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「調査官、わかりました。桑畑さんと深瀬さんの娘の久美さんは、埼玉県の同じ中学校の出身です。しかも同じ軟式テニス部に所属していました」
桑畑と久美の関係を調べていた門伝が報告する。
「やっぱり……」
上野は自分の勘が当たったことに安堵した。
「自殺の原因について、当時の彼女をよく知る友人に話を聞きました。久美さんは自殺する少し前から塞いだ様子を見せ、鬱のような症状も窺えたそうです。おそらく、自分はもう二度と歩けないことを悟って、絶望したからではないかと……」
「では、自殺の原因は学校内のトラブルとかではなかったということね」
上野はもっと単純に考えていた。例えば中学校で久美はいじめられていて、その中心にいたのが桑畑ではないか、というものだ。
「はい。桑畑さんを始めとした同じ部活の生徒は、久美さんのリハビリを手伝ってもいたそうです。マネージャーとして部の活動に加わってもらおうと提案したのも桑畑さんだったとか。ただ、くだんの友人によれば、それが却って久美さんの負担になっていたのかもと……」
門伝はやるせなさそうな表情を浮かべた。
「ですがそんなことで、桑畑さんを殺そうと考えるでしょうか」
確かに、母親ならば桑畑たちの行動に感謝こそすれ、恨むのは筋違いだ。
とはいえ、今回の犯行は全てが常軌を逸している。正常な理屈で判断することはできなかった。
「桑畑さん以外の同級生が狙われたような形跡は?」
「誰も心当たりはないと。周囲であずき色のミニバンや、電動車いすを見た覚えもないそうです」
そうなると桑畑が狙われたのは、たまたま居所と行動のパターンをSNSで知り得たからなのか。
しかし桑畑以外の被害者たちは、どう関係してくるのだ。
桑畑と久美が中学時代の同級生だったことは単なる偶然で、事件の動機ではないと考える方がいいのだろうか。
上野は久美が巻き込まれたという事件の新聞記事を思い返した。
「マンションから植木鉢が落下した件ですが、単なる事故だったんですか」
「いいえ。植木鉢はのちの捜査で、人為的に落とされたものであることがわかっています。当時、このマンションの十二階に住んでいた住人の幼い子供の仕業だったようです。そのため、いったんは事件として捜査されましたが、刑事責任は問えないとして、捜査は終了しています」
未成年者、殊に十三歳未満の子供であれば、故意か否かを問わず、刑事責任は問えない。
ただし、民事は別だ。
「子供には責任能力を問えなくても、親には監督責任がある。その後、民事で争われたということは?」
「わかりません。すぐに調べます」
「お願い」
門伝が部屋を出ていった直後、上野の携帯が鳴った。
猿渡誠刑事部参事官。
来たか。
諸橋茜の供述により、もう一人、生存の可能性のある被害者A氏の存在が明らかとなった。それを受けて埼玉県警は、県警本部長自らが記者会見に臨むという異例の対応を行った。
ただし、犯人が被害者たちに、警察の取り調べを模倣していた事実は伏せられた。会見では未だ身元不明のA氏の似顔絵を公開し、広く情報を呼びかけるとともに、SNSに個人情報を載せないよう強く注意喚起を行った。
だがこのことが却って、一般市民に強い不安を与えてしまったようだ。テレビの情報番組は、連日この事件の特集を組んでいる。犯人像に関する様々な憶測に加えて、警察の捜査の遅れに非難が集中した。
捜査責任者の更迭論も現実味を帯びてくる頃だ。以前、玉城にその可能性を示唆された時には、他に代わりはいないはずだと上野も強気だった。
しかし警察組織というのは、いくらでも代わりを用意できる組織でもある。逆に言えば、それが強みでもあるのだ。
例えば、パワハラで更迭された鬼越を復帰させることも考えられる。いまの世間の空気を鑑みれば、事件さえ解決できるのならば、過去の不祥事など不問に付しても批判は免れそうだ。あるいは、筆頭調査官の鯨井に兼任させるという手もある。鯨井の負担は増えるが、そんなことも言ってはいられないだろう。はたまた、峰岸を一時的に調査官心得に昇格させてもいい。峰岸には、上野の代わりを務められるだけの十分な資質がある。
上野のこうした推測はあたっていた。
今月末までに解決の目途が立たなければ、上野を外し、峰岸を調査官心得に任命する。猿渡に告げられた。
