「この防犯カメラ映像に映る電動車いすの人物が、三人目の被害者だという確実な証拠でもあるんでしょうか」

 警視庁のチームが、被害者の姿を映した防犯カメラ映像を発見した。その一報は上野たち埼玉県警の捜査陣を動揺させるには十分だった。だが上野はまだ、半信半疑だという思いを捨てきれていない。

 そんな上野に対し、百武は誇らしげな顔つきで答えた。

「映像から割り出した顔の形、目や鼻、口の位置などの数値化された情報をAIに与え、被害者の写真と比較させてみたところ、ほぼ同一人物で間違いないという判定結果だった」

 AIか。近ごろはなんでもそれだ。上野は自分が疎い分野への反発を感じながら、峰岸を振り返った。彼もまた、AIという存在に戸惑っていることは、表情から見て取れる。

「逆にこちらからも確認したいのだが、この車いすの人物について、そちらは何を掴んでいるんだろうか」

「南栗橋駅周辺で、電動車いすを使用している住人は見つかっておりません。電車の乗客も同様です」

 むすっとした顔で峰岸が答えると、百武は口元を綻ばせた。

「となるとこの人物は、深夜にどこからきて、どこへ去ったのだろうか」

 もったいぶるように百武がそこで少し間を置いた。上野は苛々を抑えようと、両手を強く組んだ。

「体型も一致し、状況から考えても、この車いすの人物を被害者と特定することに問題はない。違うかな?」

「仮に被害者だとして、車いすに乗った理由はなんですか」

 上野は冷静になろうと己に言い聞かせながら尋ねた。

「自らの意思で乗ったのではなく、おそらく犯人に体の自由を奪われ、乗せられた、ということだろう」

「しかし、映像には被害者以外の人物は映っていません」

「電動車いすには遠隔操作が可能なものもある」

「遠隔操作……?」

 そんな車いすがあるのか、と戸惑う上野に対し、百武が資料を差し出した。

「映像の電動車いすはアメリカ製で、これが製品カタログだ」

 そのカタログの表紙には大きな赤字で、製品の特長がでかでかと書かれていた。

 オフロード用電動車いす。

 もう製造元まで特定しているのか。仕事が早い。そこは素直に称賛に値した。

「製品の詳しい説明については、彼女に任せることにしよう。水嶋さん」

 百武が会議室の奥へ向かって呼びかけた。上野はそこに、一人の若い女性の姿を認めた。水嶋ほづみ。今回、防犯カメラ映像から電動車いすに乗った人物が被害者ではないか、と気づいた警察職員だった。

 百武に呼び寄せられて、水嶋は恥ずかしそうに目を伏せながら、おずおずと前に進み出てきた。ただし、自分の足ではなく、車いすに乗って、だ。

 どうして防犯カメラ捜査になれているはずの警察官たちが見落とした事実を、水嶋だけが発見できたのか。その答えはそこにあった。

 上野と目が合うと、水嶋はぎこちなく会釈した。その瞬間、上野は彼女とは初対面ではないように感じた。だが、いつどこで会ったのか。記憶を辿ろうとする前に、水嶋が口を開いた。

「車いすは利用者の障害の程度によって、様々なタイプが用意されています。私が使っているものは自走式と呼ばれていて、乗り手が自分で操作をします。例えば移動したいならこうやって、ハンドリムを回します」

 水嶋は車いすのタイヤに付属している金属の部分を両手で掴み、その場で前後に軽く回した。

「そして、これが駐車ブレーキになります。停車中はこうして、車いすを安定させておきます」

 水嶋は車いすの左側についている金属のレバーを引き上げた。

「障害の程度が重い場合などは、電動モーター付きの車いすを使用します。これだと手元のジョイスティックなどで、車いすの動きを操作することができます。さらに、リモコン機能を取り付けて、利用者のほかに介助者が、遠隔で操作することも可能です。映像に映る電動車いすがこのタイプとなり、これがリモコンです」

 水嶋がポケットから取り出したのは、スマートフォンよりも一回り近く小さなリモコンだった。

「これは純正品ですが、メーカーの説明によれば、市販品を購入して、利用者が自分で取り付けることもできるそうです」

「遠隔というのは、どのくらい離れていても可能なんですか」

 上野が尋ねた。

「障害物の有無にもよりますが、純正品のBluetooth方式なら十メートルほど。ですが、最新の移動通信システム、つまり5G方式のものを使用すれば、半径百メートルから二百メートル、条件によっては一キロまでカバーできると言われています」

 Bluetooth、5G。またわけのわからない用語が出てきた。細かい解説はあとで天堂に頼るとして、大事なことは、犯人は防犯カメラに映らない位置から、車いすを操作することが可能だったということだ。

