赤岳の山頂には、ちょうどお昼頃に到着した。阿弥陀岳からは、隣りの家くらいの距離に見えていたけど、やっぱりコースタイム通り2時間かかった。それでも複雑な岩場をよじ登るのは飽きがこなくて、いまだ疲れも感じない。どうしちゃったんだ、私の体。人生のうち、間違いなく今が体力のピークだ。
しばし標高2899メートルからの大展望を楽しんだ後、名残惜しいが下山を開始した。山頂を目指して歩くのに、そこにいるのはいつだって僅かな時間だ。
数年前に宿泊した赤岳頂上山荘を通り過ぎ、地蔵尾根へと向かう。
「10月頭にここに泊まったら、翌日に初雪が降って、下りがめちゃくちゃ怖かったんですよ」
「10月に入ったら、降ってもおかしくないですね」
同行者となった紳士との話が弾む。下りは息が切れないので、会話する余裕ができるのだ。ひとりが楽な私だけど、一期一会の出会いは別。しがらみのない相手と話すのは楽しくて、私の中のお調子者の人格が活躍する。あの山、この山と互いのオススメを教えあったら、今度は旅の話だ。紳士は温泉ソムリエなる資格を持っていて、日本中の温泉の話をしてくれた。
「その中で1位を決めるならっ?」
「うーーん、奈良田温泉! 農鳥岳の帰りに行ってみてください」
「わ、奈良田温泉を1位にあげた人、ほかにも知ってますよ!」
パノラマの稜線から再び樹林帯に入る頃には、話題もプライベートのことに変わっていた。紳士は63歳。離婚していて今は独身。30歳をすぎた娘がいるという。娘は父の一人暮らしを心配しているが、紳士は気楽な毎日を楽しんでいる。私もその気持ちわかります、もう男はいらないっスなんて返事をすると、どうせ最期はひとりですからねと笑う紳士。私たちは、数時間前に会ったばかりとは思えないほどキャッキャウフフしながら歩き、あっという間に行者小屋まで戻ってきた。この先は行きと同じ道を戻るだけだ。お菓子を交換しながら少し休憩して、再び歩きだす。
先を行く紳士が突然足を止めたのは、どのあたりだっただろうか。苔の緑が濃かったから、行者小屋と登り口の半分くらいの距離まできていたのかもしれない。登山道の先に、派手な黄色いジャケットを着た若い男性が座り込んでいた。休憩するにしては狭い場所だ。具合でも悪くなったのだろうか。しかしこちらが声をかける前に、男性の方が口を開いた。
「そこに人がいるので、気をつけてください」
「ん、人って?」
よく見ると少しカーブした向こう、道の真ん中に、赤茶色の寝袋が人型に盛り上がっていた。寝袋の前に、フリーズドライの白米やカレーの袋が並んでいるのが不自然だ。
「どうかされたんですか? お連れの方ですか? 助けを呼びましょうか?」
「いえ、もう呼んでますんで」
おかしな間があいた。
「もう亡くなってるんで」
寝袋はすっぽり、顔までを覆っていた。
「俺、山小屋の人間で、救助隊が来るまで待ってるんで。そこ、足場悪いので気をつけてください」
私たちは何かむにゃむにゃ言ったが、言葉になってはいなかった。左右から岩と木が迫る本当に狭い道を、それでも寝袋を跨がないようにして体をひねり、なんとか通った。男性に頭を下げると、彼もペコリと頷く。道をもう一度カーブすると、もう人工物は見えなくなった。
「事故じゃ……ないですよね。滑落するような場所でもないし」
「ですよね。登ってた途中かな……。行者小屋でテント張るつもりだったんでしょうね」
「山の中で亡くなった方を見たの、初めてです」
「僕もです」
さっきまで些細なことで笑い合っていたのが嘘のように、私たちの口数は減った。なんだかそれが決まり悪く、お互いに話題を振ってはみるが、会話が長く続かない。何を話しても、頭の中に赤茶色の寝袋が横たわっているのがバレてしまう。
