほづみは欠伸をしてみせた。寝る支度をし、ベッドに入る。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
部屋の明かりを消して、天利が出ていった。
ほづみは眠ったふりをしながら、玄関で鈴置と電話で話す天利の声を聞いていた。
「薬を飲ませました。ええ、落ち着いていまは眠っています。少なくとも朝までは――」
7
「調査官、深瀬多津子が到着しました」
峰岸の声で上野は自席から立ち上がった。
「様子は?」
「うちの捜査員が声をかけた時は動揺も見られましたが、車の中ではひと言もしゃべらず落ち着いた様子だったと」
「そう」
深瀬には今朝早く、出勤のために自宅マンションを出たところで埼玉県警の捜査員が任意同行を求めた。
「予定通り、聴取は門伝に任せましょう」
門伝ならうまく深瀬の心を掴んで、事件の核心に触れる供述を引き出せるだろうと踏んだ。
任意聴取であれば録音、録画は義務ではないが、うまくいけばここで重要な証言が深瀬の口から飛び出すこともありえる。そう判断して、取調室には録音、録画機材を準備しておいた。
上野と峰岸はそれを見守るため、別室に入った。
深瀬は取調室の椅子に静かに座っている。髪の毛を後ろに束ね、薄手のトレーナーとチノパンを身に着け、足元は白いスニーカーだった。
同行時、深瀬は自分が今日訪問することになっていた家庭のことを心配した。彼女が勤める介護施設にはあらかじめ、警察の捜査に協力してもらうことは伝えておいたので、別の人間が訪問することを告げた。すると彼女は心から安心した様子を見せ、素直に捜査車両に乗り込んだという。
ここでも自分の心配より他人の心配なのか。
門伝が任意聴取を始める旨を深瀬に告げる声が聞こえた。
『はい、よろしくお願いします』
深瀬は律義に頭を下げた。
『まずお聞きしたいのは、あなたのお嬢さんの久美さんが、亡くなられた時のことです』
門伝は、マンションから植木鉢が落下した事故について語り、事実に相違ないかと尋ねる。
『間違いありません』
『その事故が原因で、久美さんは脊椎を損傷し、歩けなくなった。そして二年後、自ら命を絶った。この辺りのことをもう少し詳しく教えてもらえませんか。当時の久美さんを知る人の話では、彼女は亡くなる少し前から落ち込んだ様子だったとか』
『はい。久美はリハビリを頑張ってくれていました。また自分の足で歩けるようになって、テニスをしたいと話していたんです。でも、どんなにリハビリを頑張っても、足の機能が元通りになることはないこともわかっていたんだと思います。それで鬱のような症状が見え始めたので、病院から薬をもらって服用していました。ところがある日、もう薬は飲みたくない、病院にも行きたくないと……』
深瀬の伏せた顔に悲しみの色が浮かんだ。
『私は娘が苦しいならと、病院通いをやめさせました。でも結果としてそのせいで、娘はますます精神的に不安定になって……自殺を……』
深瀬が口元を片手で覆った。そこには心からの後悔が感じられる。
『お気の毒です。辛いこととは思いますが、娘さんの事故について、もう少し教えてください』
深瀬が被った悲劇に対して、門伝は心からの同情を感じさせる言葉を漏らしつつ、冷静に聴取を続けた。
『事故は当時六歳だった子供が起こしたものでした。そのため、刑事事件には問えなかった。そこであなたは子供の両親に対して民事裁判を起こしましたね』
『裁判を起こそうと言ったのは、別れた元夫です。彼は警察官だったので、幼い子供の行為が事件に問えないことを知っていました。両親についても同様です。だからせめて民事でと』
『その時、先方の代理人だった弁護士の方はご存じですか』
『先方のですか。いいえ、知りません』
『久保田春雄さん。この人です』
門伝が久保田の写真を見せた。
深瀬は怪訝そうな表情を浮かべる。
『示談交渉は全て、元夫とこちら側の代理人になってくれた弁護士の先生が進めていました。ですから、この方のことは顔もお名前も知らないんです』
上野には、深瀬が嘘をついているようには見えなかった。峰岸も同様の感想を漏らした。
「これまでのところ、彼女は娘のことを持ち出されて動揺はしていますが、こちらの質問には誠実に答えている気がします」
誠実。まさにそれは、深瀬に対する世間の評判とも一致するものだった。
『では、桑畑公一さんについてはどうですか』
門伝が質問を切り替えた。さすがだ。当初は久保田の名前を出せば、そこから深瀬を切り崩せるのではないかと考えていたが、難しそうだと咄嗟に判断したのだろう。
『桑畑くんは久美の同級生で、同じ軟式テニス部に所属していました』
『それだけですか。当時、二人の間には何かトラブルのようなものはなかったんですか』
『ありません。桑畑くんやほかのテニス部の子たちは、久美を励ましてくれていました。久美も彼らと会って話をするのが楽しいと』
そこでまた、深瀬の顔に陰りが落ちる。
『むしろ私の方が、元気なあの子たちの姿を見るたび、落ち込んでしまっていたんです。そんな私を久美はむしろ慰めてくれました』
『桑畑さんのFacebookにアクセスしていましたね?』
『久美が亡くなってから、彼らは命日には必ず来てくれていたんです。でも年月が経つにつれて、次第に来なくなりました。進学や就職で地元を離れてしまった子も多かったですから。そのことは当たり前のことです。ただ、時々むしょうに寂しくなる時があって、そんな時、Facebookは実名でアカウントを作るということ知り、もしかしたら、と検索してみたんです。見つかったのは桑畑くんのものだけでした。以来、ちょくちょく訪れては、投稿を読むのを楽しみにしていたんです。するとある時、中学時代の同窓会があったという投稿を見つけ、つい、いいねを押してしまいました』
『羨ましいとは思いませんでした? 彼らは久美さんのことを忘れ、人生を謳歌している。薄情だと感じたことは?』
『そんなこと全く思ったことはありません。彼らには娘の分も人生を楽しんで生きていてほしいと願っていました。それなのに桑畑くんがあんな……』
深瀬が唇を震わせた。
『刑事さん、一刻も早く桑畑くんを殺した犯人を捕まえてください。そのためならどんな協力も惜しみません。彼について知ってることはなんでも話します』
『ちょっと待ってください』
門伝は驚いたように深瀬を見つめた。
『もしかして、ここへ呼び出された理由は、我々が桑畑さんのことを聞きたいからだと思ったんですか』
『はい。先ほども話しましたが、元夫は警察官でした。ですから、事件が起こると、その関係者に話を聞くことは知っていましたので、それで私を呼んだのだと』
ビデオカメラ越しに、門伝が困惑したような視線を上野たちに向けてきた。
「だから任意同行を求めた時も落ち着いていた、そういうことですか」
峰岸が弱ったように頭を掻いた。
そこへ突然、血相を変えた天堂が飛び込んできた。
「調査官、水嶋ほづみの行方がわからなくなりました」