私はけっこう山に登る。賃貸別荘を長野県内に探したのは、日本アルプスや八ヶ岳を擁する長野が、登山者の憧れる県ナンバーワンだからだ。5月にここに来てから、すでにいくつかの山頂に立った。それなのに登山の話をあまり書かなかったのは、この日の出来事が強烈で、ほかのインパクトが薄れるからだ。

 それは9月中旬の、よく晴れた日のこと。
 美濃戸口から未舗装の道をくねくね走って赤岳山荘に到着すると、すぐに店の人が駐車料金を取りにすっ飛んできた。この時まだ、朝の6時。毎日何時に起きてるんだろう。私は山の日以外は早起きできない。
 目指すのは阿弥陀岳だ。せっかく八ヶ岳連峰の麓に住んでいるのだから、半年の間に主要な山には登っておきたい。南沢コースに歩を進め、原生林の中、いくつもの橋を右岸に左岸に、行ったり来たりしながら高度を上げていく。気温は低いのに、あっという間に汗ばんだ。ひとりだとつい足が速まるから、途中でバテないよう、ゆっくり歩けと自分に言い聞かせる。緑や巨石を、目で足で楽しめるスピードで行こう。
 ──あっ、誤解しないでほしい。山に登ると言うと「すごいね」なんて褒める人がいるが、全然違う。すごくない。私は稀代の運動音痴。学生時代の徒競走は毎回ビリだったし、ドッヂボールでボールを取れたら、クラスメイトから拍手が起こった。あなたが想像する、運動のできない漫画家像そのものなのだ、私は。つまり登山って、そんな人間にもできるもの。歩けさえすれば誰でも山には登れるのだ。
 私が登山を始めたのは、2011年。漫画家同士の飲み会でうっかり「日本人なら一度は富士山登ってみたいよねー」とたわごとを吐いてしまい、勢いで山部が結成されたことによる。林間学校の登山で息も絶え絶えになって、山なんか一生登るまいと、子ども心に決めていたのに。
 前哨戦として選ばれたのは、山梨県にある、初心者OKの大菩薩嶺。当日の朝までドタキャンの理由を考えていたが、登ってしまえば悪くなかった。だいたい全員運痴の、ゆる登山だ。とろとろ歩きながら、富士山が見えれば歓声を上げ、稜線からの見晴らしにはため息をつき。毎日座り通しでパソコンしか見ていない私たちには、山はまさに別天地だった。疲れて腰を下ろせば、誰もが黙って、形を変えゆく雲をただ眺める。町ではあんなに気まずい沈黙が、山ではまるで違う意味を持つことを知った。
 山にハマったのは、この時間のせいだ。いつも私を縛っている、見えない戒めから解かれたような時間。以来登山は趣味ですらなく、大袈裟に言えば、生きていくのに必要なものになった。それからずっと山部で、ひとりで、登り続けて今に至る。
 さて、阿弥陀岳。
 2時間歩いて辿りついた行者小屋から見える山頂はまだ遥かかなたで、軽く絶望する。しかしこの絶望は、日々のそれとは違って、数時間後に必ず歓喜に変わる絶望だ。こういうのがメンタルに効くとわかっているから、まためげずに足を踏み出せる。
 白樺に似たダケカンバが増えてくると、いよいよ高度が上がった証拠だ。けれど気分を一変させるのは、やはり森林限界を抜けた時。視界を遮る木がなくなると、赤土の上、巨人の拳のように荒々しい岩々が行く手を阻んでいるのが見えた。下界にはない光景に、いやおうなしにボルテージが上がる。山頂直前からは、鎖場の連続する急登が始まった。岩場は好きだ。それまで足だけを酷使してきたのが、両手も使えるようになって変化が楽しい。トカゲみたいに岩にくっつきながら、体を上に上にと持ち上げていく。
 山頂には10時前に到着した。阿弥陀如来の石仏が安置された頂から見渡す岩稜は、古の噴火のべらぼうな力を見せつける。眼前に迫る八ヶ岳の主峰、赤岳から、別荘のすぐ近くの蓼科山まで続く巨大な起伏。高い山に立つたびに思うのが「こんなところ、人間住めねー」ってことだ。神も仏も信じてないけど、畏敬の念は私だってちゃんと抱く。絶勝を前に、何に対してか、敵いません、委ねますという気持ちになる。
 それにしても今日はおかしい。これだけ登ったのに、全然疲れていないのだ。この9月頭、山部で念願の槍ヶ岳に登った時の体力貯金がまだあるらしい。女性は50歳前後でガタがくるとさんざん聞かされてきたけれど、やっぱりそんなに脅さなくてもいいんじゃないかなあ……。
 とにかく今、私はまだ元気で、目の前の赤岳に「もう一山どう?」と誘惑されている。赤岳には以前登っているので、今回は阿弥陀だけでいいと思っていたのに。
「お姉さん、余裕そうですね」
 青い登山服の紳士から声をかけられた。
「お兄さんこそ」
 もちろん実物はおばさんとおじさんだ。山は人を優しくする効果も持つ。私よりちょっと年上に見える紳士とは、稜線に出たあたりから抜きつ抜かれつしていたので、お互いを認識し合っていた。
「赤岳、ずいぶん近くに見えません?」
「お姉さん、行くんですか?」
「行っちゃおうかな」
「わあ、すごいな。僕はどうしようかな。お姉さんが行くなら、僕も行ってみようかな」
 念のため、こんな急な変更、ほんとはしちゃいけないよ。ただ知っている山だったこと、快晴で登山者が多かったこと、自分のペースなどを見て、私は行けると判断した。紳士も赤岳にはあらゆるルートから登ったことがあるというので、迷う心配はなさそうだった。
 紳士と私は歩くスピードが変わらないので、同行者のようになって赤岳を目指すことになった。そしてふたりで、あの出来事に遭遇したのである。

(第18回へつづく)