玉城との会談のあと、上野は埼玉県警本部へ戻った。警視庁への捜査協力を、猿渡も承知しているのかどうか確認しておきたかった。

「反対はしなかった」

 猿渡の言葉に上野は失望を隠さなかった。

「それならひと言、教えていただきたかったです」

「そう言うな。俺だって今日の捜査会議に百武が来ることまでは知らされてなかったんだ」

 猿渡はむっつりと答えた。

「もし三人目の被害者が見つかれば、刑事部長は警視庁に捜査権を明け渡すこともお考えのようですが」

 最後に玉城から投げつけられた言葉を伝えると、さすがの猿渡も顔色を変えた。

「そんなことは断固として反対する。そもそもいくら刑事部長だろうと、そこまでの独断は許されるはずもない」

 ひとまず安心した上野だったが、すかさず、猿渡に釘を刺されてしまう。

「今後、捜査本部長が刑事部長から県警本部長に格上げされれば、警視庁の介入もやむを得んとは思っている。お前も覚悟はしておけ」

 県警本部長は組織のトップだ。その人物が特捜本部のトップに就任するということは、埼玉県警として、この事件が、凶悪かつ世間に与える影響も多大なものであると判断したということになる。県警の威信をかけた捜査になることはもちろん、他都府県警からの応援を拒む余地もない。

「しかし、次の犯行が行われるとしても、我々にはそれを予測する術はありません」

「二人の被害者の繋がりは?」

「いまのところはまだ……」

「例のユーチューブだったか、その映像の閲覧者は?」

「先日、運営会社から閲覧者のIPリストが届きました。しかし、難航しています」

 一人目の被害者が発見された土地の持ち主である白金は、ユーチューブに幾つかの動画をアップしていた。犯行現場の様子を詳しく語ったものも含まれていて、犯人たちはその動画から、被害者を生き埋めにする場所を選んだのではないかと考えられた。

 映像を閲覧すると運営会社側にはIPアドレスが残る。だがそこからわかるのは、閲覧者が契約しているインターネットサービスプロバイダ、略してISP情報と、大まかな接続地域だけだ。例えば閲覧者が旅行先で、ホテルなどの無料Wi-Fiサービスを利用して閲覧したとすれば、運営会社側に記録されるIPアドレスはそのホテルのものとなる。

「このまま被害者の共通点が見つけられなかった場合……」

 上野は躊躇した。これから話すことは、できれば絶対に起こってほしくない。しかし玉城からも指摘された通り、あらゆる最悪の事態に備えておかなくてはならなかった。

「犯人は被害者を、無作為に選んでいる可能性も否定できなくなります」

「無差別殺人だと?」

「あくまで最悪を想定するならば、の話です」

 さらに上野にはもう一つ気がかりがある。

 二つの事件のうち、最初に亡くなったのは二月に失踪した桑畑だ。しかしこれが犯人たちの最初の犯行であったと、どうして言い切れるだろうか。桑畑よりも以前に失踪し、すでに殺害されて地中に埋められている者がいる可能性は排除しきれない。

「なんとしても次の犯行は防がねばならん」

 猿渡が言い切った。

 もちろん上野も同じ思いだ。

 しかし現状、打つ手はほぼなかった。

 

 上野は特捜本部に戻る前に、一度自宅に寄った。そろそろ着替えが必要だった。現場の捜査員と違い、上野たち幹部は自宅へ帰ることも可能だ。しかし特捜本部の置かれた飯能警察署から自宅までの往復の時間を考えて、署の近くに宿を取ってもらっていた。洗濯はそこのコインランドリーでも可能だったが、とにかく時間が足りない。

