大桐さんから『サロペット持ってないですか?』とラインが来て、今度は何だと返したら『発表で使いたくて』と言う。今日はとうとう、研究発表会なのだ。大桐さんが考えた「これからの蓼科別荘地にふさわしい建築」がどんなものか、ようやくお披露目だ。私も晴れ舞台を見に、会場に向かう準備をしていたところ。しかしサロペットって、何に使うんだろう? まったく理解はできないまま、持ってない旨、返信した。
昼過ぎに茅野市民会館に到着すると、ホールにはすでにたくさんの人が集まっていた。近隣の別荘オーナーや建築関係者、役所の人や地元の新聞社も来ているようだ。コロナ禍を経て、別荘地の注目度は高まっている。東大院生がどんな提案をしてくれるのか、興味を持つ人は多いのだろう。キョロキョロしていると、知った顔がいくつか見えた。お向かいさんやヒカリゴケの家のオーナーは、大桐さんの応援だろうか。若杉さんも来ていたので、挨拶して隣に座った。
定刻になり、発案者の牧さんのスピーチで発表会開始。酔ったところばかり見て忘れてたけど、牧さんってほんとにやり手だよなあ。何人かの来賓挨拶の後、ゼミの教授が今日の流れを説明した。
「A班、B班の順に、6グループが発表を行います。が、この班は……」
大桐さんを指さして、
「刺激が強すぎるので、最後にします」
学生たちに笑いが起きた。一体何を見せるつもりなんだろう。私の席からは大桐さんの後ろ頭しか見えなくて、どんな表情をしてるのかわからない。まあ、大トリまで楽しみに待つことにしよう。
トップバッターのA班は、寒い蓼科の冬を暖かく過ごせる、ペチカ壁の別荘を提案した。スクリーンに映し出される動画は3Dで、まるで自分が建物の内部に入り込んだようなリアリティ。パソコン音痴の50歳は、今の学生ってこんなものまで作れるのかと感心してしまう。建築の専門的な話はわからないけど、画面を見ているだけでもおもしろい。
続くグループも、クオリティの高い映像を駆使しての発表だ。親から受け継ぐ別荘のリフォーム案や、住民の交流の場を設けるアイデア。別荘というよりは、商業施設を設計した班もあった。私が気に入ったのは、傾斜地に小さな家をつないで建てる別荘。高くなるほど抽象的な作業を行う部屋になっていて、一番の高台にあるのはなんと瞑想小屋だ。すごく東大院生っぽいじゃないか。
それぞれの発表の後は、会場との質疑応答タイムだ。
「その家だと、薪代が月に何十万もかかりますよ」
「蓼科の雪、その屋根では無理かもしれません」
そんな意見を受けるたび「ああ、そっか……」と頭を掻く学生たち。けれど質問者もわかってるのだ。現実なんか見たら、創造の芽はしぼむ。のびのびとアイデアを出せるのは、学生のうちだけだということを。若くて自由な発想に触れ、中高年の胸には今、爽やかな風が吹いている。
五つの班の発表が終わると、再び教授が前に立った。
「では最後は、問題の班です」
いよいよだ。大桐さんと、もう一人の学生が立ち上がった。彼女は可愛らしいピンクのニットに白いスカート。対して大桐さんは、エプロンをサロペットみたいにずり下げて、足には黒いゴム長を履いている。え、なんで?
教授から渡されたマイクを、大桐さんが受けとった。
「私たちは、四季折々の出来事を追って、逐次的に家を建てていくということを考えました。さらに数十年後、数百年後の別荘地のことも考えました。この地に定住し、自然と共にある生き方。その全体が私たちの提案なので、図面ではなく、ストーリーでお伝えします」
スクリーンに映し出されたのは、味のある手描きの絵だった。動画ではなく、スライドショーでページがめくられる。あ、これ絵本だ! 大桐さん、自分の描いた絵本で発表するんだ!
