蓼科に山菜の季節がやってきた。
 もちろん初めての山暮らし、教えてもらって知ったのだ。月に数回だけ別荘にやってくるお向かいさんが、よかったらどうぞと、庭でとれたコシアブラを持って、シーズンの到来を告げてくれた。
 来たばかりの頃、外に出ては、山がキレイだ、森がキレイだと騒いでいたら、牧さんに「緑も紅葉も雪もなくて、今が一番つまらない季節ですよ」と言われたことを思い出す。たしかにここ数日、5月も半ばになってからの景色の美しさには目を見張る。さみどり色の柔らかい芽があちこちに萌え出でて、森の色調は明るく変わり、陽を受けた若葉のきらめきは、ため息がでるほど。さらにこの新緑の一部がコシアブラだなんて。ため息と同時に、お腹もぐーと鳴るというものだ。
 お向かいさんの庭のコシアブラは、樹高3メートルほど。新芽を高枝切りバサミでチョキンと落として収穫したという。父の友人に山菜採りが趣味の人がいて、コシアブラも何度かいただいたけれど、木を見るのはこれが初めて。白っぽくて滑らかな幹は細く、こんなふうに芽吹きを邪魔して、これからの成長は大丈夫なのかと少し心配になる。小さな5枚葉はまだぎゅっと縮こまって、固いハカマから葉柄をほんの少し伸ばしただけだ。しかし本当に、木の芽なんだなあ。
 さて、と。やっぱり天ぷらよね。
 山菜の女王といわれるコシアブラ。決してほかの食べ物では代用できない、あの苦みとコクと爽やかな香りを最大限に引き出すには、どうしたって天ぷら一択。父の友人も、サクサクに揚げて、持ってきてくれていた。
 お向かいさんにお礼を言って、玄関のドアを閉めたその足でボウルを取り出し、小麦粉を用意する。天ぷらの衣は冷たい水で作るので、氷もぶちこむ。もったいないから、油は小さめのフライパンに2センチでいいか。コシアブラを衣にくぐらせると、これを油に入れるのは怖いと思うほどシャバシャバだが、ええい、入れてしまう。当然、バチバチ。当然、ギャー。
 お料理上手の方は呆れているだろうが、ちょっと言い訳させてほしい。私は天ぷらを作ったことがない。小さい頃に、欲張ってかき揚げを4人前食べて盛大に吐瀉って以来、天ぷらが食べられなかったのだ。おばさんになって、ようやくおいしさがわかるようになったが、自分で作ろうとまでは思わない。だからこんなハチャメチャ3分クッキングみたいになっても、仕方ないのだ。ついでに私は、間違いだとわかっていても、人生の7割くらいを「まあ、なんとかなるか」と思って過ごしている。これも敗因である。
 できあがった天ぷらは、噛むと焼き海苔みたいにパリパリとテーブルに散った。これは天ぷらではない。素揚げだ。なんとか山菜の香りを口中に追い求めるが、舌はむなしく油だけを味わう。
 ごめんなさい、お向かいさん、そしてコシアブラ。もう揚げません。私の山菜ライフは、これにて終了。
 
