ずっと蓼科にいるように書いてるけれど、実際は月に一度は埼玉に帰っていた。取材だったり、車検だったり、悪徳雨樋修理業者との戦いがあったりしたからだ。うう、最後のは思い出したくもない。家の修繕が必要になったら、役所指定の業者を選ぶといいみたいですよ。ご参考までに。
それはともかく、若杉邸でジャムを作った翌日、私は最後の帰省をした。ついに発売となった単行本のプロモーションのためだ。宗教2世のノンフィクション漫画は、ありがたいことにたくさんの取材依頼をいただいて、新聞や雑誌のインタビュー、ラジオ出演などが決まっていた。どれも緊張するけれど、特にラジオ。生放送なんて、私にできるんだろうか……。いや、ラジオはまだ数日先だ。最初の仕事は「ネイキッドロフト横浜」での、出版記念トークライブ。あのサブカル臭溢れる空間では、何も緊張しやしない。
埼玉の住宅地から電車を乗り継いで久々に大都会にやってきた。横浜の街は、四角いボックスをただ重ねて作ったみたいに見えて、ちょっと足元が不安になる。密集した建物に、忙しそうな人々。物も人も、都会ではぎゅうぎゅうだ。
そういえば蓼科に行く少し前、歌舞伎町でひとり、泣きべそをかいたことがあった。時間をつぶせるカフェが見つからなかっただけなのに、あの日、私のうんざりメーターは振り切れた。どこもかしこも人だらけで満席。新宿には座って本を読めるベンチもない。以前はその雑多な感じや、誰にも注目されない気楽さがいいと思っていたのに、この時はぎゅうぎゅうの中に自分の居場所を見つけられなくて、涙が出た。癇癪を起こしたくて、起こせなくて、生きてることまでイヤになった。
あの頃は、特に心の調子が悪かったんだろう。連載は休止になるし、パートナーは仕事をしないし。だけどそれ以上に、私はあんまり都会に向いていないのだと思う。もうすぐ別荘生活は終わるのに、我ながらこの先平気なのか。
トークライブはおかげさまで盛況だった。会場、それから配信でも、たくさんの方々が観てくれた。物書き稼業は、伝えたい相手の顔が見えないから、こういう機会は本当にうれしい。そのぶん大勢の前で号泣してしまったのが恥ずかしいけど、あれはもう不可抗力だ。2世当事者で、マンガにも登場してくれた詩人のiidabiiさんが、私をモデルにした詩を朗読してくれたのだから。宗教団体からの圧力をめぐって、夜中の3時まで編集者とやりあい「菊池さんは豪胆でいらっしゃる」と言われたことが、走馬燈のように頭をよぎった。豪胆なわけない。ちゃんとビビってた。ただ折れちゃダメだと思ってたのだ。
横を向くと、一緒に登壇していたジャーナリストの鈴木エイトさんと藤倉善郎さんも涙ぐんでいて、それを見たらまたたまらなく、涙と鼻水で洗顔できるほど泣いてしまった。マンガ、出せてよかったなあ。
結局5日間を埼玉で過ごした。予定していた仕事もなんとか終わって、ほっと一安心。蓼科に戻る前日には、都内に住む友人の家に顔を出した。夫、それから2匹の兄妹猫と暮らす友人は料理上手で、時々私を招いてくれる。
「長野はいつまでだっけ?」
「今月いっぱい。来月一日には帰ってるよ」
茶碗蒸しができがるのを、猫と遊びながら待った。カラフルなヒモ状のオモチャを垂らすと、妹猫はすぐにとびついたが、兄猫は微動だにしない。目の前で揺らしてみても、石像のように無反応。犬語しかわからない私には、つぶれた顔したエキゾチックショートヘアの表情は、特に読みかねる。「兄、何考えてるの?」とたずねたら「私にもわからない」と友人。猫ってそんなもんなのか。可愛いだけの生き物なのか。
「帰ってくるんならさ、お願いがあるんだけど」
料理の皿を並べる前に、友人は鍵を差し出した。
「来月、夫婦で実家に帰らなきゃいけない用事が入りそうなの。2、3日だと思うんだけど。その間うちに泊まって、猫の世話してくれないかな」
「へ? 泊まって!?」
「電車で通うの、大変でしょ。うちにあるもの何でも食べていいし、どこ触ってもいいから」
どこにもヤバいもの置いてない家なんだ! 私の家なんて、隠さなきゃいけないものだらけなのに、オタクじゃないってすごい! というのが、最初の正直な感想。驚きのあまり、呼吸も乱れる。
「……っ、それはダメでしょ。ペットホテルに預けなよ。私が通帳とか、金目のものとか持ちだしたらどうすんの」
「真理子はやらんよ」
間髪を容れずに、友人。
え、やらん、のか、私は。
もちろん友人宅で泥棒みたいな真似をするつもりはない。だけど用もないのにいろんな引き出しを開けたり、砂糖と塩を入れ替えたり、洗濯物を生乾きで取り込んだりは、するかもしれないじゃないか。こんなこと思いつくこと自体、やっちゃう可能性がゼロじゃないってことじゃないか。なのに友人の「やらん」は、そういうこともしないという「やらん」に聞こえた。彼女は私を、悪いことをやらん人間として、認識してる。
自分の性格が良くないことは自分が一番知ってるし、親にも宗教団体にも「もっと善良な人間になれ」と言われてきた。友人は私のどこを評価してくれてるのだろう。こんなふうに人に信頼されるのは、初めてのことだった。先に信頼されたら、信頼に足る人間になりたくなってしまう。
戸惑いながらも押し戴くように鍵を受け取ったら、ふいに横浜での光景が、胸に温かく広がった。
歌舞伎町で泣いた時、どこにも居場所がないと思っていた。だけど私もきっと、あの頃から変わった。都会は相変わらず苦手だけれど、こっちにも私の居場所はあるのかもしれない。兄妹猫を撫でながら、そんなことを思う。