 鍵を開けると、玄関に息子のスニーカーがあった。いつも通学に履いているものだ。室内から、音楽らしきものも聞こえてくる。

 リビングに入ると、ポータブルゲーム機を手にした息子がソファに寝っ転がっていた。

「どうしたの、学校は?」

 上野は咄嗟に尖った声を上げた。

「まさか、この間の件で何か問題が――」

「落ち着けよ、祝日だっつうの」

 息子はあきれ顔で上野の言葉を遮った。

 壁にかかるカレンダーに目を向けると、今日の日付が赤くなっている。

 世間はいわゆる大型連休を迎えていたが、仕事に忙殺されて、そんなことさえ忘れていた。

 息子がうっとうしそうにソファから体を起こそうとする。

「お母さん、すぐ出かけるわよ。着替えを取りに寄っただけだから」

 急いで部屋へ行き、クローゼットを開けると、クリーニングから戻ってきたスーツがかかっている。特捜本部が立ってすぐ、夫が取りに行ってくれたものだ。署まで届けようかと言われたが、車で往復三時間も走らせるのは申し訳なくて断った。どうせ、県警本部にはちょくちょく顔を出さなくてはならない。そのついでに取りに立ち寄ろうと考えながら、今日になってしまった。

 替えのブラウスと下着を、適当な手提げ用の紙袋に突っ込んだ。

「あの件はもう終わったよ」

 不意に後ろから息子の声がした。振り返ると、部屋の入口に息子が立っている。

「あの件……? ああ、体育の」

「校長が少し大騒ぎしすぎたんだ。相手の女子とも普通に話してるから心配いらない」

「そう、良かった」

 その後、夫からも同じような話は聞いていた。

 文科省の通達もあり、近頃は男女共習といって、体育の授業も男女が一緒に行うことが増えている。ただし、高校生ともなれば男女の体格差は大きく、基本的には接触の少ない種目、例えば陸上とか体操などが主な対象であり、バスケットボールのように接触を伴う種目は、男女別に行うという高校が多いらしい。

 ところがいまの校長が赴任してきて、すべての種目で男女共習にする方針に変わったのだという。

 夫の説明によれば、問題の体育の授業のあと、向こうの女子生徒の親、特に母親が、娘の怪我は校長の責任だと詰め寄った。

 夫曰く、校長が上野を呼びだそうとした背景には、母親同士で話し合ってもらい、自分に火の粉がふりかからないようにする意図があったのではないかとのことだった。

 ともかく、夫は向こうの両親とも話をして、息子の怜大に関して腹は立てていないということを確認してくれていた。

 さらに今回の件を受けて、バスケットボールほか接触を伴う種目は、去年までと同様、男女別に行う方針に戻すということで決着はついたとのことだった。

「じゃあ、お母さんまた出かけるけど……」

 労いの言葉を期待したわけではないけれど、ソファに寝転び、ゲームの続きを始めた息子に一応声をかけてみた。

「ああ」

 やっぱり生返事が返ってきただけだった。諦めて玄関に向かいかけた背中に、息子の声が聞こえた。

「事件、早く解決するといいね」

 

 上野はマンションのエレベーターに乗り込むと、息子の言葉を思い出し自然と笑顔になった。

 鼻歌交じりに玄関の自動ドアをくぐると、青い空が目に飛び込んできた。

 街路樹の木漏れ日の下を歩きながら、若葉の香りを感じ取ろうとした時、携帯が鳴った。

「調査官、またです、三人目です」

 天堂の言葉に、上野の世界は暗転した。

 

三人目

 

 

 三人目の被害者は関智せきとも。東京在住の二十歳の大学生だった。発見場所は東京と埼玉の県境にある雑木林で、前の二人と同様、木箱に入って地中に埋められていた。

 ただし今回は、木箱に入れられて間もなく亡くなった可能性が高いという。

 上野は手元の鑑定書を広げた。遺体の写真が生々しい。

 今度の被害者にも激しい暴行が加えられていたが、これまでの二人に比べて苛烈さが増している。顔面は大きく膨れ上がり、前歯と肋骨が数本、そして両手の指が全て折られていた。死因は多臓器不全となっている。これは内臓に多大な損傷を負うほどの暴行を受けたことを意味した。

「木箱にはこれまで同様、水のペットボトルが二本入っていましたが、いずれも手つかずでした。被害者の状態から察するに、自力でキャップを開けることも困難だったと思われます……」