 しかしありがたいことに蓼科には、料理の腕のまずさをサポートしてくれる、強力な味方がある。水だ。別荘地の水道はすべて山からの湧き水で、超軟水なのだろう、口に丸いものを含んだような優しさが広がる。さらには車で5分もいかないところに「女の神氷水」が湧き出している。実はここが別荘地の水源なのだが、水道管を通っていない新鮮な水は、やはりとびきりのおいしさだ。私が自分の料理を悲観することなく、毎日ナベで満足しているのは、この山の水のおかげである。
 その日も、何ナベにしようかなと思いながら、ポリタンクを満タンにして帰ってきた。入口近くにある管理事務所の前を通りかかると、牧さんの姿が見えたので、止まって挨拶する。
「菊池さん、ちょうどよかった。大桐さんも呼んで、山菜パーティーしませんか」
「えっ、パーティー?」
 パーティーというか、宅飲みだろう。その単語だけで一瞬にして、酔って部屋に転がる父の姿が思い浮かぶ。
「菊池さんの歓迎会も兼ねて。今日、和食の料理人の方が来てるんですよ。山菜、天ぷらにしてもらいましょう」
 いそいそと牧さんの車の助手席に乗り込んだ。別荘地中に生える山菜を採りに行くのだ。コシアブラの失敗の直後。トラウマよりも、リベンジの食い気が勝った。上品な牧さんは、キレイに飲む大人だろうし。
 車窓から見る木はどれも同じに見えるのだが、牧さんには違いがわかるのだろうか。「あった」といって止めた車の前を、茶色い群れが走り抜ける。
「鹿!」
 鹿は毎日のように家の外を通るが、まだ慣れず、見るたびに鹿!と思うことをやめられない。牧さんが降りて行こうとしているのも、ほとんど獣道の、けっこうな崖だ。
「崖!」
 タラの芽を見つけた牧さんは、革のグローブをはめて手を伸ばす。タラの木には、棘がみっしり生えている。
「棘!」
 都会では遭遇しないものに次々と驚かされて、単語を叫ぶbotと化す私。日の当たる野原に生えたワラビもたくさん摘んで、最後に来たのは我が別荘のすぐ近くだ。
「これ、コシアブラですよ」
 10メートルは優に越す大木だった。お向かいさんの庭の木と同じ種類とは、とても思えない。車に高枝切バサミを積んでいるのか聞こうとしたら、牧さんはするすると木に登り、手で新芽をむしりだした。樹上の人間、埼玉では鹿より見ないものであった。
 
 夜、一番広い私の別荘に、牧さん、大桐さん、そして愛知にお住まいの料理人、久世さん夫妻が集まった。お向かいさんを除いて、別荘オーナーと親しくするのは久世さんが初めてだ。住む世界の違うセレブだろうと、少し身構えていたのだが、なんと久世さん、別荘は無料で手に入れたという。以前の持ち主が、タダでいいから手放したいと望んでいた古い物件をゲット。休みのたびに通って、自分たちの手で改築しながら住んでいるそうだ。なるほど、そういう入手方法もあるんだなあ。まあそれもそこそこお金がかかるようで、妻の美枝子さんが「普通なら定年の歳なのに、まだまだ働かなきゃね」と笑った時、同じ個人事業主として、心の中で夫妻と三人、桃園の誓いを結んだ。
 そして、肝心の山菜。
 ワラビはあく抜きをして、明日以降に。タラの芽、コシアブラは、久世さんが調理器具まで持ち込んで、たっぷりの油でカラリと揚げてくれた。味付けはもちろん、上質の塩。一口齧れば薄い衣がサックリと割れ、封じ込められていた山菜の旨味があふれる。これこれ、これだ、私が食べたかったのは。動きだしたばかりの植物の力強さが、私の体を春に押し出す。味覚以上の喜びをもたらしてくれる食べ物。
「タラの芽より、トウダイの方が好きだって人も多いんだよ」
「トウダイ、うちの庭にもほしいな」
 久世さんがトウダイというたびに、東大院生の大桐さんに何か言っているのかと思ったが、コシアブラのことを愛知の一部ではトウダイと言うらしい。
 大人五人、ペロリと山菜を平らげた。
「ところで大桐さんは、ちゃんとご飯食べてるの?」
「食べてます。朝3合炊けば、あとは納豆とかで…」
「えっ、一日で3合食べちゃうの!?」
「えっ、食べますよ?」
「兵隊さんかよ!?」
 最後に叫んだのは、牧さんである。天ぷらがなくなった後、みんなの酒のピッチはどんどんあがり、牧さんは別人格になりつつあった。シラフの私だけが、それを冷静に見つめている。
 知ってるぞ、私はこういうの、知ってるぞ……。

 その日、久世さんの家に泊まる予定だった牧さんは、酔いつぶれてうちで寝た。翌朝起きると、すでに姿はなく、早春の光がカラになった部屋を照らしている。
 穏やかな生活を求めて来た蓼科、半月目。こうくるかあー。
 ……うん、でも。山菜、最高においしかったし。
 天ぷら油を片づけながら、私は静かにナベの用意を始める。

 

(第4回へつづく)