東京から友達が来た次の日は、なんとか晴れた。太陽を喜ぶ小鳥の鳴き声を「スピーカー?」と聞かれ「ノンノン、本物の鳥」と自慢気に答える。ふふふ、いい環境でしょう。
 朝ごはんはベランダのテーブルに、お土産のパンを広げて。スーパー「ツルヤ」で買ったジャムを塗りたくり、コーヒーと共に食す。軽井沢に有名なジャムの専門店があるけれど、ツルヤは半額くらいだし、試しきれないほどの種類があるので、私はこっちに軍配を上げている。
 もぐもぐ咀嚼しながら聞くのは、友人のうちのひとり、家が3軒に増えてしまった出版社社員の話だ。昔住んでた賃貸では恐ろしいことが続いて、最後は玄関前に包丁が突き立てられたけど、それでもしばらく引っ越さなかったなんて言うから、激しくツッコむ、作家、中医師、そして私。知りあってだいぶ経つのに、まだこんな新しい話が出てくるメンバーだ。
 食後は別荘地内を散歩して、腹ごなしをした。坂道ばかりなので、息があがったら足を止めて記念撮影。パノラマにしても、写るのは緑ばかりだ。この写真を後で見返したら、私にとっても「旅の思い出」になるんだろうか。
 
 昼頃、駅まで元担当を迎えに行き、合流した。彼が行方不明になったことから作られたこの連絡網には、ほかに国家公務員とドラァグクイーンがいるけれど、ふたりは休みが取れず、今回は断念。ともあれ今日はこれで、総勢五人だ。ランチと観光をして別荘に戻った後、私をのぞく四人は、ホテルに宿泊する準備を始めた。
「今日もうちに泊まればいいのに……」
 ぶつくさと、私。
「そうすればよかったよ。こんな広いとは思わなかったんだもん」
「遠慮しないでって言ったのに……」
「布団、ないかと思ったの」
「私も一緒にホテルに泊まろうかな……」
 自分で言って、はっとした。私、こんな甘えたキャラじゃなかったはずだ。 
 何日間も誰ともしゃべらず、山にひとりで籠っても大丈夫。反面、誰かに甘えたり、頼ったりするのは極端に苦手。そんな私が、家から15分のホテルに、みんなと一緒に泊まりたいだなんて。
 代金を払うからもう一人増えてもいいかと、作家がホテルに聞いてくれたけど、無理との返答だった。布団もご飯もプラスしなくていいと言っても、ダメの一点張り。まだホテル業界には、コロナ禍のダメージが残っている頃だ。柔軟に対応できない日本企業……もう、そういうところだぞ?
 ホテルは日帰り温泉を提供していたので、お風呂だけは一緒に入った。客室にお邪魔してワイワイしてから、私だけ夜道を帰る。いつもなら気にならない静けさが妙に怖くて、ラジオをつけたら怪談が始まったから、バカヤロウと急いで切った。蓼科名物の霧に覆われたビーナスライン。車ごとミルクスープに溺れたような気分でハンドルを切った。

 翌日は早々に、ホテルからみんなをピックアップした。ゾロゾロ観光したり、ご飯を食べたり。夕方まで目いっぱい遊んだ後、名残惜しくも作家、中医師、家三軒は東京に帰っていった。元担当だけはここから足を延ばして旅をしたいと、急遽うちにもう一泊。フルリモートで仕事をしている彼は最近、気の向くままに全国を転々としているそうだ。
 ふたりだけになってしまった別荘で、夜まであれやこれやと話をした。知り合った頃は、お互い20代だったのだ。ずいぶん長いつきあいになる。漫画家としてやっていけるかギリギリだった私に、ルポやエッセイの道を拓いてくれたのが彼だった。たくさん取材をした中で、あやしい占い師に「彼はあなたを新しい世界に導く人です」と言われたことは、鮮明に覚えている。確かに仕事も、それからあんなに楽しい友人たちとも、彼抜きではつながれなかった。
「ねえ、やってみない?」
 元担当、スマホをテーブルに置いた。
「何を?」
「瞑想」
「えーーー、やだよーー!!」
 宗教2世の私、そっち方面の新しい世界には、つながりたくないのだ。
「変なもんじゃないんだよ。メディテーションの効果は科学的にも証明されてるんだから。ひとりでやるより、誰かとやったほうがいいんだって。ほら、目を閉じて」
「いやだいやだー」
「こみあげてくる感情や思いは、目の前を通り過ぎる車を見るように、ただ眺めればよいのです」
 そう言うと彼は、手のひらを上にして膝に置き、そっと目を閉じた。私の友人には変わった人も多いが、彼はその中でもぶっちぎりなのだ。何分間瞑想するか知らないが、こんな元担当を眺めていたら笑ってしまう。仕方ない、私も目を閉じよう。ちょっと目を休めるつもりで……。
 人里離れた山の別荘で、目を閉じて向かい合う私たち、どれだけヤバい姿なんだろう。彼のスマホからは、ヒーリングミュージックと共に、静かに瞑想のガイドが流れてきた。
──鼻から大きく息を吸ってー、口から吐いてー。もう一度、吸ってー、吐いてー。気が散ってもいいのです。そのたび “今、ここ” に戻ってきましょう──
 ダメだ。ニヤけてしまう。こういうの、真面目にできないのだ。
 それでも呼吸だけ真似していると、心なしか心拍数が下がっているような気がしてきた。あれ? まさかこれ、リラックス? ベルベットの布に包まれたような安心感が、身を覆う。待て待て、こんなお手軽に癒されてたまるか。
──湧き上がってきた感情に名前をつけましょう。楽しい、うれしい、悲しい。そんなラベルを貼ったら、そっと横に置きましょう──
 昨日の夜から胸を占めるこの感情に、名前を付けるなら「淋しい」だろうか。友達と離れ、ひとりになって出て来た気持ち。そうだ、これは「淋しい」だ。淋しいなんて感じたのは、いつ以来だろう。それとも久々に認められただけなんだろうか、淋しいことを。
──思考しそうになったら、呼吸だけに意識を向けて。吸ってー、吐いてー……──
 10分くらいだったのだろうか。ガイドが瞑想の終わりを告げ、私はゆっくり目を開けた。慈愛に満ちた仏陀みたいな顔をした元担当が、こちらを見ている。私たちはお互い半眼のまま、頷き合った。
「よかったでしょ」
「うん」
「毎日やるといいよ」
「うん」
 私はまた、ニューワールドに連れて行かれてしまった。

 この日以来、朝食後の時間を瞑想にあてるようにした。ロッキングチェアーに深く身を沈め、小鳥の歌を耳に受け、森に向かって目を閉じる。それはなんて、豊かな時間だったろう。このまま瞑想を続けたら、次は何に気づけるのか。人生にこの時間を組み込めたことを元担当に感謝しながら、私はいつまでも目を閉じる。

 とか言いながら、今は一切やってないんだけどね、瞑想。
 まあ、そんなもんスよね。

 

(第13回へつづく)