私は幼い頃から、死を思いがちだ。どんなに楽しい瞬間でも、二重写しに死神が見える。けれど突然ゼロ距離で見せられた現実の死は、そんな観念的なものとは比較にならない強さで私を射抜いた。そうだ、死って具体的なものだった。あの人が目指していたのは赤岳だったのか、阿弥陀岳だったのか。初挑戦だったのか、馴染みの山だったのか。明日の予定を立てていたのに、無慈悲にブツッと時が切断される。それが死ぬということだった。
こんなふうに勝手に、亡くなった方のことを想像するのは失礼だろう。けれど黙々と足を運んでいると、どうしたって考えることをやめられなかった。
しばらくすると下から上がってきた救助隊とすれ違った。紺色の制服に身を包んだ青年たちが、駆けるような速度で登っていく。重そうな担架を担いだ隊員は少し遅れて、息を弾ませながら「どのあたりですか?」と私たちに紅潮した頬を向けた。山の場所をうまく説明できなくて「もう少し先です」としか答えられなかったのが申し訳ない。登っていく背中にご苦労様と声をかけて、私たちはまた山を下る。
標高が低くなって、だいぶ気温が上がってきた。見覚えのある階段や橋、堰堤も見えたら、ゴールはすぐそこだ。
駐車場に到着したのは、16時。紳士と「お疲れさまー!」と声を掛け合うと、ようやく緊張が解けた気がした。
「帰ってきましたね」
「無事に帰ってきましたね。お姉さんのおかげで、とても楽しい山登りになりました。ありがとうございました」
1枚だけ、と言って一緒に写真を撮ると、紳士は娘に送るのだと白い歯をこぼした。そのままお互い名前も告げず、またどこかの山でと手を振って別れる。このスマートさ、やっぱり紳士だ。
リュックを下ろして、登山靴を脱ぐと、すっかり身が軽くなった。ひとつ大きく深呼吸してから、車のエンジンをかけた。
後日、ニュースで全容を知った。紳士と同年代の男性が、やはり事故ではなく、病気でお亡くなりになっていた。心臓発作のようなものだったのだろうか。
登山者イコール命知らずの冒険野郎みたいに言われると、的外れだなあと感じる。一般登山道を歩いている限り、ほかのスポーツと危険度に差はないからだ。けれど誰かが書いていた。登山はただのスポーツではない。ゴルフ文学やテニス文学はないけれど、昔から山岳文学が存在しているのがその証拠だ、と。登ったり下ったりを繰り返す登山は人生みたいで、確かに文学的だ。そしてやっぱり、山ではいつもより強く死を意識してしまうことも、登山を特別なものにしているのだろう。
何かあっても、町ではないというだけで救助は遅れる。叫んだって、山には無視されるだけだ。本来、死はいつでも私たちの側にあるが、山ではその匂いが一層濃くなる。
だからその分、対比された生が際立つのだ。不条理に断ち切られてしまうような、ひ弱で、他愛ない命がまだつながっていることを、私たちは一歩ごとに感じる。大自然に圧倒される自分が生きていて、ほんの少し時間を共にするだけの他者も生きていることを、登山者は一番感動的な方法で知るのだ。
あの人も、きっとそんな経験をたくさんした。どんな人生だったのかは知らないが、その瞬間だけは間違いなく幸福だったことだろう。
先日の訃報から続いたので、さすがにまだ気持ちはざわついている。だけどそうだ。そう感じるのも、私が生きているからなのだ。
エッセイ・コラム|第18回
アラフィフひとり おためし山暮らし 第十八回
毒親や宗教二世問題を描いてきた漫画家が、賃貸別荘であこがれの大自然の中で山暮らしをスタート。生活、人間関係、気持ちの変化を綴る「気づき」のエッセイ。
(第19回へつづく)
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第18回
アラフィフひとり おためし山暮らし 第十八回(2025年1月12日)