警察官は春と秋に異動が集中する。今月末ということは、秋の異動に向けて、そろそろ人事の輪郭が見えてくる時期だ。
このままでは、単に捜査責任者を外されるだけでなく、捜査一課から上野が押し出される可能性もあった。そうなれば、警視への昇任の道も閉ざされてしまうことは間違いない。
「深瀬多津子を引っ張ってみたらどうだ?」
猿渡から提案があった。彼は上野の更迭にはあくまで反対の立場を取っている。
多少強引でも、捜査を前に進めるためにはそれも一つの手だ。
だが上野にはどうしても踏み切れない理由があった。
「彼女を被疑者リストから外すことはできません。しかし、どうしても動機の面で納得がいかないんです」
「動機に納得のいかない犯行なんか、これまでだって経験してきただろう」
「はい……。ですが、深瀬多津子の人物像は、そういう無差別に犯罪を行う者たちと合致しません」
「娘の自死がなんらかの精神的な影響を与えたということは?」
「深瀬にとって、そのことがショックであったことは間違いないでしょう。しかし、娘が亡くなったのは二〇〇六年、もう二十年近くも昔のことです。何か行動を起こすとしたら、もっと早くに犯行に及んでいたのではないでしょうか」
上野はそう説明しながら、二〇〇六年は自分にとっても大きな変化のあった年だったことを思い出した。
結婚、警部補への昇任試験、妊娠、そしてほづみ一家の事故……。
「本当に深瀬が犯人だとしたら、ここ最近になって、彼女を犯行に駆り立てた原因があったはずです。それを見つけるまでは、彼女を重要参考人に位置付けることは避けたいと思います」
「慎重なのはいい。だが自分の尻に火がついていることを忘れるな」
猿渡の警告を聞き終え、上野が廊下に出たところで、門伝から電話がかかってきた。
「調査官、わかりました。久美さんの頭に植木鉢を落としたのは、中西ほづみ、当時六歳だった子です」
4
ほづみはパソコンの電源を落とし、電源ケーブルを抜いて束ねた。
訴え空しく、ほづみも他のSSBCメンバーと一緒に、埼玉県警を引き揚げるようにと、正式な通達があったところだった。
「水嶋さん、今日で警視庁に帰っちゃうそうですね」
真砂璃々亜が声をかけてきた。
「はい。短い間でしたけどお世話になりました」
「残念、寂しいですう」
真砂は本心から言っているようだった。
ほんの二週間ほどだったが、二人は休憩時間をほとんど一緒に過ごし、すっかり仲良くなっていた。
「あの、良かったらLINE交換しません?」
彼女は私用のスマホを取り出した。
「え、LINEですか……」
ほづみにとっては意外な申し出だった。
「あ、迷惑だったら、全然いいです」
真砂が慌ててスマホを引っ込めようとした。
「ううん、違う。しましょう」
ほづみも声を弾ませながら自分のスマホを取り出し、二人はLINEを交換した。
「いまの事件が解決したら、ご飯も行きましょうよ。私が東京に出ますから」
「ご飯……」
またしてもほづみは戸惑った。
「バリアフリーのお店、探しておきます」
真砂はほづみが車いすであることを気にしているのだと誤解したようだ。
「そうですね。事件が解決したら一緒にご飯食べましょう」
ほづみが微笑むと、真砂の顔がぱあっと輝いた。
「ところで事件の捜査ですけど、近いうちに解決できそうなんですか」
「あ……えっと、それがけっこう難航してるらしくて」
真砂はほづみの隣の席に腰を下ろした。
「参考人が見つかったんじゃないんですか」
「はい。でも天堂部長が言うには、動機が薄いとか……。その参考人の娘さんが自殺してどうこうってところまでは聞いたんですけど、まだ引っ張るには不十分だからって――」
参考人についての情報は、天利から聞いたものと大差はないようだ。
「で、なんかあ、上野調査官の更迭論まで出てきちゃってるらしいんです」
「え、更迭?」
「そうなんですよお、ひどいですよね。上の人たちはなんかあるとすぐ、責任問題だあとか騒ぐくせに、自分たちでは責任を取らないで、上野調査官みたいな中間管理職? みたいな人たちの首を切って終わり。上野調査官はあんなに一生懸命やって――」
そこで真砂は、あ、というように口を閉ざした。
彼女の視線は部屋の入り口付近を見つめている。ほづみも振り返った。
そこに上野月子と天堂重光の二人が立っていた。
こちらへ近づいてくる。
「水嶋ほづみさん。我々と一緒に来てもらえますか」
上野が告げる。
「はい、わかりました」
真砂がぽかんとしながら、ほづみと上野の両方を見つめていた。