「ぼくは毎年夏になると、あつい都会からのがれて、とある別荘地にやってくる」
ピンクの学生が1ページ目を読み上げた。絵本の登場人物はふたり。別荘に遊びに来る男を彼女が、定住する不思議な男を大桐さんが演じる。不思議な男はサロペットに長靴姿で、大桐さんの格好にも合点がいった。これまでの班はそれなりに緊張感を漂わせていたけれど、ふたりは実に楽しそうだ。
「そうさ! ぼくは馬を飼っているのさ!」
不思議な男の別荘は、大きなカラマツの周辺に板を渡した奇妙な建物。入り込んだ野ネズミが回す滑車も、生活に必要な動力源になる。季節と必要に合わせて増改築していく家は、馬と顔を合わせられる高さに部屋があったり、鹿を吊るして解体するスペースができたり。自然の恩恵を受けながらの生活や、それを生業とする方法も紹介されて、ヤマボウシのジャムが出て来た時には、若杉さんと顔を見合わせた。
大桐さんの想像力と経験が、これでもかと詰まった絵本。蓼科の地は、きっとこの別荘を一番歓迎するよ。
発表が終わったとたん、大きな拍手が沸き上がった。何やらすごいもんを見たと、誰もが思ったのだ。建築の課題を超えた、次世代に渡せる宝物のことが描かれていたのだから。
いつも明るい大桐さんの笑顔が、ますます晴れやかに輝く。それを見ていたいのに、私の目の前は滲んで困った。
発表会終了後には、各班の建築模型を見ながら、直接学生たちと言葉を交わす時間があった。模型作りは大変らしいが、ミニチュアハウスみたいでとても可愛い。快適そうな別荘が並ぶ中、大桐さんの班だけは、ほぼ木の模型だ。「この家、本当に住めるの?」と質問されて、ピンクの学生が「はい。ちょっとだけ寒いかもしれないですけど」と答えている。彼女もおもしろい人なんだろうな。
大桐さんがこちらに気づき、万歳しながら近づいてきた。
「若杉さん、菊池さん、今日はありがとうございました!」
「すごい良かった! 大桐さん、やっぱ天才だね!」
「大桐さんらしくて、とても面白かったですよ」
「ほんとですか!」
牧さんが後ろから、にゅっと顔を出す。
「俺にはわからない……」
「牧さんは合理性の人だから」
模型には、ちゃんと鹿の姿まであった。
「大桐さん、さっきの本にしたら? 私、読みたい」
「え、ほんとに!?」
「絵に温もりと個性があるし、話は突拍子もないのに、実はちゃんと建築できる家だなんて、そうはないでしょ。ここにしか出さないんじゃ、もったいない」
「うわー、そしたらなんとか読んでもらえる形にします!」
なんとこれ、ほんとに実現してしまうのだけど。ちょっと先の話なので、また後ほど。
夜、管理事務所では、打ち上げパーティーが開かれた。学生とオーナーが集って、焚き火を囲みながら、薪ストーブで焼いたピザを食べる。別荘地にこんなに若い人が集まることなんてそうそうないから、労う大人たちは目を細めっぱなしだ。可能性に溢れる学生が、自然を愛するオーナーたちと交流する様子を見ていると、ペシミストの私の胸にも、未来の希望が生まれてくる。美しい自然、この先もちゃんと残るよね。
顔の広い大桐さんは、学生とオーナーとを取り持ち、ますます人の輪を広げていた。
──私たち、山に住むおばあさんになろう。
少し前に大桐さんと交わした言葉だ。別荘地には、単身の高齢男性は多いのに、女性はほとんど見かけない。男性たちからは「妻が虫嫌いで」とか「田舎暮らしはイヤだってさ」なんて聞く。まあ理由はほかにもあるのかもしれないけど、それはともかく。大桐さんと私は、できるならいつまでだって山に住んでいたいのだ。
それでも大桐さんは来年からお勤めだ。遠い未来を思って「おばあさん」と言ったのだろう。だけど私はあと10年もすれば、ほんとにおばあさんになる。
近い未来のこと、もう一度考えなくっちゃな。