羽根布団にすべり込んで明かりを消したら、目を閉じなくても真っ暗だった。窓の外は無音。葉のこすれる音とか、獣の足音とか、少しは聞こえるものかと思っていたけど。家のまわりはきっと、遠くまで誰もいない。標高1700メートルの山の中、これから半年、私はひとりぼっちで眠るのだ。
別に幽閉されたわけじゃなくて、これは自ら望んだ生活。周囲に人がいないのは平日だからで、つまりここは別荘地なのだ。長野県茅野市、八ヶ岳西麓に位置する蓼科。日本で一番高いところにある別荘地のひとつに、49歳にして初めて、自分のためだけに時間を使おうと、移り住んできたところなのである。
もちろん、未婚で養うべき子どももなく、パートナーはいるけれど一緒に暮らしてはいない漫画家の私は、他人からは羨ましがられるような時間割で生活してることはわかってる。朝寝坊はし放題だし、ご飯は連続卵かけでもいいし。だけどそれでも胸の中に、石でも飲んでしまったかのような重さがあって、自由という響きからは程遠い心持ちが、いつもいつもしてるのだ。
実は数年前まで、私のメンタルはひどいもので、右も左もお先も真っ暗みたいな心境で生きていた。人の顔色をうかがい、NOと言えず、理不尽に対して怒れず、誰かと会った後は疲れて倒れこむ。それはひとえに、アルコール依存症の父と、新興宗教にハマった母という、お世辞にも最高ですねとは言えない家庭環境で育ったせいだと思うけど、彼ら亡き後、ままならない人生をそのまんま漫画にしたり、カウンセリングに通ったりしているうちに、けっこう元気になった。はずだった。
でもそれは言ってみればマイナスが解消された状態で、私はようやくゼロ地点に立てただけだったのだ。生きがいとか趣味とか娯楽とか、そういった人生にプラスをもたらすものごとは、自分で見つけていくしかないのである。
長らく、夢も希望もありゃしねぇと生きてきたから、幸せ探しは苦手だ。だけどそれでもひとつ、子どものころから憧れていたことはあって、それが「自然に囲まれ、ひとり静かに暮らす生活」だった。四角い建売住宅の四角いテレビに映る『野生の王国』は同じ地球とは思えないほど広く、背表紙が取れるまで読んだのは『大きな森の小さな家』。いかんともしがたい現実をちっぽけにし、そっと私を支えてくれたのが、美しく逞しい自然の姿だったのだ。
——そろそろ自分のしたいこともしないと、人生終わっちゃうな。
50の大台を前に残りの時間を数えながら、私はひとり、ジリジリしていたのだった。
とはいえ、そのために埼玉から引っ越すとなると、やはり二の足を踏んでしまう。ノンフィクション漫画を描くことが多いので、取材のために東京近辺にはいたい。けれど、地方都市で格安賃貸を探すと、ほとんどが住宅街の中だ。希望に適う山荘を買うには「油田を掘り当てる」という、もうひとつの夢も叶えなければ、先立つものがまったく足りない。それに私は、理想だけ追って頭でっかちになっている自覚も、ちゃんと持っている。実際に山暮らしをしたら、尻尾を巻いて逃げ帰る可能性が、大いにあるのだ。虫、苦手だし…。本当に自分がその環境でやっていけるのか、できることなら先に試してみたい。
なんて白々しく書いているが、実は私、その方法は知っていた。数か月、別荘を借りればいいのである。
そう、別荘って借りられるのだ。かつての「別荘族」の高齢化に伴ってか、最近は、人の訪れなくなった別荘を賃貸に出す動きがある。家具や生活必需品もそろったままで、身ひとつでの移住が可能な物件もあるらしい。友人が夏の4カ月を軽井沢の賃貸別荘で過ごしているので、私はそんな情報を得ていたのだ。
ならばなぜ今まで借りなかったのかというと、単純に物件がなかったのである。賃貸別荘はまだまだ絶対数が少なくて、ようやく見つけてもすでに借りられていたり、契約期間が2年以上必要だったり。お試しで2年は、ちと長い。そんなわけで半分諦め、けれど山への想いも断ち切りがたく、時々ネットでポチポチ検索するという状態を続けていたのだ。
しかし2022年2月、私はついに一軒を探し当てる。SEO対策などまったくしていない、インターネット大海の底にあるような蓼科のとある別荘地のホームページに「賃貸」の欄を発見したのだ。ただし、当該ページに飛ぶと「準備中」の文字。
普通なら、またダメかと思い切るところだが、この時の私は違った。実は仕事で大きめのトラブルがあって、落ち着いたはずのメンタルが「人間不信」の旗を振り、またぞろ大暴れしそうな気配があったのだ。こうなるともう、ひとりになりたい。何がなんでも人里を離れたい。
「ページを準備してるってことは、物件があるんですよね?」
問い合わせたメールの返事は「2軒アリ」であった。
2月の蓼科は雪の中。自信がないので、パートナーに車を運転してもらって見学に行く。曲がりくねった道が開けると、真っ白な山肌に、こぼれた薄墨のようにぽつんぽつんと別荘が点在しているのが見えた。道をふさぐ牡鹿の立派な角は冠みたいで、まるでおとぎ話の挿し絵のようだ。ああ、きっと。私はここに住むだろう。
案の定、最初に案内された物件に、ひとめ惚れをした。重厚な家具が置かれたままのリビングは、別荘らしい木造の吹き抜け。天井のシーリングファンは、埼玉県民をときめかせる。正面の大きな掃き出し窓の外はベランダで、森を透かしてドンとそびえるのは、百名山の蓼科山。三方を森に囲まれ、人目が気にならないのも理想的だ。傾斜を生かして地階、1階、2階があり、数字の上では3LDKとなっているが、ほかに物置スペースが3つに、風呂、トイレと、ちょっとわけのわからない間取りと広さ。坪数でいえば、延べ床面積44坪、土地面積506坪だ。
案内してくれているのは、私の怒涛のメール攻撃にも付き合ってくれた、牧さん。50代半ばでスラっと背の高い男性だ。私はロッキングチェアーに揺られながら、すっかり頭にお花が咲いた状態で「ここに住みます」と宣言した。
「もう一軒見ませんか?ここはふたりでも広すぎますよ」
「いえ、住むのは私だけです」
「え?」
さっそく事務所で契約を交わす。この別荘は夏仕様なので、冬の間は住むのに向かない。5月から半年間借りることにして、話をまとめた。家賃は23区のマンションと同じくらいだろうか。正直、予算オーバーだったが、そこは持ち前の捨て鉢根性で乗り切るとする。やっぱりね、人生たまには勢いが必要でしょう。
書類作業が終わると、晴れて5月を待つばかりとなった。お礼を言い、席を立つと、牧さんが口を開いた。
「遊びに来ますか?」
「え? どこに?」
「うちに」
「近! 距離、近っ!」
私はひとりの静かな暮らしを求めているのだ。いなかは人との距離が近く、都会モンは苦労するというが、早くもその洗礼を浴びているのだろうか。しかし後から知ったが、牧さんは練馬の人だった。
そんなわけで2022年5月1日。私は長年の夢を叶え、希望の場所で眠りについた。外は真っ暗、音もない。ただひとつ、想定外のことが生じた。それはパートナーからの別れ話。
なんでこんな日に重ねるんだい。人生ってやつは、ほんとに。