私の第二回歓迎会を開くから、牧さんの家に来てくれと、大桐さんが連絡をくれた。牧さんは、蓼科から標高にして200メートル低い、となり村の別荘地に住んでいるそうだ。大桐さんの説明がアバウトすぎて迷いに迷い、なんとか到着したのは一番星も灯った後だった。車を降りると、針葉樹の多い村有林が、黒い影となって別荘地を囲んでいるのが見える。蓼科が山の中なら、こちらは広い森を開いたという感じ。町からは近くて便利そうだ。一口に別荘地といっても、場所によっていろいろ違いがあるものだ。
 そんな別荘地にあって、牧さんの家はひときわモダンだった。外壁も内壁も白く明るく、インテリア雑誌に載っていそうな瀟洒なつくり。3階までの吹き抜けの中央には渡り廊下が走っていて、あの高さから見る外の景色は、さぞや壮観だろう。けれど特筆すべきはやっぱり、真っ先に目に飛び込んでくるアレだ。
「グランドピアノ!」
 グランドピアノって、学校がベルマークを集めて買うんだと思っていた。個人宅にあるもんなのか。
 玄関先で圧倒されていたら、大桐さんがニカッと顔を出した。
「すごいですよね。私も最近、この近くの先生に習い始めたので、帰りにそのピアノで練習させてもらってるんです」
「大桐さんも弾けるんだ?」
「昔、習ってたんですよ。ここに来たからには、またやれって、牧さんに言われて」
 たしかに家の密集した住宅地と違って、別荘地では音漏れを気にする必要がない。楽器の演奏には最高の環境だろう。にしても、グランドピアノかあ。
 キッチンから「炒めるって言ったのに、なんで野菜、みじん切りにしちゃったんだよ!」と、牧さんの悲鳴があがって「え、ダメでしたか?」と戻っていく大桐さん。私は、管理事務所の仕事ってピアノが買えるほど高給なんだろか、などと下世話なことを思いながら、その背中を追ってダイニングにお呼ばれした。