「さらに被害者が乗る電動車いすには、もう一つ特徴があります。カタログにもある通り、これはオフロード用電動車いすと呼ばれ、屋内での移動はもちろん、屋外でも障害者が自由に、よりアクティブに動けることをコンセプトに開発されたものです」

 上野がカタログを捲ると、電動車いすに乗った利用者が、未舗装の山道を走行している写真が載っていた。

「どんな悪路でも走行できるように、タイヤは通常の車いすのものではなく、特別に開発されたオフロード用タイヤが使われています。これにより安定性も増し、障害者であっても、健常者と同じようにアクティビティを体験できるんです」

 どんな悪路でも……。

 水嶋の説明を聞いて、上野はカタログから顔を上げた。ある考えが頭に閃いたのだが、百武たち警視庁のチームの前で発言することは避けた。

「詳しくありがとう、水嶋さん」

 百武が再び前に出てきた。水嶋が軽く会釈して、ハンドリムに手をかけ、車いすを後退させた。

「我々が調べたところ、同タイプの車いすは、日本での販売台数はまだ少ない。ただしこの販売台数というのは、日本の正規代理店を経由して福祉用具会社に納品された数でしかない。そちらについては顧客リストを請求中だ。問題はその他のルートで日本に入ってきた場合、追跡が難しい点だ」

「その他のルートというのは?」

「個人輸入や転売などだよ、上野調査官」

 百武がまたしても自信たっぷりに話を続ける。

「私としては、先の二人の被害者が失踪した周辺でもこの電動車いすの目撃情報がなかったか、調べなおすことを提案する」

 百武はまるで、この事件の捜査責任者であるかのように、上野たちを見下ろした。

 

 捜査は大きく動き出した。

 アメリカ製の電動車いす。これは大きな手掛かりだ。

 素直に喜ぶべきことなのだろうが、警視庁に先行を許したことを、猿渡たち上層部は歓迎しないだろう。

 それでも報告はしに行かなければならない。エレベーターの到着を待っている間、上野の脳裏には、冷たい微笑を浮かべた刑事部長の玉城の顔が浮かんだ。また何を言われることか。

 胃の辺りがしくしくしてきた。エレベーターが到着し、扉が開く。

「上野調査官」

 中に乗っていた人物から、場所をわきまえない大きな声で呼びかけられた。上野の運転係を務める真砂璃々亜だった。

 丸っこい顔に人懐っこい笑みを浮かべ、片手に大きなコンビニのビニール袋を持っている。買い出しに出かけていたようだ。

「ちょうどいいところでお会いできました」

 真砂がコンビニの袋をごそごそと漁る。

「これ、お好きだと思って、コンビニの棚にあるやつ、全部買い占めてきました、と言っても三本しかなかったんですけど」

 真砂が取り出したのは、チョコレート味のプロテインバーだった。

「あ、ありがとう」

 プロテインバーを受け取り、戸惑っている間に、エレベーターの扉は閉まり、動きだしてしまった。

 上野は小さくため息を漏らした。だが不快ではなかった。いまは真砂の若干空気の読めない明るさに、救われるような気がしたからだ。

「お代はあとでいい? 財布はロッカーに――」

「いいんです。軍資金としてぶちょう……天堂さんからもらってます。五千円もくれたんですよ」

 なぜか人に聞かれてはいけない秘密のように、五千円のところだけ声が小さくなった。

「みんな疲れててイライラが溜まってくる頃だから、甘いものでも買ってこいって」

 天堂のそういう気遣いができる面も、上野が彼を信頼する理由の一つだった。

 上野はプロテインバーを一本、上着のポケットにしまい、残り二本は真砂に返した。

「これは預かっておいて。全部持ってると一度に食べちゃいそうだから」

「はい、かしこまりました!」

 真砂はまるで、重大使命でも帯びたように、受け取ったプロテインバーを慎重に袋の底にしまいこんだ。

「では、失礼します」

 真砂がばたばたと廊下を走っていく。

 苦笑しながら真砂の背中を見送り、再びエレベーターのボタンを押した。

 待っている間に、ポケットからプロテインバーを取り出す。

 お好きだと思って、か。

 実を言うと、これが特別好きなわけではない。ただ、ストレスが溜まり、どうしても甘いものを食べたくなった時、普通の菓子に手を伸ばすよりは健康に良いと思い込んでいるだけだ。タンパク質、鉄、カルシウム、マグネシウムなど栄養素が豊富と謳われている。その代わり、脂質もたっぷり含まれていてカロリーも高い。

 二四一キロカロリー。

「ふん」

 上野は、しばらくプロテインバーを手の中で弄んだ。

 玉城たちのところへ報告に行くのは、これを一本食べてからでも遅くはないだろう。

 上野は到着したエレベーターに背を向け、特捜本部が置かれた会議室へ戻った。

 

(つづく)