 たいていのことには動じないといった面構えの峰岸だったが、今回の被害者の有り様には衝撃を覚えているようだった。

「亡くなった順番は、桑畑さん、久保田さん、そして今回の古関さんで間違いない?」

「はい」

「これまでよりも暴行がエスカレートしていることについてはどう思いますか」

「以前の二人より、今回の被害者に対しての恨みが深いのか……、なんだ、門伝」

 峰岸の言葉の途中で、門伝が手を挙げた。相変わらず能面のように表情が動かない。

「海外の事例ですが、連続殺人鬼は犯行の回数を重ねていくうちに刺激が薄まっていき、暴行をエスカレートさせていくそうです」

「今回の犯人はシリアルキラーだと言いたいの?」

「単に例を挙げただけです」

 上野の問いに、素っ気ない答えが返ってきた。

 だがシリアルキラーではないにしても、集団で暴行を繰り返し働いていると、行動がエスカレートする事例は日本でも報告されている。

 続いて、被害者が失踪した時の状況に話を移した。

 古関が失踪したのは四月上旬、埼玉県警が久保田の遺体を発見した頃と重なる。古関は大学のサークルに所属しており、失踪した日は新歓コンパに参加していたと峰岸が説明する。

「場所は渋谷です。二次会が終わって店を出た時には、被害者はかなり酔っぱらっていたという話でした。コンパは三次会へ流れる者を残して、被害者と数名が終電に間に合うよう渋谷駅へ。そこで解散となりました」

 その後、東京メトロ半蔵門線の南栗橋行きの最終電車に乗る被害者の姿が、駅の防犯カメラに捉えられていた。

「被害者宅の最寄り駅は北千住駅。しかしそこで被害者は降りていません。おそらく寝過ごしたものと思われます。最後に被害者の姿が確認されたのは、終点の南栗橋駅です」

 東京メトロ半蔵門線は、押上駅で東武スカイツリーラインと直通運転となるため、うっかり乗り過ごしてしまったら、東京から埼玉までたどり着いてしまうことも珍しくない。

 電車内でぐっすり眠りこけていた被害者は、車掌に起こされて、駅の外に出されてしまった。

「南栗橋駅の周辺にホテルはなく、わずかに存在する飲食店もすでに営業を終えたあとでした。駅前の防犯カメラには、うろうろする被害者の姿が映っていました」

「それから被害者はどうしたんです?」

「友人にメッセージアプリで連絡を取っています。次のような内容でした」

 プリントアウトしたものが配られる。

【やっべえ乗り過ごした なにもないわここ】

【タクシーは?】

【ムリ 金ない】

【駅から歩いて二十分くらいのところにカラオケ屋あるけど?】

【もう眠いし歩くのだるいから今夜はこの辺で野宿するわ】

【マジ? ウケる おやすみ】

【おやすみ】

「夜中の一時過ぎに交わされたこのメッセージが、被害者からの最後のものとなります。翌朝、同じ友人が被害者にメッセージを送りましたが読まれた形跡がなく、夕方になって心配になり、ほかの友人と連れ立って被害者のアパートへ訪ねていったそうです」

 だが被害者は自宅へ戻っていなかった。友人たちは何度も電話をかけたが応答がなく、心配になって被害者の実家へ連絡した。

「そして両親から警察に相談がありました」

「駅の周辺で誰か被害者を目撃した人物は?」

「同じ電車を降りた数名の乗客に目撃はされています。しかしその後、被害者がどこで野宿をしようとしたのか、足取りは掴めていません」

「またしても、拉致された現場を誰も見ていない……」

「ただし、被害者が失踪する数週間ほど前から、ある車の目撃情報があります。終電が終わった時間帯、駅から見て北側の路上に、赤っぽい色のミニバンが停まっていたそうです。単に誰かを迎えに来た車かもしれませんが、一応あたってみます」

 いまは、その車の線に期待を寄せるしかなさそうだ。

 

(つづく)