 この日は久世さんが仕事でいなかったけれど、メインディッシュはとろけるような馬刺しで、エビしんじょに入った枝豆は、薄皮まで剥いてあった。牧さんも素晴らしく優秀なシェフだったのだ。普段は食べられないご馳走に、ここぞとばかりに箸を伸ばし、ついつい杯も進んでいく。もっとも私は下戸なので、杯の中身は湧き水なのだが。ふたりはジン、日本酒、ウイスキーをカッパカッパ重ねている。酔うとグダグダになる牧さんと違い、若さもあってか、大桐さんはシャンとしたままだ。強いなあ。それでもお互い、だんだんと会話に遠慮がなくなっていき、私は今さらながら、ふたりの情報を得ることができた。
 まず、牧さんは管理事務所の社員ではなかった。管理会社から、別荘地の活性化を依頼された、やり手の個人コンサルタントだった。「コンサルって、響きがあやしいじゃん」という理由で、今まで教えてくれなかったらしい。貸別荘も牧さんが始めたもので、私はまんまと乗った第一号。最近は、イチから別荘を建てることもしていて、このピアノの家も牧さんの設計だという。家に呼びたがったり、私に新築を買えと言ったりするのは、そういうことだったのか。
 大桐さんのいるゼミと提携し、蓼科の別荘地を題材に「これからの時代にふさわしい建築を東大院生に設計してもらう」というアイデアも、牧さんが出したもの。10月には茅野市民会館で、13人のゼミ生が発表を行うという。限られた時間の中、それぞれ切磋琢磨しているようだが、住み込んでまで研究しているのは大桐さんただひとりだ。
「で、牧さんの家族は東京の家にいるんですか?どうしてるんですか?」
 急なつっこみが入った。大桐さんも、牧さんのプライベートまでは知らないようだ。
「え、それも聞く?」
「え、イヤならいいです」
「え、何が?」
「え?」
「え?」
 ふたりは酔うと、ずっと「え?」と言いあっていて、通訳するのが私の役目だ。話をまとめると、牧さんの家は東京にあり、妻と成人した子どもがふたりいる。仕事で必要な時は東京に帰るが、それ以外はひとりでこの別荘に住んでいる。要するに妻とうまくいっておらず、ほぼ別居ということだ。
「結婚なんて、そんなもんなんだよ。永遠に続く仲なんてないんだから」
 牧さんがこぼすので、私も未婚ながら「そうだそうだ」と強く賛同する。
「そんなことないですよ。うちの両親、めちゃくちゃ仲いいですもん」
「え?」
「お父さん、人前でもお母さんのこと好き好き言って、恥ずかしいからやめてって言われたりしてますよ。飲みすぎて、お母さんに嫌いになるよって怒られたら、すぐお酒やめるし。そんなに嫌われたくないのかって、ウケる」
 わははと思い出し笑いしている大桐さんを前に、私はカチンコチンにフリーズしていた。幸せ家族の話は、私にはまるでファンタジーで「うち、勇者の血を引いた一族なんです」と言われたのと同じくらいの衝撃を受け、思考が停止してしまうのだ。
 たぶん牧さんも、白目になっていたんじゃないか。一瞬の間の後、もういい、ピアノを弾こうと、大桐さんを連れて階下に降りていった。ショパンがあーとか、モーツアルトがうーとかいう話の後に聞こえてきたピアノは、運指ではなく、表現力を学ぶレベルの人たちの音だ。酔っててうまく弾けないなんて言ってるけれど、いやいや……。
 しばらくすると大桐さんは実家に電話をかけ、スピーカー状態のまま、楽譜について母親にたずねだした。
「私が〇〇で弾いた、ショパンの〇〇あるやん? お母さんも弾いたやつ。あれ家にある?」
「お母さん弾いたの〇〇ちゃう? ちょっと捜してみるけど」
 〇〇は、私が記憶できなかった音楽の用語だ。そういえば大桐さん、関西出身だったなと思うと同時に、大桐親子の会話に再び固まる。
 仲のいい家族はこんな普通に、こんな穏やかに話すのか。これなら他人に聞かれても平気だよなあ。私は、この世を嘆いて泣いてばかりの母には気を使い、酔ってめちゃくちゃな生活を送る父にはイライラして、まともに会話ができなかった。話すことと傷つくことが、同義だった。それから、母と娘がピアノを弾く世界線よ……。実は私も小学生の時、友達の真似をして1年だけピアノを習っていたけれど、家にはオルガンすらなかったから、鍵盤ハーモニカでプープーわびしい音を鳴らしてた。この違いといったら。
 幸せな親子関係を羨んでいるのか、貧乏を恨んでいるのか自分でもわからなくなってきたが、今この身を苛んでいるのは間違いなく劣等感だ。情緒は安定したはずなのに、不意打ちにはまだ弱い。心のうちを悟られないよう、能の小面みたいな表情を浮かべて、軽やかにピアノを弾くふたりを二階から見つめる。ひしひしと感じる自分の育ちの悪さに、いたたまれなくなりながら。
「牧さん、そろそろ帰ります」
「え、今日は泊まりだよ? 大桐さん、伝えなかったの?」
「え、忘れてました!」
 すみませんと謝る時でさえ大桐さんは朗らかで、ぶつくさ怒る牧さんも、それに私も、娘ほどの年齢のこの人が、可愛くて仕方ないのだ。私も別の家に生まれていたら、こんなふうに邪気のない人間だったのだろうか。
 牧さんが再び鍵にポーンと指を置く。この美しい曲は、私でも知っている。ドビュッシーの「月の光」。
 窓の外を見ると、森には月が懸かっていた。ほんの少しだけ月光を浴びに、そっと外に出る。

 

(第7回へつづく)