噂の若杉さんの家を訪ねることになった。
建築科の大桐さんが「一番好き」と断言し、モダンな別荘を建てる牧さんすらも「真似したい」と言うその家は、ほとんど手作りだと聞いている。別荘地には素敵な建築も多いが、DIYはなかなか見ない。私が行ってみたいと騒いでいたら、牧さんが若杉さんの家での夕食会をセッティングしてくれた。一体どんな人が建てた、どんな家なのだろう。
若杉邸はとなり村の別荘地、牧さんの家のすぐ近くにあった。しかし、車を止めた場所からは全貌が見えない。森に囲まれているのだ。自然を大事にする別荘地でも、家の周辺の木は切られていることが多いのに、ここは緑がそのままだ。大桐さんとヤマトが勝手知ったるという顔で森の小道を上がっていくので、私も追う。この道も手作りだろう。一歩目からもう素敵で、胸の中で音符が跳ねる。
登り切ったところにログハウスが現れ、白と茶色のブチの犬が飛び出してきた。
「ダン!」
大桐さんが名前を呼ぶとうれしそうに尻尾を振り、私のところにも挨拶に来てくれた。ヤマトがいてもお構いなしに、ごろんとお腹を見せる。ダン、なんて人懐こいんだ。
ログハウスを囲むように作られた広いテラスの奥には、石組みの焚き火台があり、真夏だというのに火が躍っている。側に腰かけていた男性が振り向いて立ちあがった。
「若杉です」
独力で家を建てたなんていうから、どんなごつい人かと思っていたら、若杉さんは哲学者のような雰囲気を醸していた。定年前は普通に会社勤めをしていたらしいが、ずっと森に住んでいるかのような佇まい。浮世離れしているわけではないのに、俗世のニオイを感じないとでもいうか。
勧められるままに焚き火の横の椅子に座ると、テーブルにはすでに数々の料理が並べられていた。
「火にかけてほったらかしただけの料理ですが」
いい香りのポトフ。ふっくらした煮豆。羽釜で炊いた真っ白なご飯にお漬物。若杉さん自らスモークしたベーコンは、ナスと炒め合わせてある。さらに牧さんが自宅からキッシュ的な何か、マカロニとサーモンとかぼちゃの何か、トマト煮的な何かを運びこんでくれて、食卓はいっそう賑やかになった。
「牧さんの料理は、私のに比べて、いつも手が込んでいますね」
「どれもおいしそうです!」
大桐さんが、取り皿やグラスを用意する。この屋外テラスには食器棚や流し台、冷蔵庫までがそろっていた。
鼻のいい犬たちはちょっと可哀相だが、人間はみんなで「いただきます」と手を合わせた。
「このアウトドアリビング、いいでしょう」
食べながら牧さんが、自分の家のように自慢する。確かにどの料理も最高だが、よりおいしくさせているのは、このロケーションだろう。わずかに赤みを残す空を背景に、影絵となった森を見ながらの食事は、とんでもなく贅沢だ。火を焚くほどに涼しいし、煙のおかげでステンドグラス越しの柔らかい光にも虫が来ない。そうそう、ここも蓼科も、標高が高いから蚊がいないことを言い忘れてた。若杉さん、夏はほとんど屋外にいるそうで、それも納得の快適さなのだ。
「ほかの場所も見せてもらっていいですか?」
お腹が満ちた後、お酒が入ってポヤポヤしてきた牧さんと大桐さんを置いて、私だけ見学ツアーに連れていってもらう。
まずは焚き火台横のパン窯からスタート。裏手にまわると、地上数メートルのツリーテラスにカフェコーナーがある。木を利用したブランコや滑車は、お子さんやお孫さんのために作ったそうだ。ログハウスの横はサンルーム、下には工具が並ぶ作業ルーム。人目につかないところには、なんと薪ストーブを利用したサウナに、露天風呂まで。
母屋であるログハウスの中もビックリ箱のようで、決して広くはないのに、いたるところに便利な仕掛けや収納、それに遊びのスペースがあった。キャットウォークのような通路や、階下を見下ろせる屋根裏部屋は、まるで童話の世界。4Dジブリみたいな家なのだ。
「これ全部、若杉さんが作ったんですか?」
「そうです。30代で土地を買って、休日に通ってコツコツ作りました。サウナの中にあった大きな石は、牧さんも手伝ってくれて運んだんですよ」
「え、人力?」
「重機は使っていません。森の中には入れませんから」
「それで作れるんですか?」
「時間をかければできますよ。昔の人はすべて人力でしたしね」
安易に尊敬なんて言葉を使えるほど、私にはものづくりへの知識も想像力もない。ただ、若杉さんの静かな声に打ち震えた。家だけでなく、若杉さんはできるだけ自然と一体になれる暮らしをしている。かと言って、ラディカルなナチュラリストというわけでもなさそう。森の真ん中で、傲慢でも謙虚でもなく生きる人。これが自然体ってものだろうか。そんなありきたりの表現でいいんだろうか。
「この家、最高ですよね! 住みたいです!」
大桐さんがトイレに向かいながら言う。
「大桐さんから見ても、最高なの?」
「完璧です!」
うれしそうに微笑む若杉さんを、やはりきちんと形容できない。言えるのは、私がこれまで出会った誰にも似ていないということだけだ。
9時を過ぎた頃、若杉さんが「そろそろ寝ます」と言うので、牧さんの家に移動した。このメンバー、夜はここからが長い。
牧さんと大桐さんは酒のピッチをあげ、私は酔っぱらい同士の通訳をし、やがてふたりはピアノを弾いて、ヤマトはうるさそうに丸まった。2時を過ぎても終わらない酒盛りの終了を告げたのは、牧さんが椅子から落ちた、ガターンという大音量。すでに床に転がっていた大桐さんは巻き添えを食い、ふたりはもみくちゃになって唸った。いつものことながら、最後はほんとにひどい有様だ。
私はそのまま電気を消した。泥酔者をベッドに運ぶのは大変なのだ。子どもの頃からやっているが、ほとんど成功したことがない。
ひとりでシーツに身を横たえて目を閉じると、脳裏に夢のような若杉邸の姿がよみがえってきた。あれぞ私の、理想の暮らし。
若杉さんとの出会いは、これからの人生に変化をもたらしてくれそうで、わくわくする。
牧さんと大桐さんの醜態は、呆れながらも懐かしい。どうしようもなく懐かしい。
眠りに落ちるまで、未来と過去を、何度も何度もゆらゆらした。
エッセイ・コラム|第13回
アラフィフひとり おためし山暮らし 第十三回
毒親や宗教二世問題を描いてきた漫画家が、賃貸別荘であこがれの大自然の中で山暮らしをスタート。生活、人間関係、気持ちの変化を綴る「気づき」のエッセイ。
(第14回へつづく)
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第13回
アラフィフひとり おためし山暮らし 第十三回(2024年11月3日)